第2章 「ふげん」プロジェクトの誕生

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第2章 「ふげん」プロジェクトの誕生

2.1 ATRプロジェクト誕生の経緯
2.1.1 国産動力炉の開発
 原子力開発を先進国より10年遅れてスタ−トした我が国は、優れた性能の研究炉を建設して開発の武器を保有するとともに、この建設を通して、原子炉の設計・建設・運転管理の技術を修得する方針をとった。
 1960年代、この研究炉(JRR−2、JRR−3)が稼働し、材料試験炉(JMTR)も具体化したことを受け、これらを活用して自主技術で国産動力炉を開発する気運が高まってきた。
 当時、日本は半均質炉と熱中性子増殖炉の実現を目指した水均質炉の開発を進めていた。しかし、前者は冷却材の主流として開発してきたビスマスに対してヘリウムが適当と評価され、後者は炉内における液体燃料の流動不安定性からアメリカで開発が中止され、両開発とも中止される情勢にあった。
 原子力委員会はこのような趨勢にかんがみ、昭和37(1962)年7月、「動力炉開発専門部会」を設置し、我が国で育成された技術を基盤に、将来性ある動力炉を自らの手で設計・建設・運転し、原子力の総合技術を強化育成することを目標に検討を進めた。「動力炉開発専門部会」は、1年近い審議の末、炉型を選定するまでには至らなかったが、「高速増殖炉はその重要性にかんがみ別に開発を進めることとし、我が国で開発する国産動力炉は既成炉の改良型でなく実験開発段階の新しい転換炉で、核燃料サイクルの観点から天然ウラン、または低濃縮ウランを使用する基本路線を守るのが適当である。」との提言を行った1)
 原子力委員会は「動力炉開発専門部会」の報告書を受け昭和38(1963)年6月12日、我が国の開発する「国産動力炉」を“天然ウランあるいは微濃縮ウランを使用する重水炉”に決定した。日本原子力研究所(以下「原研」)は、直ちに、国産動力炉開発室を設置し、
(1)炉心特性の技術評価
(2)冷却材選定のための概念設計
(3)世界における重水炉開発の調査
 を進めた。
「国産動力炉」の開発が開始されて 1年有余、原研は「国産動力炉の開発炉型選定に関する中間報告書」をまとめたが、カナダ及びフランスからの開発協力の提案もあり、開発炉型の第一候補を沸騰軽水冷却型、第二候補を炭酸ガス冷却型とし、開発炉型を一つに絞り込めなかった。
 折から、「第3回ジュネーブ会議(1964年9月)」が開催され、原子力開発の先進国は大規模の開発費と大型実証試験装置などを駆使し、国際協力を行いつつ動力炉開発を進めていることが明らかになった。これにより、我が国の動力炉開発に関する技術力と開発施設が世界に大きく立ち遅れ、我が国の動力炉開発計画を再構築する必要性があると関係者に強く認識されることとなった。

2.1.2 「動力炉開発懇談会」の活動2)
 このような情勢を踏まえ、昭和39(1964)年10月7日、原子力委員会は我が国の動力炉開発の推進方策を再検討して今後の基本方針の策定に資するため、「動力炉開発懇談会」を設置した。
 本懇談会では、核燃料事情を含め、内外の原子力開発情勢などを考慮して、在来炉から高速増殖炉に至る各種動力炉の基本開発計画が検討された。政府・民間の役割、財政負担、技術者の確保、国際協力に配慮するとともに、開発の体制・規模などの面で各計画相互の関連も検討された。特に、我が国の事情を考慮して、原子力開発の10年の遅れを如何にして取り戻し、原子力先進国に追い付くかが審議の焦点になった。
 一方、原子力委員会から派遣された「動力炉開発調査団」により、原子力先進国の動力炉開発における核燃料政策を考慮し、経済性を重点に国際協力で進められていること、カナダを除き、高速増殖炉の開発と並行して改良転換炉の開発も進められていることが明らかになった3)
 動力炉開発懇談会に、新型転換炉ワーキンググル−プが設置され、各種炉型の評価、開発炉型の選定、原型炉出力と必要な開発費が評価された。
 その結果、開発炉型は、重水減速沸騰軽水冷却炉と重水減速炭酸ガス冷却炉が選定され、原型炉出力


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