1.背 景

細胞に対する放射線照射によって引き起こされる染色体異常などの遺伝的な変異は、照射された1世代目の細胞ではなく細胞分裂後の数世代〜数十世代の後の子孫細胞の一部に起こります。 このように世代を経て生じる細胞影響は「遺伝的不安定性」と呼ばれ、放射線による発がんなど晩発影響に深く関連している現象として注目されています。 しかしその誘発の機構に関する詳細は、未だ明らかにされていません。

本研究ではこのような遺伝的不安定性を引き起こす主要な原因のひとつとして、DNA損傷に着目しました。 DNA二重らせんの両鎖が切断(DSB (Double Strand Break)型損傷)を受けると、これにより細胞死が誘発されることが知られています。 しかし細胞死が起これば、数十回の細胞分裂を乗り越えた後の遺伝的不安定性も発現することはありません。 本研究では細胞死を引き起こさずに細胞分裂を乗り越えて存続する損傷として、DSB以外の損傷(非DSB型損傷)に注目しました。 その代表がDNA分子中の塩基部位の損傷です。DNA塩基1)は、遺伝情報を担う基本単位であることが知られています。

2.研究手法と成果

通常、放射線が細胞に照射されると、染色体中のDNA以外にも細胞内の様々な器官が損傷を受けます。 本研究では、ヒトの染色体を含む微小核細胞2)に紫外線を照射し、その後この染色体を未照射の健全な細胞に移入しました。 移入後の細胞を長期間培養し詳細に調べることで、照射によるDNA損傷を起因とする遺伝的不安定性の誘発を調べることができます(図1)。

なお、本研究では365 nmの波長のUV-Aと呼ばれる領域にある紫外線を、照射に用いました。 UV-Aは、DSBは誘発しませんが、放射線照射した時と同じタイプのDNA塩基の損傷を効率良く引き起こすことが知られています。

その後微小核細胞融合法3)という手法で、この照射したヒト染色体を非照射のマウス細胞に移入し、その後それぞれの細胞を20日から1ヶ月程度分裂増殖をさせ、独立した複数のクローン細胞(クローン細胞株)を作製しました。 ヒトの染色体はマウスの染色体とは大きく異なるため、照射したヒト染色体と非照射のマウス染色体とを顕微鏡下で容易に判別できるという利点があります。

作製したクローン細胞中の染色体を詳細に調べてみると、ヒトの染色体同士あるいはヒトとマウスの染色体が融合してしまう異常な染色体に加え、本来正常であるはずのマウスの染色体同士が融合した異常な染色体も多く観察されました(図2)。 さらに、クローン細胞中の染色体数はマウスの染色体42本にヒトの1本を加えた43本であるべきですが、これが2倍あるいはそれ以上になってしまう染色体数の異常も観察されました(図3)。 これらの結果は、照射をされていない正常なマウス細胞の染色体が、照射されたヒト染色体の移入により、染色体融合などの構造の異常や染色体数の異常な増加が誘発されたことを示しています。

図1 微小核細胞融合法を用いたDNA損傷の移入

図2 顕微鏡下で観察された典型的な染色体の異常

図3 紫外線量に依存した細胞あたりの染色体数の変化

3.今後の期待

これまで、生物に対する照射影響では直接損傷を受けたDNAが正常に機能できないことが主に考えられていましたが、本研究成果は、複雑なメカニズムを介して非照射染色体中のDNAにも影響が及ぶ可能性を示唆する結果と言えます。 今後の詳細な解析により、放射線によるDNA損傷が細胞分裂を経てどのように染色体の異常を誘発していくのか、その基礎的なメカニズムの理解と、さらには放射線による細胞のがん化の仕組みの解明に大きく貢献する可能性があります。

今回の発見は、遺伝子レベルでの照射影響のメカニズムに関する新しい知見の提供として、これまで主に疫学的な調査を基にした経験則から導き出されてきた放射線の防護基準と補い合いつつ、例えば、従来では明確な結論が得られていない長期低線量被曝の影響をより正確に捉えることにもつながり、原子力科学の発展に寄与することも期待されます。

付記

本研究の一部は、文部科学省科学研究費補助金の助成を受けて行われたものです。
研究種目名:若手研究(B) 課題番号:20710045 研究課題名:「クラスターDNA損傷によるテロメア不安定性誘発に関する研究」(平成20年度〜22年度)


戻る