第1章 「ふげん」プロジェクト総論

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の運転を通して蓄積された知見、経験が活かされている。
 また、近年では文部科学省が実施している原子力研究交流制度に基づいて、近隣アジア諸国における原子力開発の安全で健全な発展のため、毎年多くの研修生を「ふげん」に受け入れて、ATR開発が実現した自主開発の精神と成果や「ふげん」での運転管理の高度化や安全性向上への取組を学んでもらっている。これは我が国が原子力開発の初期に欧米の原子力先進国から多くのことを学び、それらが芽を吹き育ち、自主開発技術として結実するに至ったことへの恩返しでもある。

参考文献
1)若林利男、望月弘保、他:“チェルノブイリ原子力発電所事故解析”、日本原子力学会誌、Vol.128、No.12 (1986)、p.1153、(1986)
2)若林利男、望月弘保、他:“Analysis of the Chernobyl Reactor Accident(I). Nuclear and Thermal Hydraulic Characteristics and Follow−up Calculation of the Accident”、Nuclear Engineering and Design、103(1987)、p.151、(1987)


1.5「ふげん」に続くもの
 「ふげん」はATR開発プロジェクトにおいて大きな成果を挙げてきたが、ATRプロジェクトは実証炉の建設が中止となり、当初の目標の一つであった“経済性のあるものを原子力発電計画に組み入れる”ことはできなかった。「ふげん」の運転開始から3年後の昭和57 (1982)年にはATR実証炉の建設計画が決定、翌年、実証炉の基本設計が建設主体の電源開発に引き渡された。しかしその後約10年間にわたって計画は遅延し、その間効果的な合理化設計が十分に行えない一方、軽水炉では国の支援の下、ユーザーである電気事業者が主導的に標準化と大型化を推進し、経済性が向上したことやプルサーマル計画が進展しATRでのプルトニウム利用を軽水炉が代替し得る見通しも得られ、これらのことが実証炉計画中止の原因となった。この意味において、ATRは原子力長計がいう軽水炉から高速増殖炉への補完炉としての役割を果たしたともいえるが、ここには開発に長い年月と多額の費用を要する大型プロジェクトを推進する開発体制における課題が伺える。
 「ふげん」プロジェクトにおいては、ユーザー(運転主体)と技術開発主体が同一であり、設計から建設、運転まで一貫した開発体制の下、技術支援
も受けやすく技術的課題やユーザーニーズにも即応できる体制が構築でき、統一的な目標の下にプロジェクト推進が可能であった。他方、実証炉計画においては原子力長計の中で、エンドユーザーとしての電気事業者、開発建設主体の電源開発、技術支援を行うサイクル機構とメーカーと三者の立場と役割が明確にされた。しかしながら、その後の原子力を取り巻く国内外のエネルギー需給や社会環境の変化に、三者間で統一的な対応が取れなかったことが、計画の推進に大きく影響したものと思われる。
 「ふげん」の運転終了後も、核燃料サイクルを確立してプルトニウムを利用するという我が国の原子力利用の基本的な考え方は変わることはない。原子力の利用がエネルギー確保の単なる―選択肢ではなく、セキュリテイ確保の柱であるとの信念を思い起こせば、原子力黎明期の先達が原子力の自主開発路線を掲げた先見性が改めて評価される。
 ATR開発あるいは「ふげん」の開発、運転において培われた技術や育成された人材は、今後、軽水炉におけるプルサーマルそして高速増殖炉開発での利用へと引き継がれ、有効に活かされ役立てられていくと確信する。


1.6 あとがき
 ATR開発を振り返ってみると、新しい技術へのチャレンジの連続であった。技術的には実証主義に基づく堅実な技術開発が行われた。これが「ふげん」が技術的に大きな失敗を経験しなかった大きな理由である。これを可能としたのは、開発から建設、運転と一貫した体制の下、プロジェクトに携わった電気事業者、メーカー、研究機関などからの人的な協力をはじめ、国内の原子力技術の結集がほぼ満足すべき水準で行われたことである。
 そして、新しい型の原子力発電所を自らの手で研究し、設計、建設して良好な運転実績を残したことが、どれだけこのプロジェクトに参集した技術者の自信につながり、我が国の原子力開発に大きな貢献を果たしてきたのか計り知れない。現在、「ふげん」プロジェクトに参加したこれらの人々は、原子力をはじめ我が国の基盤である科学工業技術を支える様々な分野の組織、企業体などで活躍されている。この人的財産を得たということも、また、「ふげん」プロジェクトの大きな成果であった。
 「ふげん」は運転終了後、廃止措置の段階に入り、新たな役割を担うことになる。すでに平成9 (1997)


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