原子力機構の価値 ~原子力の社会実装に向けて~

日刊工業新聞にて毎週火曜日連載中

037 液化水素の効率的貯蔵

掲載日:2023年8月1日

原子力科学研究所 先端基礎研究センター 表面界面科学研究グループ
研究副主幹 山川 紘一郎

東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了。博士(工学)。専門は分子分光学、表面物理学。分子の核スピン転換やクラスター化についての実験研究に従事する一方で、対称性の観点から、分子の量子状態に関する理論研究を行っている。最近は、安定同位体の分離・利用技術の開拓にも力を入れている。

転換触媒活用で蒸発抑制

2種類ある水素

最も軽い分子である水素。実はこの水素に2種類あることを、ご存知だろうか?その名はオルト水素とパラ水素。これらは核スピン異性体と呼ばれ、原子核の“スピン”という物理量の大きさと、分子の“回転状態”が異なっており、20世紀初頭の量子力学の誕生をきっかけに認知されるようになった。

普通の水素ガスでは、オルト水素とパラ水素が混ざり合い、それぞれがまるで独立の分子かのように振る舞っている。しかし、水素が固化や液化したり、材料の表面に吸着したりすると、オルト水素からパラ水素への転換が起こる。この“オルト・パラ転換”が、エネルギー源として注目されている水素の貯蔵方法と、密接に関わっているのだ。

大量貯蔵向け

水素の貯蔵については、高圧で圧縮する、低温で液化する、合金に吸蔵させる、他の物質に変換するなどの方法が知られており、特に液化法は大量貯蔵に適している。けれども、ここで問題となるのが、せっかく液化した水素の一部が蒸発してしまう、“ボイルオフ”という現象である。

貯蔵容器外部からの熱流入さえ防げば良いと思われるかもしれないが、実は液化水素自身からも熱が発生してしまう。これは、回転エネルギーの高いオルト水素から、低いパラ水素への転換が、液化水素中で数日かけてゆっくり進行するためだ。

この問題を解決するには、転換を促進する触媒を予め用意し、液化前にオルト水素をパラ水素へと変換しておけばよく、そのための効率的な転換触媒が模索されてきた。しかし、オルト・パラ転換がどのようなメカニズムで起きるかについて、いまだ十分に理解されていない。

非磁性材を活用

かつては、転換には磁性を持つ材料が必要と考えられていた。日本原子力研究開発機構ではそれとは異なり、非磁性であるドライアイスの中に水素をトラップすることで、数百秒という時間スケールの“速いオルト・パラ転換”を発見した。

核スピン異性体は、水素分子だけでなく、水やメタンにも存在し、私たちはこれらの分子についても異性体間の転換速度を測定してきた。こうした研究成果は、転換メカニズム理解の礎としての役割を果たし、新しい転換触媒の開発と、蒸発を抑制した液化水素の効率的貯蔵に道を開くことが期待される。