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原子力機構の“いま-これから”

日刊工業新聞にて毎週金曜日連載中

第41回 「原子力」で動く船

核燃料・バックエンド研究開発部門 青森研究開発センター
所長 藪内 典明(やぶうち のりあき)
掲載日:2018年11月30日

稼動した原子炉を保管し展示公開している世界で唯一の施設が、青森県むつ市を本拠地とする当センターにある。1992年に解役した国内初の原子力船「むつ」の原子炉で、それは廃炉の途上にある。「むつ」に機関士として従事した私は、これから何年先になるかわからないが、社会・環境の変化に伴い原子力船の持つ特性に対するニーズが得られ、研究開発が再開されることを期待する。

熱狂下で始動

1969年に当時の皇太子妃が支綱を切り、佐藤栄作首相が拍手で見送る中で進水した原子力船「むつ」。造船海運国であった日本が、自らの手で原子力船の技術の確立を目指して取り組んだこのプロジェクトは当初、国民的な熱狂の下でスタートした。

しかし、1974年に太平洋上で出力上昇試験中に、放射線漏れが発生。この事故をきっかけに「むつ」の運命は暗転する。炉内の高速中性子が遮蔽体の隙間から漏れ出たもので、その量はわずかだった。しかしながら、この事故は大々的に報道され、定係港であった大湊港では地元の漁業者らが中心になって帰港への反対運動が巻き起こる。

見事に荒海航行

その後、「むつ」は佐世保で改修工事が行われ、1988年に新定係港である関根浜港へ移動。1991年から約1年にわたる実験航海を始めた。

そして私は当時、機関士としてこの「むつ」に乗船していた。冬のアリューシャン列島沖合では、瞬間最大波高約11メートルの大波に遭遇。操舵性はもとより、繰り返される急な加速や減速、前進、後退にともなう出力変動にも十分に対応できたこの船の力強さ、反応の良さは本当に驚きで、そのおかげで無事に荒海を乗り切ることができた。

その「むつ」は原子動力機関で地球2回り以上の距離を航海し、翌1992年から、解体工事に着手。原子炉を遮へい体ごと一括撤去して陸上に保管・管理する「撤去隔離」方式を採用し、1996年に解体を終了した。

国内技術による原子力第1船として「むつ」は、放射線漏れなどの技術面や政策的な紆余曲折はあったが、設計、建造および運航を成功裏に終了し多岐にわたる技術的成果を得て、その役割を果たしたといえよう。

「むつ」の解体工事によって船体から切り離された原子炉室は現在、青森県にあるむつ科学技術館で保管し展示している。稼動した原子炉を展示しているのは世界でもここだけで、現在もむつ市の人口の4分の1に当たる年間延べ1万5千人の来館を得て、原子力の理解促進に役立っている。

小型炉候補

「むつ」の成果により、わが国の原子力船の設計、建造運航に係る技術基盤は確立できた。「むつ」プロジェクト以後も小型、軽量化や安全性、信頼性向上を目指した船舶用原子炉の工学的設計研究を継続し、建造の見通しを得て2005年、研究開発に区切りをつけた。とりわけ、急な出力変動への対応や、大きな揺れにも耐えうるこの原子炉の構造は将来、耐震性に優れた小型モジュール炉への適用も考えられよう。

あれから10年以上経過したが、いまだ、世界を見ても通常海域で使われる平和利用の原子力船の姿はない。地球温暖化や低炭素社会の確立など、社会・環境は大きく変化しており、原子力船の持つ特性に対するニーズが再び高まり、研究開発が再開されることを大いに期待するところである。