第12章 国際協力

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第12章 国際協力

12.1 JUICE会議1)-3)
(1)JUICE会議の発足
昭和45(1970)年頃、重水減速沸騰軽水冷却炉を開発していた日本、イギリス、イタリアは、カナダと2 国間協力協定を締結して開発を進めていた。折りしも、フランスは、重水炉の開発炉型を炭酸ガス冷却型から沸騰軽水冷却型に転換しようとしていた。原子炉設計が炉心設計から開始されることを考慮し、フランスの重水炉開発を支援する配慮から、昭和47(1972)年9月、カナダの提唱で「炉物理専門家会議」が、パリのカナダ大使館で開催された。
フランスにおける重水炉の開発炉型の変更は実現しなかったが、この「炉物理専門家会議」は好評であった。この成功及び、重水型炉の性能向上と開発課題等はすべて共通なことにかんがみ、開発している4カ国が、研究開発成果を持ち寄り、技術討議を実施して、相互に切磋琢磨するとともに、その成果を各プロジェクトに反映する国際会議の開催をカナダに提案した。AECL(カナダ原子力公社)副総裁のDr. Ponの尽力により、昭和48(1973)年6月、カナダのトロントで第2回4カ国技術会議が開催された。
この会議の席上、AECL代表のMr.Pease が、Japan-United Kingdom-Italy-Canada Exchange Meetingの頭文字を取り、“JUICE Meeting”と名付けることを提案し、全員が賛成した。これは、開発成果のJUICE(ジュース)を啜り合って、各々の
プロジェクトに活用する意味が込められている。
(2)JUICE会議の活動
JUICE会議は、昭和47(1972)年〜昭和61(1986)年の間に、10回開催され、炉物理、熱水力、安全、Zr合金等の分野に関して情報交換・討議を行い、重水炉開発に大きく貢献した。本会議は、イギリスがSGHWR(蒸気発生重水炉)を次期炉に決定した直後の昭和50(1975)年頃が最盛期であった。しかし、「ふげん」が、昭和54(1979)年に運開し、イギリスが、次期炉をSGHWRからPWRに変更したことに伴い、JUICE会議の活動は低下した。
それ以降は、日本が、“ATR実証炉の推進”を意図して、重水炉国際会議を第9回〔昭和52(1982)



写真12.1.1 敦賀市で開催された
第10回JUICE会議


表12.1.1 JUICE会議の内容と開催時期



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