第1章 「ふげん」プロジェクト総論

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第1章 「ふげん」プロジェクト総論

1.1 はじめに
 昭和53(1978)年3月20日、「ふげん」はウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料22体の炉心装荷により、最小臨界を達成した。我が国のエネルギーセキュリテイを担う国家プロジェクトとして、国産技術を結集して建設された新型転換炉(ATR)原型炉として最初の大きな成果であった。その朗報は、折しも前年に誕生した米国カーター大統領の提唱で設立された、原子力の平和利用と核不拡散を両立させるための国際核燃料サイクル評価(INFCE)会議に報告された。当時、米国内では日本のATRプロジェクトに関する一連の論文1)から、「ふげん」は原子力平和利用と自主開発によるプルトニウムリサイクルを基本とする“日本の原子力政策を映す鏡”2)として評価する声があがっていた。当初、天然ウランを利用する発想から生まれたATRは、その優れて柔軟な炉心特性ゆえ国内外のエネルギー事情によってプルトニウム利用戦略における役割を変遷させたが、「ふげん」の初臨界当時ぱプルトニウム燃焼炉”の役割を担っていた。
 以来、「ふげん」は25年にわたりMOX燃料による安定運転を継続し、核燃料サイクルの輪を我が国として初めて完結するなど、初の国産発電プラントとしてのATR型炉の技術的成立性を実証するとともに、核燃料サイクルの中核的役割を担い、技術的かつ政策的にもプルトニウム利用の国内基盤を醸成させ、まさに日本の原子力政策を体現してきた。
 このように「ふげん」は、我が国の原子力技術基盤を底上げしながら、核燃料サイクルを先導的に具現化、実証するとともに、我が国のプルトニウム平和利用に対する国内外の理解を深めることに貢献してきたが、ATR実証炉の建設が遅延する間、有力なプルトニウム利用戦略の一つである軽水炉でのプルトニウム利用(プルサーマル)計画が進展し、ATRでのプルトニウム利用を軽水炉が代替し得る見通しが得られたことなどにより、ATRプロジェクトは中止となり、「ふげん」も平成15(2003)年3月末で運転を終了し、平成15年9月末をもって新型転換炉の開発業務を終了することとなった。しかしながら、「ふげん」が成し遂げた有形無形の業績は、今後我
が国の核燃料サイクルを担うプルサーマルやフルMOX軽水炉、更には高速増殖炉「もんじゅ」へと引き継がれ、有効に活用されることが期待される。
参考文献
1) INFCE/WG4/54(B)/Rev-1,"Fuel cvcle in Japanese Fugen- HWR", (1978)
2) Arnold kramish :"Fugen ; A Mirror of Japan's Nuclear Policy, the Sigunificance for the U.S. and INFCE", (1979)

1.2 「ふげん」プロジェクトの意義
 昭和41(1966)年5月、原子力委員会は「動力炉開発の基本方針について」を発表し、“核燃料の安定供給と効率的利用を図るべく、国内における核燃料サイクルの確立”を基本とする、今後の我が国の核燃料政策及び動力炉の開発に関する基本計画を決定した。あわせて、これらの計画の推進にあたっては我が国の科学技術水準の向上と産業基盤の強化に資するため、可能な限り自主的に開発することが謳われた。核燃料の国際サイクルをベースにした国内サイクルや海外技術の導入という考え方が依然存在する状況の中で、我が国のエネルギーの安定供給とセキュリテイ確保を究極の目標として、核燃料サイクルの自立体制の確立を目指すことを宣言したものである。このような核燃料戦略において、ATRはその燃料多様性の点で極めて柔軟な炉心特性及び軽水炉の技術と経験が活用できることから、早期に減損ウランやプルトニウムなど核燃料の効率的利用の実証が期待される炉型として自主開発が決定され、原型炉「ふげん」は建設された。
 以上のように、「ふげん」は国家プロジェクトとして二つの大きな使命を担っていた。一つは我が国の原子力政策、すなわち自立した核燃料サイクルの確立という国家戦略の先兵として、世界に先駆けてプルトニウムの本格利用を実証すること、二つ目は、“自主開発”の言葉に集約されるように、在来軽水炉の技術を有効に活用しつつ、我が国における巨大産業技術の育成と成熟を促し、関連産業の基盤強化やインフラストラクチャー整備、技術水準向上など産業構造の高度化に寄与するとともに、自らの設


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