「ふげん」プロジェクトの総括



  「ふげん」は運転開始から、先行の商業炉でも経験された配管の応力腐食割れ対策等をはじめ幾多の技術的課題を克服して初臨界以降25年間の運転実績を積み重ねて来ました。「ふげん」は、課題解決に向けては自主開発炉として研究開発部隊である大洗工学センターとの連携を図りながら、また国内メーカーの協力を得ながらオールジャパンで直面する課題へ自ら立ち向かっていくことが求められました。新型転換炉の自主開発においては、不屈の精神でチャレンジし自ら試験、評価・検証しながら一つ一つ問題を克服し技術を確立して行く事が求められて来ました。これらの技術成果は信頼性のある実証済成果として内外からの評価を受けています。これまで得られた技術成果並びに運転データは集大成して利用可能な様にまとめて行きたいと考えています。
  さらに、「ふげん」プロジェクトによる原子力の安全性向上への世界的貢献も見逃されません。原子力史上最悪となったチェルノブイリ事故は、原子力安全の確保は一国内だけではなく世界的責務であることを示しました。サイクル機構(当時、動燃)が実施した事故時のプラント挙動の解析評価が事故原因の究明に大きく貢献したのをはじめ、その後のIAEAを中心としたチェルノブイリ型炉(RBMK炉)の安全性向上への技術的協力や安全性の国際基準化への支援、ロシアおよびリトアニアとの二国間協力などの国際協力は、わが国独自の技術による支援として世界的にも評価される成果をあげてきました。これらの技術支援には、RBMK炉と同じ圧力管型炉であるATRの開発や「ふげん」運転管理のために開発された技術はもちろんのこと、「ふげん」の運転を通して蓄積された知見、経験が活かされています。
  また、近年では文部科学省が実施している原子力研究交流制度に基づいて、近隣アジア諸国における安全で健全な原子力開発のため、毎年多くの研修生を「ふげん」に受け入れて、ATR開発が実現した自主開発の精神と成果、「ふげん」での運転管理の高度化や安全性向上への取り組みについて学んでもらっています。


原子力産業新聞(昭和44年11月20日)より
これは、わが国が原子力開発の初期に欧米の原子力先進国から多くのことを学び、それらが芽を吹き育ち、自主開発技術として結実するに至ったことへの恩返しでもあります。
  以上のように、「ふげん」はATR開発プロジェクトにおいて大きな成果を挙げてきましたが、ATRプロジェクトは実証炉の建設が中止となり、当初の目標のひとつであった“経済性のあるものを原子力発電計画に組み入れる”ことはできませんでした。「ふげん」の運転開始から3年後の昭和57年にはATR実証炉の建設計画が決定、翌年、実証炉の基本設計が建設主体の電源開発(株)に引き渡されました。しかしその後約10年間にわたって1年毎に建設計画は延伸されて遅延しました。その間効果的な合理化設計が十分に行えない一方、軽水炉では国の支援のもとユーザーである電気事業者が主導的に標準化と大型化を推進し、経済性が向上したことやプルサーマル計画が進展しATRでのプルトニウム利