令和5年1月30日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学
国立大学法人大阪大学

炭素膜グラフェンと金はどのように電子の手をつなぐか?
―金原子の配置でグラフェンとの化学結合を操作して省エネ集積回路の実現へ―

【発表のポイント】

図1.本研究における金とグラフェンの化学結合を表す概念図

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:小口正範、以下「原子力機構」という。)先端基礎研究センター表面界面科学研究グループの寺澤知潮研究員、国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学(総長:杉山直、以下「名古屋大学」という。)シンクロトロン光研究センターの伊藤孝寛准教授、国立大学法人大阪大学(総長:西尾章治郎、以下「大阪大学」という。)産業科学研究所の田中慎一郎准教授らは、次世代材料グラフェン*1と金の化学結合*2が形成する機構を明らかにしました。

グラフェンは情報の伝達に電子の電荷ではなくスピン*3を用いるスピントロニクス素子などへの応用が期待される材料です。炭素原子が六角形に並んだ構造を持つグラフェンは炭素原子同士の間に強固な化学結合を持ち、化学的に安定です。身近な貴金属である金も化学結合を作りにくいため金属光沢を失わず、その美しさから古代から貨幣や装飾品として用いられてきました。この2つの化学的に安定な物質が接触するとき、限られた条件において化学結合を作ることが報告されてきました。グラフェンと金の化学結合を持った境目はスピントロニクス素子の分野での応用が期待されます。しかし、グラフェンと金の境目での金原子の配置が分かっていないため、どのようなときにどのような化学結合が生じるかというメカニズムは明らかにされていませんでした。

そこで、本研究では原子の配置が明らかにされている凹凸構造を持つ金の表面*4にグラフェンを成長させ、金とグラフェンの化学結合の詳細の解明を試みました。角度分解光電子分光(ARPES)法*5を用いてグラフェンと金の境目にある「電子の手」である電子軌道*6を観察したところ、凹凸構造の金の6sと呼ばれる電子軌道とグラフェンの電子軌道が繋がり化学結合を作った様子を世界で初めて観測しました。さらに、凹凸構造の周期によって化学結合の位置を変えられることがわかりました。文献との比較から、グラフェンと金の原子の並び方が垂直か平行かによって化学結合を作る電子軌道を選べることを見出しました。

これまでは金表面の凹凸構造は化学結合を介さずにグラフェンの電子軌道に影響を与えると推測されていました。本研究による金とグラフェンの化学結合のメカニズムの解明は、化学結合を通じて金の自発的なスピンの偏りをグラフェンに受け渡す手法の制御に繋がります。この現象はスピンを利用した次世代省エネルギー集積回路などの研究分野であるスピントロニクス素子への活用が見込まれます。

本研究成果は、1月12日付(日本時間)の「Physical Review Materials誌」に掲載されました。

【これまでの背景・経緯】

グラフェンは炭素原子が六角形に並んだ構造を持つ原子一層の厚さのシートです。グラフェンはタッチパネルやディスプレイに使われる透明導電膜、パソコンやスマートフォンなどの電子機器に含まれる半導体集積回路、さらには情報の伝達に電荷ではなくスピンを用いることで超低消費電流の省エネルギー集積回路の可能性を秘めているスピントロニクス素子、超伝導材料などの幅広い分野での産業応用が期待される次世代材料です。グラフェンの炭素原子の間の結合は強固でありグラフェンは化学的に安定であることが知られています。

金は古代から貨幣や装飾品として使われてきた身近な金属です。金がいつまでも輝きを失わないのは化学的に安定で化学結合を作りにくいことが理由です。化学的に安定なグラフェンと金でも条件が整うと化学結合を作ることが10年以上前から報告されてきました。グラフェンと金の化学結合を持った境目はスピントロニクス素子の分野でスピンの偏りを輸送する素材としての応用が期待されています。しかし、グラフェンと金の境目における原子の並び方を確定することが難しく、どのような原子の並び方のときにどのような化学結合があるかという関係が分かっていませんでした。

【今回の成果】

そこで、本研究では図2のように金のHex-Au(001)という周期性のある凹凸構造の表面に注目しました。この表面でグラフェンの作製が可能なことは分かっていましたが、この表面とグラフェンの電子軌道の関係は分かっておらず、この表面において金とグラフェンが化学結合を持つとは予測されていませんでした。

本研究では、実験と理論の両側面からグラフェンと金の境目の電子状態を明らかにすることを目標としました。まず実験の面からは、紫外線を照射して飛び出してくる電子のエネルギーと角度を解析することで電子軌道を明らかにできる角度分解光電子分光法(ARPES)を用いました。さらに理論の面からは、密度汎関数(DFT)法を用いて電子軌道のシミュレーションを行いました。

図2.本研究の実験手法のポイント。原子配置がはっきり分かっているHex-Au(001)表面にグラフェンを作製し、電子軌道をARPESによって観察した。これらの手法によりグラフェンと金の化学結合を精密に議論した。

図3にARPES観察によって得られた電子軌道を示します。図3左は対照実験として平坦な金の表面にグラフェンを作製しARPESで電子軌道を観察した結果です。凹凸構造が無い金の電子軌道はこの領域には観測されず、グラフェンの電子軌道は一本の直線として観測されました。図3右は凹凸の金表面上のグラフェンのARPES観察によるバンド図です。この図ではグラフェンと金の電子軌道が観察されました。金の電子軌道は、金表面の凹凸構造が6sと呼ばれる電子軌道の性質を変えることで、この領域に現れたものです。これらの電子軌道が繋がったこと、2つの軌道の交点より深い領域にバンドギャップ*7と呼ばれる電子軌道が存在しない領域があることがわかります。これらのことは、グラフェンと金の電子軌道が繋がって化学結合を形成したことを示しています。つまり、グラフェンの電子軌道は金表面の凹凸構造が6s電子軌道の性質を変えて図3の観察範囲に作り出した電子軌道と結合したことがわかりました。これは、凹凸構造の周期を制御すると化学結合の位置を操作できることを示します。

理論計算によって得られた電子軌道においても、この結果は再現されました。すなわち、グラフェンの電子軌道と金の6s電子軌道が繋がり、バンドギャップが生まれました。理論計算の結果もグラフェンと金の間の化学結合の存在を示しており、我々の予想した原子の並び方が理論的にも妥当であることを示しています。

図3.グラフェンと金表面の境目においてARPES観察により得られた電子軌道
左:平坦な金表面、右:凹凸のある金表面

このような化学結合が生じる条件についても文献をもとに議論しました。図4左の金とグラフェンの結晶の方位が平行の場合はグラフェンと金の5d電子のみが結合を形成しました。一方で、図4右のようにグラフェンと金の結晶の方位が垂直の場合は金の5dと呼ばれる電子軌道に加えて6s電子軌道も結合を持つことが本研究によって初めて議論されました。つまり、本研究は金原子の並び方によってグラフェンが金のどの電子軌道と化学結合を持つかを操作できることを明らかにしました。

図4.金表面とグラフェンとの化学結合の比較(左:平坦な金表面、右:凹凸のある金表面)。これらを詳細に議論することで、金の凹凸構造の周期、金とグラフェンの原子の並ぶ向きを用いて化学結合を操作できることを見出した。

【今後の展望】

金の表面は自発的にスピンの偏りを持つことが知られており、金の電子軌道がグラフェンの電子軌道と結合すると、グラフェン側にもスピンの偏りを導入する可能性があります。したがって、グラフェンと金の境目が新たなスピントロニクス素子として活用できると期待されます。また、化学結合が金の原子の並び方によって制御できることは、スピンの偏りの大きさの調整につながると期待されます。このことは、スピントロニクス応用において重要な知見になると見込まれます。

【論文情報】

雑誌名:Physical Review Materials (2023)

タイトル:”Bandgap opening in graphene by hybridization with Au (001) reconstructed surfaces” (金(001)再構成表面との軌道混成によるグラフェンの禁制帯の形成)

著者名:Tomo-o Terasawa, Kazuya Matsunaga, Naoki Hayashi, Takahiro Ito, Shin-ichiro Tanaka, Satoshi Yasuda, and Hidehito Asaoka

DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevMaterials.7.014002

【各機関の役割】

<原子力機構>
寺澤知潮(研究員):研究立案、実験、解析、理論計算、考察、総括
保田諭(研究主幹)、朝岡秀人(副センター長):考察

<名古屋大学>
伊藤孝寛(シンクロトロン光研究センター 准教授):実験、解析、考察
松永和也(当時修士学生)、林直輝(当時修士学生):実験補助、解析補助

<大阪大学>
田中慎一郎(産業科学研究所 准教授):実験、解析用プログラム提供、考察

【助成金の情報】

本研究の一部は、日本学術振興会科研費17K05495, 19K15400、およびコニカミノルタ科学技術振興財団からコニカミノルタ画像科学奨励賞の助成を受けたものです。また、一部は自然科学研究機構分子科学研究所共同利用研究(課題番号#19-848, #19-862, #20-763, #20-783および#20-862)の支援を受け、UVSOR施設のBL5Uおよび7Uにて行われたものです。

【用語の説明】

*1 グラフェン

炭素原子が六角形に並んだ構造の原子一つ分の厚さの膜。グラフェンの中では電子の動きが妨げられにくいため、電子素子やスピン素子への応用が期待されている。

*2 化学結合

原子同士の間で電子を介して原子と原子が繋がること。

*3 スピン

電子の中に存在する磁気の源。通常の物質中ではアップとダウンのスピンの向きの数は釣り合っているが、スピントロニクス素子においてはスピンの向きの数を偏らせることが必要になる。

*4 Hex-Au(001)

金の結晶の表面のうち、(001)面という金の原子が四角形に並んだ面がある。その最表面の原子が六角形に並び直した構造をHex-Au(001)再構成構造と呼ぶ。

図5.Hex-Au(001)構造中の金原子の配置(左:上面から見た原子配置、右:断面から見た原子配置)。最表面の金原子(橙色)は六角形に並び、結晶の中の金原子(灰色)は正方形に並ぶ。形が違う原子配置が重なるため最表面の金原子が波打ち、凹凸構造を作る。

*5 角度分解光電子分光法(ARPES)

物質に光を当てた時に光電効果で飛び出してくる電子のエネルギーと角度を測定することで、物質内の電子のエネルギーと運動量を評価する手法。

*6 電子軌道

電子が原子核の周りで取りうる位置やエネルギーの範囲。複数の電子軌道が重なると互いに混ざり合って原子と原子を繋ぎ化学結合を作る。

図6.電子軌道の種類の模式図。電子軌道は原子核に近い側からK殻、L殻…と続く。O殻とP殻はさらにs軌道、p軌道、d軌道…に分割される。金の場合、最外殻のP殻のうちの6s軌道と一つ内側のO殻にある5d軌道が金の原子核から離れた位置にあり化学結合に寄与する。6s軌道の電子はどの方向にも比較的自由に運動できるのに対して、5d軌道の電子は運動できる方向に制約がある、等の軌道の性質の違いがある。

*7 バンドギャップ

自由な電子が存在できるエネルギーは切れ目が無いが、固体の中などで電子が存在できないエネルギー領域が生じることがある。この「電子が存在できないエネルギー領域」をバンドギャップ(日本語では禁制帯)と呼ぶ。

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参考部門・拠点:先端基礎研究センター
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