大きな分子であるタンパク質の立体構造を構成する水素結合(水素原子同士の結合)は複雑な立体構造を保ち、酵素として触媒反応を行う際にも重要な役割を担っている。その水素結合のなかでもひときわ高いエネルギーで結びついた「低障壁水素結合」(LBHB)という特殊な相互作用が蛋白質にも存在し、蛋白質の働きを支えていることが世界で初めて証明された。この成果は、奈良先端科学技術大学院大学(学長:安田 國雄)物質創成科学研究科博士後期課程3年山口繁生、上久保裕生准教授、片岡幹雄教授(日本原子力研究開発機構客員研究員を兼任)の研究グループが、独立行政法人日本原子力研究開発機構(理事長:岡ア俊雄)量子ビーム応用研究部門中性子生命科学研究ユニット生体分子構造機能研究グループ黒木良太研究主席、栗原和男研究副主幹との共同研究で、光合成に関わる光受容タンパク質(イェロープロテイン)を材料に、高分解能中性子結晶構造解析という方法を開発し、成功したもの。特殊な結合は仮説として存在が予想されながら見つからないため、蛋白質では謎の水素結合として20年にわたる論争が続いていた。今回、光情報伝達の新たなメカニズムも解明されており、今後、酵素を活発に働かせる構造をつくるなどあらたな設計原理による創薬の道を開くことになる。
「低障壁水素結合」は、高圧下や結晶の内部など特殊な条件下においた有機低分子で形成されることは知られていた。タンパク質では、1990年ごろから、消化酵素が反応する際に、途中でできる中間体内部で過渡的に形成され、触媒反応を引き起こしていることが提唱されているが、直接的な証明はなく、存在するかどうか論争になっていた。今年、ノーベル化学賞を受賞した下村脩・ボストン大学名誉教授が発見したオワンクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)の発光も「低障壁水素結合」が関係しているとされている。
今回の研究では、イェロープロテインが反応していない状態(基底状態)でも低障壁水素結合が安定に存在していることを突き止めた。さらに、これまでは通常の水素結合を形成していると考えられていたため、活性中心は負の電荷を持っているとされていた。この負電荷を安定化するため反応部位にあるアミノ酸の一種、アルギニンが正に荷電し、電気的な中性を保っていると考えられていたが、今回の解析ではこのアルギニンも電荷を持っていないことを明らかにした。
これにより、低障壁水素結合が、タンパク質分子内部の疎水的環境でも孤立した負電荷を安定化させていることを示した。また、光を吸収することにより通常の水素結合に変わることで、光情報がタンパク質に伝わると言うこれまで知られていなかったメカニズムを提唱することに成功した。さらに、低障壁水素結合が形成される要因も明らかにした。
この研究成果は、タンパク質の構造安定性や機能発現の分子機構の理解を深めるばかりでなく、低障壁水素結合を任意に作り出すことによって、より強固な分子間相互作用を設計するという新しい創薬のデザイン原理を与えると期待される。
タンパク質の機能のほとんどが、構成する分子から水素原子が抜け出すか、吸着するかの反応で進行する。この反応は主に水素結合を介して起きる。したがって、蛋白質の機能のメカニズムを理解するためには、水素原子の位置を含めて構造を明らかにしなければならない。
通常、タンパク質中でみられる水素結合は、ドナー(水素供与原子)と呼ばれる原子に共有結合した水素が弱く正に帯電し、他の弱く負に帯電したアクセプター(水素受容原子)と呼ばれる原子との静電相互作用によって生じる(図1左)。
一方で、固体中の有機低分子などでは、ドナーとアクセプターの2つの原子に水素原子が同時に共有された「低障壁水素結合」が形成されることがある(図1右)。通常の水素結合では、ドナーとアクセプターの距離(水素結合距離)は2.6〜3.5Å程度、結合エネルギーは1モルあたり数キロカロリー程度であるのに対し、低障壁水素結合では、その距離は極端に短くなり、結合エネルギーも共有結合に匹敵する(1モルあたり数10キロカロリー)。
それに加え、水素原子が2つの高い負の電荷を持つ原子に共有されることによって、これらの原子のほぼ中心付近に存在する。従って、通常の水素結合と「低障壁水素結合」は、水素原子位置を指標として区別することができる。
タンパク質においても、1990年代、セリンプロテアーゼなどで、低障壁水素結合の特徴の一つである、短い水素結合距離を示す水素結合の存在が報告され、低障壁水素結合のもつ高い結合エネルギーが、高効率な触媒反応を実現しているとの仮説が提唱されていたが、その存在は証明されていなかった。タンパク質中の水素原子は、X線構造解析など従来の測定手法では直接観測することが困難である(図2)。片岡教授らは、世界に先駆けて、中性子結晶構造解析と高分解能X線結晶構造解析を併用した構造解析法を考案し、イェロープロテインに存在する、ほぼすべての水素原子位置を決定することに成功した。この結果、タンパク質の基底状態で「低障壁水素結合」が存在することを世界で初めて証明した(図3)。
タンパク質内部は疎水的であるため、孤立した電荷は非常に不安定な状態にある。このため、タンパク質内では、正のイオンと負のイオンが対になって存在している必要がある(対イオン)。イェロープロテインでも、反応中心は負のイオンとなっており、対イオンにより孤立した負電荷が安定化されると信じられてきた。
今回、片岡教授らは、「低障壁水素結合」に加え、対イオンと信じられていたアルギニンが電荷を持っていないことも明らかにした。これにより、「低障壁水素結合」自身が、タンパク質内の孤立電荷が安定化に寄与していることが明らかとなり、蛋白質に対する新しい物理化学的な役割が始めて明らかにされたことになる(図4)。
さらに、本研究から、「低障壁水素結合」は、2つの電気陰性度の高い原子が、同程度の水素原子親和性を示す時にのみ、生じる結合であることが明らかになった。水素原子に対する親和性は、水素結合に関与する反応基の電子状態に密接に関係するため、外的刺激によって、反応基の電子状態が変化すれば、その大きな結合エネルギーに相反して、容易に「低障壁水素結合」を切断することができる。イェロープロテインでは、この性質を利用し、反応中心が光を吸収することによって生じる電荷移動が、「低障壁水素結合」から通常の水素結合へ切り替わり、タンパク質部分への迅速な光エネルギー・光情報移動を実現していることが明らかとなった(図5)。
これらの機構は、これまで、全く考えられてこなかったものであり、今回の低障壁水素結合の観測によって、初めて明らかにされた。これらの発見は、タンパク質の触媒機構やエネルギー変換、情報伝達機構に対して新たな知見を与えただけでなく、今後、「低障壁水素結合」を考慮した新規の創薬デザイン法の考案につながると期待される。
以上