核燃料サイクル開発機構
理事 敦賀本部長代理

菊池 三郎

プルトニウム利用政策と「ふげん」

 発刊にあたり、「ふげん」が世界に残した実績について述べさせていただきます。
 日本は、エネルギーの約80%を輸入に頼っています。日本は経済大国と呼ばれながらもそれを支えるエネルギーが国内では確保できない地勢上の制約があります。日本の発電における中心は石油から原子力やLNGに移り変わっています。その発電量における原子力の割合は、約35%となっていますが、燃料となるウランも輸入しており、限られた資源であります。使用済み燃料からウランとプルトニウムを回収し再利用することが非常に大切なことになります。私たちは再利用システムである核燃料サイクルの確立にこの30年間一貫して努力してきております。
 一方、原子炉技術についても海外導入から脱却し、国益確保の観点から可能な限り国産技術を自主的に開発することが国の方針とされました。エネルギーのセキュリティーと安全安定供給を目標として、核燃料サイクルの自立を目指すことを国策としたものです。このような開発戦略において、新型転換炉はその柔軟な炉心特性及び軽水炉の技術と経験が活用できることから、早期に減損ウランやプルトニウム利用など核燃料の効率的利用の実証が期待される炉型として自主開発が決定されました。これが「ふげん」プロジェクトの誕生です。
 昭和52年3月、東海再処理工場は運転を開始する段階にありましたが、米国のカーター大統領の政策は、核不拡散の観点から「再処理の無期延期・プルトニウムの利用禁止」を掲げていました。再処理工場の運転を始めるには協定上、米国の事前了解が必要でした。同年9月にはようやく交渉が成立し、運転を開始しますが、「核不拡散」について米国の厳しい政策が顕著になりました。その年の10月からはIAEAの場において約2年半にわたる国際核燃料サイクル評価(INFCE)会議が行われました。私も日本代表の一員だった当時の様子を昨日のことのように想い起こします。この会議では核不拡散と原子力平和利用の両立が可能であるかが議論され、その結果プルトニウムの商業利用が是認されるに至りました。
 この議論の過程において、実際にプルトニウムを「燃やして、消費」できる「ふげん」の存在が、この商業利用への道を開くことに大きく貢献しました。「ふげん」は、日本が平和目的にプルトニウム利用を推進するという政策を裏付ける点で重要な役割を果たしたわけです。
 「ふげん」は、決してはなばなしく注目される存在ではなかったと思います。しかしながら、プルトニウムの利用の推進においては、世界に誇りうる実績を残しました。この「ふげん」の実績はプルサーマルと「もんじゅ」に引き継がれると確信します。「ふげん」に対するこれまでのご協力・ご支援に感謝申し上げると同時に、「もんじゅ」に対する今後ますますのご指導ご鞭撻をよろしく、お願い申し上げます。



前頁

目次

次頁