原子力機構の価値 ~原子力の社会実装に向けて~

日刊工業新聞にて毎週火曜日連載中

051 グラフェン膜用い分離技術

掲載日:2023年11月14日

先端基礎研究センター 表面界面科学研究グループ
研究主幹 保田 諭

筑波大学、北海道大学、産業技術総合研究所で、カーボンナノチューブやグラフェンといったカーボン材料の合成技術、電気化学物性に関する研究を行ってきた。専門はナノカーボン合成、電気化学。最近は、同位体分離技術に力を入れており、基礎研究の産業利用による社会貢献を目指している。

重水素を低コストで製造

3種類の水素

自然界には3種類の水素がある。全体の99%以上を占める普通の水素(軽水素)と、その7000分の1程度しかない重水素、さらにそれよりわずかしかない三重水素がそれだ。このうち軽水素より2倍重い重水素は、今の社会においてはさまざまな用途に活用されている。その重水素は、軽水素中の重水素を蒸留し分離して得られる。しかし、そのためには大がかりな装置が必要で、それが製造コストを押し上げていた。

このため日本原子力研究開発機構では、炭素原子からなる極薄のグラフェン膜に着目。この膜が軽水素と重水素を分離するメカニズムを初めて解明した。この成果は重水素を低コストで製造できる革新的技術となる可能性を秘める。

重水素はスマートフォンやパソコン内部の半導体集積回路の高耐久化、光ファイバーの信号の伝搬能力向上に欠かせないものとして活用されている。また、少ない服用で長く効くことが期待されている重水素標識医薬品の開発や、核融合の燃料としても重要な材料となっている。

この重水素を得る手法の一つに蒸留法があるが、その際にはマイナス250℃ほどの極低温にしなければならず、高コストの原因となっていた。一方、炭素原子からなり、わずか1個の原子の厚みしかないグラフェン膜は、常温で水素イオンを通すが重水素イオンはあまり通さない性質があることが報告されていた。しかし、そのメカニズムについては不明だった。

量子トンネル

このため原子力機構では、水素と重水素イオンを生成できる電気化学デバイスを活用。グラフェン膜で水素と重水素が分離するしくみを、実験と理論の両方から精密に評価した。その結果、グラフェン膜には量子トンネル効果と呼ばれる現象が発生し、それによって軽い水素イオンだけが膜を通過できることを突き止めた。

分離能を向上

原子力機構ではさらに、デバイスの改良や膜材料を検討することで、常温での分離能を向上させ、その社会実装をめざす。

重水素は現在、その多くを輸入に頼っており、今後は世界的な需要拡大が予想されている。今回の成果は、低コストでの重水素の国産製造に道を開くもので、これが実現すれば、国内産業分野の国際競争力の向上や、日本のエネルギー安全保障にも貢献できる可能性を持つ。