2014年2月3日付でフランスの国防安全保障事務局(SGDSN)が「重大な原子力または放射線事故に係る国家対応計画(以下、「国家対応計画」といいます。)」[1]を公表しました(7月1日付で英語版も公開されました[10])。
フランスは国家対応計画、すなわち国レベルのORSEC 計画(第13回原子力防災情報を参照)をこれまで策定していませんでした。しかし、2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故を受け、2012 年1月に発令した首相通達「重大な危機の対策のための政府組織に関する2012 年1 月2 日の首相通達第5567/SG号」[2]に基づいた原子力災害に対する国レベルの対応計画を初めて策定しました。
第13回の原子力防災情報で、フランスの緊急時モニタリング体制を紹介し、そこでは、フランスの災害に対する緊急時対応体制についても簡単に紹介しました。今回は、この新たな国家対応計画について、特に従前からのフランスの原子力防災体制との違いに絞って紹介します。従前のフランスの原子力防災体制については既にいろいろなところで紹介されていますので、それらをご参照ください(例えば、原子力機構の研究開発報告書[3,4]等。)。
これまでのフランスの原子力防災に係る計画は、特定の施設、すなわち原子力施設を対象にした緊急時計画である特別介入計画(PPI) であり、県のレベルで作成されるものでした。しかし、公衆と環境に甚大な被害を与える重大な事故は極めて発生する確率は低いとされていたにもかかわらず、日本で福島第一原子力発電所事故が発生したことから、フランスは国としても、ほとんど起こらないような状況についても対策を講じるべきであると方針を変えました。
フランスでは国レベルのORSEC 計画、すなわち日本の防災基本計画に相当する災害対応計画がなく、「民間安全保障の刷新に関する2004 年8 月13 日の法律第2004-811 号」[5]で運用することになっていましたが、様々な状況想定に対応できるようにするため、国家対応計画で、国内の各機関の役割やそれを取り仕切る司令塔機能をより具体的に定めました。
フランスでは従前から国レベルの緊急事態に省庁横断危機対策本部(CIC:Cellule Interministérielle de Crise)を中央政府内に設置します。しかし、重大な危機に対する国の対応力を強化するため省庁横断的な枠組みの必要性を勧告した2008年の「国防・安全保障白書」[6]を受けて、SGDSNによって行われた総合防災訓練や2009年のインフルエンザパンデミックの対応経験を基にCICの運用方法を検討してきました。この結果として、2012 年1月に発した前出の首相通達[2]により、CICの運用が見直しされ、関係省庁や国内の各機関をまとめる司令塔機能をより強化した新しい仕組みとして正式に発足することになりました。今回の国家対応計画は、この新しいCICの仕組みを導入したものです。
国家対応計画は、本文とその付属書から構成されています(表1)。
本文は大きく2つに分かれ、前半には上述したようなPPIの範囲を越えた重大な原子力または放射線事故に対応する国の緊急時対応体制や関係機関の情報伝達について考え方が記載されています(概要を後述の(3)及び(4)で紹介します)。また次の8項目について対策の考え方等が記載されています。
この8項目の対策の考え方等については、福島第一原子力発電所事故以前からあった従前のフランスの原子力防災の考え方からほとんど変更されていません。例えば、主要な公衆の防護対策として屋内退避や避難、安定ヨウ素剤の服用の3つがあり、さらに、屋外活動や(食料の)消費の制限は状況によって実施するとありますが、これらは従前のPPIの記載と大きな違いはありません [3,4] 。 屋内退避や避難、安定ヨウ素剤の服用の実施基準は、ICRP1990年勧告や2009年11月の安定ヨウ素剤の服用基準の見直し[7]により既にフランス国内で以前から採用されており、以下のとおりとなっています。
また、緊急事態解除と事故後管理に係る事項は、2010年から2011年の原子力事故後管理運営委員会(CODIRPA)の各ワーキンググループの検討結果が反映されています[8] 。
本文後半は意思決定のためのガイドとなっています。付属書は、本文後半のガイドに添付された個別対策要領書です。この意思決定のガイドと個別対策要領書については、後述する(5)で概要を紹介することとします。
原子力または放射線の緊急事態に係る国の組織は、CICを中心にした危機対応組織を基本にして、原子力や放射線に係る特有の分野が補足されたものです。図1にこの組織体制を示します。
危機管理の最高責任者は、首相であり、共和国大統領と連携、相談した上で、政治的指揮や危機への戦略を決定します。首相は、事象の性質や危機のタイプあるいは政策的方向性に応じて、危機管理の実行権限を委譲する大臣(以下、「担当大臣」といいます。)を指名します。首相通達[2]によれば、領土内で発生した危機においては内務大臣を、国外で発生した危機に対しては外務大臣を担当大臣とします。
担当大臣を政府全体、特にエネルギーや環境、保健に係る大臣が支援する形で危機対応がなされるため、CICには関係するすべての省や公安当局、当該分野の専門家、事業者代表が適切に一堂に会することとされています。原子力あるいは放射線に係る事故災害の対応において特に配慮された点は、CICには原子力安全規制局(ASN)、あるいは軍の原子力施設であれば国防核安全規制局(ASND)を含むすべての関係省庁が招集されますが、危機管理の実行権限を担当大臣が有しているとしても、ASNの規制当局としての独立性が失われるわけではないとされていることです。さらに、ASNを技術的に支援している放射線防護研究所(IRSN)や原子力の開発を担っている原子力・代替エネルギー庁(CEA)の代表者も、担当大臣の判断でCICに招集され、専門家の立場からその支援を担うとしています。また、首相は、特にその判断が必要と考えられるときは、“原子力又は放射線緊急事態に対する省間委員会(CICNR)” をCICに参集させます。この委員会は、原子力または放射線事故時のための省庁横断的な特別会合です。
以上のように、CICは日本の首相官邸に設置される政府災害対策本部に相当し、また、防災基本計画に記載された日本の政府災害対策本部とよく似た体制であるということができます。
CICの立ち上げは首相が判断しますが、その後、CICは本来の機能を発揮するようになるまでにいくらかの時間を必要とします。しかし、緊急事態はその間も続いており、CICが立ち上がる前に事態が悪化することも十分考えられます。そのため、国家対応計画では、CICが立ち上がるまでの初動の連絡と情報伝達の強化に重点が置かれています。図2に初動における緊急情報伝達の流れを示します。図中の破線は軍事施設で緊急事態が発生したケースを示しているのでここでは説明を割愛します。
初動における緊急情報伝達の経路の一つは、自然災害や軍事的な危機、あるいは原子力事故災害等も含むすべての緊急事態に共通したものです。事業者から県、管区を経て内務省に、内務省からSGDSNを経て首相に伝達されるとともに、さらに内務省からASNを含む各省庁の対策本部へ伝達されます。原子力あるいは放射線に係る事故災害の場合は情報伝達が二重化されており、もう1つの経路が用意されています。事業者から直接規制官庁であるASNに通報され、ASNから内務省に伝達される経路です。ASNは、いずれの経路であろうと、得た情報をIRSNやCEA、並びに放射性物質の拡散予測等で重要な気象データの提供を担っているフランス気象庁へ伝達します。また、「原子力事故の早期通報に関する条約」に基づくIAEAへの通報や協定等に基づくEU諸国への情報伝達を行います。
さらに、フランス領土内にあっては、県知事、管区の長、ASN(またはASND)及び事業者の間の情報伝達経路において、電話会議システムとTVシステムが整備されています。また、中央レベルでは内務省の省庁間危機管理対応センター(COGIC)とASN(またはASND)及び事業者の間でも同様な電話会議システムとTVシステムを整備しています。このように前述した初動における緊急情報伝達の二重化とはまた別な意味で、二重化が図られています。
PPIの範囲を越えた原子力または放射線事故に国として対応できるようにするため、この国家対応計画では、国レベルで対応すべき計画上の事態想定の基準として表2に示す8つのケース(以下、「基準事態」といいます。)を設定しています。この8つの基準事態は事態0から事態7に分類されており、それぞれの基準事態に対応して対策の実施責任者のために8種類の意思決定ガイドを作成している点がこの国家対応計画の最も大きな特徴です。本文の後半がこの意思決定のガイドにあてられています。
それぞれの基準事態に対応した意思決定のガイドは二つのパートから構成されています。
第一のパートには基準事態の特性と対策の考え方が示され、次に、関係機関から情報を入手して確認するべき事項が質問形式で示されています。
第二のパートには、当該の基準事態において実施することが考えられる対策の確認ダイヤグラムが示されています。この確認ダイヤグラムは、事態の進行具合に合わせて、緊急事態フェーズとその緊急事態を解除するフェーズ、あるいは基準事態によっては単に脅威のみが生じているフェーズに区切られています。(ただし、現実にはそのような境界をはっきり線引きすることはできないので、この区切りは意図的にあいまいにされています。)
この確認ダイヤグラムに示されているのは、対策の実施責任者が検討すべき対策のリストです。現場の状況に応じて実施の要否を判断できるように、対策のリストは、実施目的及び緊急事態の進行(すなわち、脅威、(放射性物質の)放出時、緊急事態の収束期)など基準事態の性質に合わせた2〜3つのグループに区分されています。また、リストに示された個々の対策項目には、その所管省庁あるいはCICにおいて実施主体とさている機関名、並びに付属書に記載された個別対策要領書の番号が記載されています。
個別対策要領書は、事前に各基準事態において検討されると考えられる対策を洗い出してあります。例えば、「国の危機対策組織の立ち上げ」、「陸上、河川、海上及び航空による輸送に対する指示事項」、「飲料水消費の管理」、「必要な家畜の防護対策」、欧州諸国や国際機関等への通報や支援に係る事項など全部で40項目に亘る対策が取りまとめられています。また、対策の実施内容や手順以外に、当該対策の開始および終了の条件、(当該対策に係る)意思決定者に問うべき事項、法的根拠、公衆への伝達事項等が記載されています。
フランスでは、これまで重大な原子力または放射線事故は極めて発生する確率は低いという考えから、県のレベルで対策を行うPPIで原子力または放射線事故に対応する方針でしたが、福島第一原子力発電所事故を契機にほとんど起こらないような重大な事故についても対策を講じる方向に舵を切り、国レベルで対応するための仕組みを整えました。結果として、新しい国の対応体制や緊急情報伝達の仕組みは現在の日本の仕組みとよく似た形になったということができるかもしれません。
現状の国家対応計画は、特に地域の事前対策については従来のPPIを踏襲する形になっています。規模の大きな事故災害の対策は当該地域だけでは解決できないので、公衆の防護対策をはじめ、PPIに記載されている様々な対策について、今後見直しが必要と思われます。実際に国家対応計画と一緒に公表された国家対応計画の概要版には、この計画が最終版ではないと明記されており、2014年末までに地域の対策についても見直される旨が示されています。
今後のフランスの動向には注目しておく必要があります。
参考資料
[1]
フランス国防安全保障事務局(SGDSN):「“重大な原子力または放射線事故”に係る国家対応計画(Plan
national de réponse "Accident nucléaire ou radiologique
majeur")」、2014年2月3日公表
[2]
重大な危機の対策のための政府組織に関する2012年1月2日の首相通達第5567/SG号(Circulaire
du Premier ministre n°5567/SG du 2 janvier 2012, relative
à l’organisation gouvernementale pour la gestion des crises
majeures)
[3]
山本一也:「原子力緊急時の住民避難計画の策定に関する調査(Ⅱ)−フランスの即時対応と避難,及び避難時間評価に関する各種モデルの実例調査−」、JAEA-Review
2008-027(2008)
[4] 木村 仁宣、佐藤 宗平、石川 淳、本間
俊充:「原子力緊急事態に対する準備と対応に関する国際動向調査及び防災指針における課題の検討」、JAEA-Review-2010-011(2010)
[5] 民間安全保障の刷新に関する2004 年8 月13
日の法律第2004-811 号(Loi n°2004-811 du 13 août
2004 de modernisation de la sécurité civile)
服部有希:「フランスの大規模災害対策法制‐民間安全保障に基づくORSEC計画」、国立国会図書館調査及び立法考査局「外国の立法」、No.251、2012年3月季刊版に、本法律の和文抄訳が掲載されています。
[6] フランス共和国:「国防・安全保障白書(Livre
Blanc - Défense et sécurité
nationale)」、Odile Jacob : La Documentation
française編、2008年6月
[7]
放射線緊急事態の対策レベルに関する2009年8月18日の原子力安全規制庁の決定No.2009-DC-0153を承認する2009年11月20日の厚生省令(Arrêté
du 20 novembre 2009 portant homologation de la décision n°
2009-DC-0153 de l’Autorité de sûreté
nucléaire du 18 août 2009 relative aux niveaux
d’intervention en situation d’urgence radiologique)
[8]
日本原子力研究開発機構:「平成21〜23年度原子力安全基盤調査研究
原子力発電の社会・環境経済学的研究(平成23年度)」、日本原子力研究開発機構、平成24年2月
CODIRPAについては、本書の付録3に詳しい。
[9]
日本原子力研究開発機構:「平成21〜23年度原子力安全基盤調査研究
原子力発電の社会・環境経済学的研究(平成23年度)」、日本原子力研究開発機構、平成24年2月
[10]
フランス国防安全保障事務局(SGDSN):「“重大な原子力または放射線事故”に係る国家対応計画英語版(National
Response Plan "Major Nuclear or Radiological
Accidents")」、2014年7月1日公表
(平成26年7月「“大規模な原子力または放射線事故”に係る国家対応計画」英語版の公開に合わせ修正)