第10章 ATR実証炉プロジェクト

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第10章 ATR実証炉プロジェクト

  ATR実証炉(以下、「実証炉」という)の開発は、昭和48(1973)年度から昭和58(1983)年まで「合理化設計」等を進め、電気出力60万kWのプラントとして取りまとめた。原子力委員会は、昭和57(1982)年に実証炉の建設・運転を電源開発(株)(以下、「電源開発」という)が行うことを決定した。電源開発は、青森県大間町への建設計画を進めていたが、平成7(1995)年8月の原子力委員会決定により、実証炉建設計画は中止されることとなった。
実証炉の開発そして中止に至った経緯、実証炉の設計成果等を以下に述べる。


10.1 実証炉計画の誕生と推進1), 2)
 実証炉開発の目的は、「ふげん」の設計、建設、運転及びこれらに関連した研究開発によって得られた知見と軽水炉の経験を反映して、大型化に伴う技術の実証及び経済性の見通しを得ることであった。
実証炉の設計研究は、昭和44(1969)年「ふげん」の建設開始にあたって、新型転換炉の評価検討(チェック・アンド・レビュー)が、原子力委員会の新型転換炉評価検討専門部会によって行われた際に、
  今後実施すべき研究開発項目として「実用炉評価研究」が採り上げられたことに始まる。
その後、「ふげん」の設計、建設が順調に進捗している成果を踏まえ、昭和49(1974)年1月に「ふげん」担当のメーカー〔(株)日立製作所、住友重機械工業(株)、(株)東芝、富士電機(株)、三菱重工業(株)〕、電源開発からなる「新型転換炉評価研究専門委員会」を設け、経済性、特に建設費の低減が見込まれる大型炉の基本構想について審議した。以後、概念設計、調整設計及び合理化設計と段階的に進められた。実証炉開発の経緯を表10.1.1に示す。
 基本構想の検討において、電気出力を60万kWとし、炉心計画、原子炉本体構造の検討が行われた。昭和50(1975)年から54(1979)年にかけて実施された概念設計では、建設費の低減を目的に圧力管の太径化、60本クラスタ、炉心上方からの燃料交換方式等の検討も行ったが、最終的に実証炉の設計は、「ふげん」方式を踏襲することとした。この設計で、基本構想の検討で示された実証炉の具体化を図り、原子炉本体、原子炉冷却系及びプラント各設備の概略設計を行い、プラントの全体概要を明らかにした。

表10.1.1 ATR実証炉開発の経緯



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