第1章 「ふげん」プロジェクト総論

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計・建設によるATR型炉の発電プラントとしての技術的成立性を立証することである。

1.3 核燃料サイクル確立の先導的成果
 原子力政策の具体的かつ計画的推進を図るため、国は昭和31 (1956)年「原子力開発利用長期計画(原子力長計)」を策定し、以後、開発の進捗状況や国内外のエネルギー情勢に対応して、適宜、計画を見直してきた。原子力長計において、プルトニウムリサイクル利用を柱とする基本方針は一貫していたが、ATRは、濃縮ウラン需給の国際情勢や国産濃縮技術の見通し、軽水炉技術の成熟などATRを取り巻く情勢、ATR自体の実証炉計画の遅延など、諸状況の変化に応じて、その核燃料戦略上の役割を変遷させ、プルトニウムセルフサステインによるプルトニウム供給炉から、プルトニウム燃焼炉として、プルサーマルから高速増殖炉への移行を補完する炉へと変わった。
 「ふげん」の設計から建設、運転も、まさにその変遷の中にあったが、ATRが持つ柔軟な炉心特性ゆえ、炉型や炉心構造を変えることなく対応することが可能であった。「ふげん」はその25年間の運転期間中に、単一炉としては世界最大の772体のMOX燃料を使用するという実績を挙げている。それは単に「ふげん」でのプルトニウムの本格利用の成功にとどまるだけでなく、東海再処理工場で軽水炉燃料から回収したプルトニウムの利用や「ふげん」自身の使用済MOX燃料から回収されたプルトニウムの再利用により、国内でのプルトニウムサイクルの輪を初めて完結し、更には軽水炉燃料から回収された減損ウランや人形峠濃縮プラントで回収された劣化ウランをMOX燃料に再利用し、ウランサイクルの輪も完結させるという、まさに我が国の原子力政策の基本である核燃料サイクルの確立を体現する大きな成果である。
 このように「ふげん」は、我が国における核燃料サイクルの技術開発の牽引的役割を果たしながら着実に実績を積み上げ、プルトニウムの本格利用を先導的に具現化・実証して我が国の核燃料サイクル技術の蓄積・広がりに貢献するとともに、プルトニウムの平和利用に対する国内外の理解を深めてきたことは、「ふげん」プロジェクトが大きな成功を納めたものと評価される。
1.4 自主技術開発としての成果
 ATRの開発は、我が国が原子力開発を始めた当初からの希求である“国産動力炉の開発”が具体化したものであり、その基本的な開発方針は昭和38(1963)年に原子力委員会が決定した「国産動力炉開発の進め方」で示された、“設計から建設まで一貫して自主的に開発し、あわせてそれにより国内技術水準の向上を目指ずものとされた。一方で、ATRにはプルトニウムを含む核燃料の効率的利用の早期実証を可能にするために、早期実用化に即応しなければならない要求もあり、「ふげん」の開発にあたっては海外技術を有効に吸収する(国産化)ことも必要とされた。
 このような中で、“自ら設計、自ら重要機器の技術を確立”、“既存技術は極力利用するが、自ら評価、必要とあれば自ら検証”するといった理念が生まれ、それらは原子力黎明期の多くの人々の心を引き付け、信念として「ふげん」の設計、建設、運転にわたって貫き通されてきた。「ふげん」プロジェクトがこれまで経験のない大規模な国家プロジェクトで、長期にわたり多額の資金と多数の人材を要するにもかかわらず、産官学の相互協力と多くの人々の積極的な参加を得て、多くの成果を挙げてこられた一因でもある。
 大洗工学センターに国内では画期的であった実規模試験施設(重水臨界実験装置、安全性試験施設、大型熱ループ、コンポーネントテストループ)を設置し、多くの実験や試験を行い、炉心の核特性や伝熱流動特性、事故時の冷却特性など設計に必要なデータを自ら採取し評価、検証し、独自の設計手法や解析コードを開発する、またATR特有の炉心を構成する機器については、試作、試験、改良と地道な作業を積み重ね、性能や信頼性、耐久性を実証するなど、開発の理念は具体的な行動として発揮された。更には当時商業炉では輸入に頼っていた再循環ポンプや逃し安全弁、主蒸気隔離弁など原子炉周りの重要な機器の国産化に踏み切ったのもその表れであった。これらの試験や開発は、我が国の研究者や技術者の技量向上と自信につながるとともに、関連機器メーカーの育成を促すこととなった。また、実規模で試験する技術・手法等はその後も発展をとげ、国内の同様の大規模試験へも反映されるなど我が国の原子力開発の技術水準向上、産業基盤の底上げと強化に貢献した。
 「ふげん」の建設は昭和45(1970)年に開始され


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