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特集

外部有識者によるコラム 第1回(2022.10.18掲載)

原子力発電の可能性と方向性

拓殖大学
佐藤 丙午


はじめに:原子力発電をめぐる葛藤

日本における原子力発電の今後を展望するとき、そのあり方をめぐり、日本は大きな葛藤を抱えていることがわかる。

その代表的なものが、繁栄と環境である。現在の経済的繁栄を維持するうえで、エネルギーは安定的に供給される必要がある。そして、特に電力不足が発生すると社会には致命的な影響が出る。日本では、ベースロードとミドル電源の多くを石油・天然ガス・石炭に依存しており、原子力や再生可能エネルギーの割合は限定的である。しかし、今後政府の公約として2050年までに温室効果ガス排出実質ゼロを掲げているため、供給体制の急速な転換が急務になっている。そしてこれは、日本経済に甚大な影響をもたらすと予想されている。

エネルギー政策の転換過程において、経済的繁栄が担保されるのであれば問題はない。しかし、転換先のエネルギー供給源とされる太陽光や風力発電などの再生可能エネルギーは、それぞれ課題を抱える。蓄電池技術が開発途上で限定的な能力しか持たない現在、供給に不安定さを抱える再生可能エネルギーを、経済運営の中核に据えることはできない。しかし、温室効果ガスの排出がない原子力は、福島原発の事故などで社会の信頼を回復しておらず、将来同程度の事故が発生した場合の環境破壊の方を、気候変動のリスクより大きいと主張する意見も多い。

もう一つの葛藤が、安全と没落である。もし原子力発電のリスクを過大に評価し、脱原発を急速に進めると、それは当該産業の崩壊につながる。原子力産業は、発電事業から発電所設置自治体における社会インフラなどの公共工事まで、裾野が広い。また、原子力発電では、様々な可能性を秘める原子力自体の活用を含め、高度な技術集合体でもある。また、核不拡散問題が国際秩序を規定する意義を持っていることを考えると、その産業の崩壊は、ただ単に原子力発電事業からの撤退ではなく、日本の国際的競争力や発言力の低下を意味する。包括的に考察すると、ロシアや中国が中東をはじめとする国際社会に向けて原子力発電の輸出を積極的に進めていることを考えると、国際的なエネルギー政策や不拡散政策の推進において、欧米諸国や日本の戦略的な地位が下がることも意味する。

1.日本固有の課題と選択肢

繁栄と環境、さらに安全と没落は、二律背反ではない。葛藤を起こすような二項対立でもない。繁栄を維持するために環境を重視するのはオーソドックスな思考過程であり、原子力発電による温室効果ガスの排出削減による地球環境への貢献と、そこで相対的に安価に生み出される電力を利用した産業運営や家庭生活の維持は、社会の繁栄そのものである。また、事故のリスクを含め、エネルギー需要に応える上で社会が受け入れなければならない「非安全」のリスクは、経済社会及び国際競争力など、広範な領域での「発展」の裏返しでもある。

つまり、日本社会が現在の国際的地位を維持し、国家として人類全体の科学技術発展を主導する立場に留まり、そして「当面」の経済活動を推進するうえで、現行保有の選択肢を有効活用することが合理的な結論となる。

しかし、原子力発電に対する日本社会が持つ不安感は、日本の選択肢を狭めている。もちろん、既存の原子力発電所が、IAEAが規定する国際的な安全基準を満たすことは最低条件であり、加えて、国内の原子力規制委員会による安全基準の条件を満たすことは必要である。その上で、政府が表明するように、基準を満たした原子力発電所の再稼働を進める方針は、順当なものであることは言うまでもない。ただ、その先の展望を考えるとき、日本国内に存在する葛藤は、選択に大きな影響を及ぼす。

原子力発電が、研究開発から実験炉や試験炉の段階を経て、商用炉としてビジネスサイクルの一部として機能するまでには、長期間に渡る投資が必要である。さらに、原発の操業そのもの、さらには原発で使用する燃料の供給や使用済み核燃料の処理等には、安全保障上のリスクが伴い、事業者はそこにまでも対処することが求められる。つまり、長期の時間軸の中で国家及び社会の関与が必要なのである。そこで不安感や、葛藤の存在を理由に国家が短期的な対応を繰り返すと、原子力発電というビジネスモデルの根幹が揺らぐのである。

もちろんその不安感等の背景には、現在の原子力発電のビジネスが、バックエンドの問題を完全に解決していないという事情も存在する。実は、使用済みの放射性廃棄物等の処理は、各国共通の課題である。その意味で、原子力発電は未完のビジネスモデルを前提にしているため、今なお開発等が必要な、途中段階の技術なのである。もちろん、技術開発が完結したものを利用するのは理想である。しかし、途中段階であっても、大きな便益が期待できるものを先行して利用する選択をしたことで、将来に「つけを回している」との違和感も社会に抱かせることになった。

2.エネルギー安全保障をめぐる考察

この「違和感」の正体は、このままゴールが見えない状態で原子力発電を続けた場合、将来に対応不能な大きな負債を残すことになるのでは、という感情であろう。さらに、もし将来福島原発のような大規模原子力災害が再び発生した場合、国土が利用不可能になり、日本人自体も放射能で取り返しのつかない被害が発生するのではないかとの懸念も、違和感を増幅させている。

これが、安全を重視して没落を受け入れてもいいのでは、との自虐的な思考を生む背景となっている。もちろん、社会が没落を意図的に選択することはないため、再生可能エネルギーを含む代替手段の開発に成功する、との楽観的な思考も同時に存在する。ただし、再生可能エネルギーにおいても、現在の繁栄を維持するためには、克服すべき技術的課題は多い。

このことから、日本のエネルギー安全保障において、どの選択肢を選ぶにせよ、継続的に技術開発を行い、なおかつそこで成果を出す必要があることがわかる。再生可能エネルギーは原子力発電に比べて技術的集積度が低く、なおかつ発展の初期段階にあるため、技術発展によるエネルギー安全保障に対する貢献のレベルの初期カーブは急になる。これに対して原子力発電は、初期の技術投資の質と量が大きく、研究成果が社会実装に至るまでに時間がかかる。このため、他の方法と比べて、その方式による社会貢献が、エネルギー安全保障に対して圧倒的に優位を持つとの見通しが必要となる。

このことは、日本のみならず世界の原子力発電の関係者が共通に抱える課題であろう。もちろん、現時点で原子力の技術開発で先行し、輸出ビジネスを展開しているロシアと中国のような国と、新規の原子炉建造に制約を抱える米欧や日本とは、将来の見通しに対する評価が異なる。米欧や日本の方が、原子力発電の将来の可能性を国民に説明する際、シビアな評定に晒される。しかし、米欧や日本などの方が、国家経済の繁栄を希求する世論の声は大きく、ビジネスモデルの創出による経済への好影響に対する期待も大きい。つまり、どれだけのプロスペクトを示せるかが、重要な意味を持つのである。

おわりに:日本の原子力発電の将来

現行のエネルギー基本計画では、原子力はベースロード電源として位置づけられ、2030年度で20-22%を見込むとしている。今後再稼働が進み、新型炉や革新炉の開発が進んだとしても、今後改定される基本計画において、どれだけ原子力発電への依存度が高まるかは不明である。しかし、たとえ不明であったとしても、原子力の技術開発は、これまで通り続け、新たな技術開発の方向性を示す必要がある。

それは、原子力発電の既得権益を守るためのものではない。たとえ見通しに不透明感があったとしても、一つの可能性を国民に選択肢として提供することで、将来の政治選択の幅を拡大することが必要不可欠であるためである。将来の可能性を示すことは、現在の問題解決を図る行為ではないため、人気や支持獲得に欠ける行為となる。それを超克して、技術の可能性を提示し続けることが、順風が吹いているとは言えないなかで、どうしても必要なことなのである。