令和8年9月1日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
国立大学法人九州大学
図1 本研究で実現したAIエージェントと自然言語に基づく放射線シミュレーション環境
国産の汎用放射線シミュレーションソフトウェアPHITSを汎用AIエージェント※1で利用できるよう整備し、9月1日、最新版(Version 3.37)としてホームページ(https://phits.jaea.go.jp/indexj.html)で公開しました。
放射線シミュレーションは、放射線が物質中をどのように進み、どこにどれだけのエネルギーを与えるか(放射線挙動)を予測するために用いられ、原子力施設の設計や放射線治療の計画、放射線防護や被ばく線量の評価などで活用されています。PHITSは日本原子力研究開発機構が2010年5月に公開した国産の汎用放射線シミュレーションソフトウェアで、様々な物理モデルやデータライブラリーを組み合わせることで、高精度な計算と幅広い用途への対応を実現しており、現在、世界80か国・地域の1万人以上が利用しています。
一方で、PHITSを適切に利用するには専門的な知識と経験が必要です。ユーザーの拡大に伴い利用目的や習熟度も多様化しており、幅広いユーザーを効率的に支援することが課題となっています。そこで開発チームは、ユーザーの指示に基づいて必要な作業を自律的に進めるAIエージェントを活用し、PHITSをより直感的に利用できる環境の構築に取り組みました。
最新版(Version 3.37)の開発では、PHITSのマニュアルや説明資料、サンプル入力などを、AIが必要な情報を参照しやすいテキスト情報として整理・分類しました。さらに、入力ファイルの変更や計算実行、エラー発生時の確認など、作業手順や注意事項を定めた「実行ポリシー」も整備しました。これらを汎用型AIエージェントに与えて実証したところ、必要な情報や実行ポリシーを参照しながら自律的に解析を進め、妥当な結果を得られることを確認しました。
最新版の公表で、自然言語※2の指示だけでPHITSの入力ファイル作成、計算実行、結果解析、条件変更を反復的に行える環境が整い、これまで専門家に限られがちだった放射線シミュレーションを、より広い利用者が活用できる技術へと広げる道を開きました。将来的には、AIエージェントを介して流体、材料損傷、生物影響、化学反応など多分野のシミュレーションを連携させ、放射線が引き起こす現象をマルチスケールで予測できる環境の実現を目指します。
本開発は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:小口正範、以下「原子力機構」)原子力科学研究所原子力基礎工学研究センターの佐藤達彦研究フェロー、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(機構長:浅井祥仁、以下「KEK」)共通基盤研究施設放射線科学センターの坂木泰仁助教、国立大学法人九州大学(総長:石橋達朗)工学研究院エネルギー量子工学部門の執行信寛助教らの開発チームによるものです。
PHITSは登録制の無償ソフトウェアであり、国内の利用者は、原子力機構への申請手続きを通じて無償で入手できます。
放射線が物質中をどのように移動し、どこにどれだけのエネルギーを与えるか(放射線挙動)を予測する放射線シミュレーションは、加速器や原子力施設の設計、放射線治療の計画、原子力・医療従事者や航空機乗務員の被ばく線量評価などに広く用いられています。原子力機構が中心となって開発を進めている放射線シミュレーションソフトウェアPHITSは、原子力分野で培われた国産技術を結集し、国内の原子力利用を支える計算コードから、工学、医学、理学などの幅広い分野で国際的に活用される計算コードへと発展してきました(図2)。現在では、世界80か国・地域で1万人以上のユーザーに利用されています(図3)。
図2 PHITSコードの概要(https://phits.jaea.go.jp/indexj.htmlより抜粋)
図3 国別のPHITS登録ユーザー数(2019年からの積算人数)
一方で、PHITSを適切に使いこなすためには、入力ファイルの作成、幾何形状や材料の設定、計算条件の選択、統計誤差の確認、結果の解釈など、専門的な知識と経験が必要です。PHITS開発チームではこれまで、マニュアルやサンプル入力の整備、国内外での講習会の開催などを通じて、利用者支援と普及活動を進めてきました。しかし、利用分野や利用国の拡大に伴ってユーザーの目的や習熟度が多様化し、従来の資料提供や講習会だけでは十分に対応しきれない課題が生じていました。そこで本研究では、近年注目を集めているAIエージェントを活用して、PHITSの利用をより直感的かつ効率的に支援する新しい解析環境の構築を目指しました。
本研究では、PHITSをAIエージェントが扱いやすい形に整備するため、PHITSマニュアル、講習資料、サンプル入力、補助ツールの説明、開発者が整理した注意事項などを、AIが参照しやすい知識ベースとして再構成しました。これらの資料は、従来は人間のユーザーが必要に応じて読み解くことを前提としていましたが、AIエージェントが目的に応じて適切な情報を参照できるよう、テキスト化、整理、分類を行いました。さらに、AIエージェントが誤った入力変更や不適切な計算を行わないよう、参照すべき資料、作業の進め方、計算実行時の注意点、エラー発生時の確認手順などを明示した実行ポリシーを整備しました。これにより、AIエージェントがPHITSの知識を参照しながら、解析作業を段階的に進められる環境を構築しました。
次に、構築した環境の有効性を確認するため、AIエージェントツールであるCodex(米OpenAI社製)およびClaude Code(米Anthropic社製)を用いて、複数の実証課題を行いました。実証課題では、遮蔽計算における最適な遮蔽厚さの探索や、粒子線治療によるDNA損傷数の評価など、PHITSの専門的な知識と複数段階の作業を必要とする解析を対象としました。その結果、AIエージェントが知識ベースと実行ポリシーを参照しながら、計算条件の設定、計算結果の確認、必要に応じた条件変更を進められることを確認しました。さらに、「アニメに出てくるようなかわいい雪だるまの体系を作って、それを陽子ビームで効果的に溶かす照射条件を探してください」という自由度の高い指示に対しても、AIエージェントが計算体系を作成し、照射条件を探索して、妥当な解析結果を得られることを確認しました(図4)。これにより、AIエージェントを活用して、PHITSによる専門的な解析作業を自律的に支援できることを実証しました。
図4 「アニメに出てくるようなかわいい雪だるまの体系を作って、それを陽子ビームで効果的に溶かす照射条件を探してください」と依頼した際の計算結果
左はAIエージェントが作成した計算体系をPHITS付属の体系描画ソフトウェアPHIG-3Dで可視化した図。右はこの雪だるまへのエネルギー付与量を可能な限り大きくするよう最適化した照射条件における放射線フルエンスの空間分布を示す
本研究の大きな意義は、PHITS専用のAIアプリケーションを新たに開発するのではなく、既存の汎用AIエージェントがPHITSを扱えるように、開発者側で知識ベースと実行ルールを整備した点にあります。これにより、ユーザーは使い慣れたAIエージェントを通じて、PHITSの使い方の確認、計算の実行支援、結果の確認、解析作業の補助を対話的に受けられるようになり、マニュアルや講習会を中心としてきたPHITSの利用者支援を大きく拡張しました。本成果は、放射線シミュレーションを専門家中心の高度な計算ツールにとどめず、より広い利用者が研究開発や教育、実務に活用できる技術基盤へと広げる道を切り開くものです。
今後は、AIエージェントがより少ない誤りで確実に解析を進められるよう、AIが参照する知識ベース、サンプル入力、実行ポリシーの設計指針をさらに整備していきます。また、異なるAIエージェントや計算機環境での検証を進め、解析の成功率、エラー修正能力、作業時間の短縮効果などを定量的に評価する予定です。将来的には、PHITSに限らず、複数の放射線シミュレーションソフトウェアをAIエージェントが横断的に扱い、同じ指示に基づいて計算結果を比較・検証できる環境の実現を目指します。
投稿サイト:arXiv
タイトル:Toward AI-Agent-Driven Particle Transport Simulations: Implementation of AI-Assisted Workflows for PHITS
著者:Tatsuhiko Sato1 , Shintaro Hashimoto1 , Tatsuhiko Ogawa1 , Takuya Furuta1 , Yuho Hirata1 , Seiki Ohnishi1 , Yasuhito Sakaki2 , Nobuhiro Shigyo3 (1:原子力機構、2:KEK、3:九州大学)
DOI: https://doi.org/10.48550/arXiv.2607.11309
公開日:2026年7月13日
ユーザーから与えられた目的や指示に基づき、必要な情報の収集、判断、作業の実行などを自律的に進めるAIシステムのことです。単に質問に答えるだけでなく、複数の手順を組み合わせて、目的達成に向けた作業を段階的に進められる点が特徴です。
日本語や英語のように、人間が日常的に読み書きや会話で使っている言語のことです。コンピュータ用のプログラミング言語や専用コマンドと対比して用いられます。