令和8年3月5日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
脱炭素を背景に導入が進む水の電気分解(水電解)において、水素を製造しながら重水(重水素を含む水)を従来比で約2割高い効率で回収する運転手法を開発しました。
重水は半導体・医薬・核融合などで欠かせない材料ですが、日本は多くを輸入に依存しており、調達・供給リスクの観点から安定確保が課題です。
水素が発生する電極側(陰極)に給水することで、発生水素と水の間で起こる重水素の入れ替わり反応(同位体交換)のつり合い(平衡)を水側に有利にし、重水素を液相に回収しやすい条件を実現しました。
本手法は、既存の水電解装置に小さな運用変更で組み込め、水素製造に「重水回収」を上乗せできます。また、濃縮水を次段の原料に回す多段化を行えば、改善効果を各段で複利的に累積し、回収効率をさらに底上げできる可能性があります。これらは、重水の国産化と輸入依存低減に向けた技術基盤として期待されます。
脱炭素を背景に、水の電気分解(水電解)による水素製造の導入が進んでいます。水電解では同位体の性質により、重水素が重水[1]の形で水側に残りやすく、電解液中で濃縮されやすいことが知られています。しかし、こうした性質は、水素製造が主目的であることから十分に活用されてきませんでした。本研究ではこの点に着目し、水素を造りながら重水を効率よく回収する運転手法を検討しました。重水は半導体や光ファイバーの製造、医薬品の製造、将来的には核融合といった分野で欠かせない基盤材料であるにもかかわらず、日本は輸入依存度が高く、調達・供給リスクを踏まえた安定確保が課題となっています。
本研究では、固体高分子(PEM)型水電解装置[2]で、水素が発生する電極側(陰極)へ重水素濃度の低い水を供給する運用を導入しました。これにより、発生水素と水の間で起こる同位体交換反応[3]のつり合い(平衡)[4]を水側へ寄せ、重水素が気相へ出るのを抑えて液体(重水)として回収しやすくすることを狙いました。実機で想定される運転条件で従来法と比較した結果、回収効率は約2割向上しました。また、理論モデルでも同様の傾向が再現され、給水運用が改善効果につながることを裏付けました。
本成果は、既存の水電解装置の基本構成を変えずに導入でき、水素製造に「重水回収」という機能を付加することができます。今後は大型セル/スタックで、効果の再現性と長時間運転での安定性を確認し、導入に必要な運用手順を検討します。将来的には、重水の国産化を通じた安定確保と輸入依存低減への貢献が期待されます。
本研究は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範)原子力科学研究所先端基礎研究センター表面界面科学研究グループナノ材料デバイス化研究チームの矢野雅大研究員と保田諭研究主幹・保田重水素分離技術開発ラボ ラボリーダー、および大洗原子力工学研究所高温工学試験研究炉部の久保真治研究主席によるものです(なお、矢野及び久保は保田重水素分離技術開発ラボを兼務)。
本研究を基にした特許を出願し、2026年1月21日に登録されました。(特許第7808376号” 重水素回収装置、重水素回収方法”)
本研究成果は、2026年1月2日(現地時間)にElsevier社の学術誌「Chemical Engineering Journal」にオンライン掲載されました。
脱炭素社会の実現に向け、水素エネルギーの利用が広がり、その製造手段として水電解装置の導入も進んでいます。特にPEM型水電解装置は、再生可能エネルギーと組み合わせてCO2を排出せずに水素を製造でき、応答性や装置のコンパクト性を活かした産業応用が拡大しています。
一方、水電解装置が持つ“水素製造以外”の性質はまだ十分に活用されていません。その一つとして、水電解の過程では水素(H)と重水素(D)の入れ替わり(同位体交換)が起こるので、理論的には重水の回収・濃縮にも応用可能です。しかし、この用途の産業利用は限定的で、実用条件において水素製造の性能や耐久性と両立させることが課題でした。先行研究では主に電極触媒[5]の改良による効率向上が試みられてきましたが、高価な材料を要する例も多く、実用化に向けたハードルとなっています(1,2)。
重水は、半導体や光ファイバーの製造・製薬・核融合など先端産業に不可欠な物質です。自然界では水中にごく微量(約0.015%)しか含まれず、濃縮には大きなエネルギーコストを要します。そのため日本では供給の多くを輸入に依存し、供給リスクを抱えています。
日本原子力研究開発機構では、原子力分野における重水の利用・研究を通じて、重水・重水素の分離および分析に関する知見を蓄積してきました。こうした蓄積を踏まえ、本研究チームはPEMを用いる電気化学デバイスを基盤とした重水素回収に関する研究を進めています(3)。
本研究では、導入が進むPEM型水電解装置に、水素製造機能を維持したまま重水回収という付加価値を加える方法を探りました。現場展開を見据えると、追加エネルギーの増加や装置改造をできるだけ抑えることが重要です。回収効率を左右する要因を整理した結果、鍵となったのは、水素と重水素が入れ替わる同位体交換反応のつり合い(平衡)が、水素が発生する触媒近傍の水の組成で変わる点でした。この局所環境を操作する手段として、電解装置への給水方法に着目しました。
本研究では、既存のPEM型水電解装置で給水を工夫するだけで、重水の回収効率を約2割改善する手法を示しました。狙いは、ガスとして出ていく重水素を抑え、液体の重水として回収されやすくすることです。電極触媒やセル構成の大きな変更を伴わず、既存設備を活かして改善できる点が特長となります。PEM型水電解装置は、陽極・陰極・固体高分子膜からなる三層構造のシステムです(図1)。重水を含む原料水を陽極に供給して電解すると、水素イオン(H+)と重水素イオン(D+)が固体高分子膜を通って陰極へ移動し、その際に一部の水や重水も一緒に陰極側へ運ばれます。陰極では触媒上で水素同位体ガスが生成する一方、運ばれてきた水や重水は触媒近傍に液体として残ります。
このとき、発生したガスと近傍の水の間で重水素が“行き来する”同位体交換反応が進み、ある比率で平衡に達します(図2a)。この反応が進むほど、ガスとして出ていくはずだった重水素が水に取り込まれ、液体の重水として回収されやすくなります。回収した重水を原料側に戻して電解を続けることで、原料水の重水素濃度が徐々に上がり、濃縮が進みます。
研究チームは、この平衡が反応に関与する重水濃度に応じて変わる性質に着目しました。ここで重要なのは、陰極付近の重水濃度を下げると、それを補う方向に反応が進みやすくなることです(図2b)。この性質を利用し、陰極側に低濃度の重水を供給して陰極近くの重水濃度を意図的に低下させました。これにより、ガス化した重水素がより水側へ移りやすい状態を作り、液体の重水として“取り戻す”流れを強めることを狙いました。
有効性を検証するため、実機を想定した運転条件(高電流密度 2.0 A cm-2[6])で重水濃縮実験を行い、陰極側への水供給の有無による違いを比較しました。重水素回収効率(ガス側へ出ていく重水素をどれだけ液体として回収できたか)を、水供給位置(図3a,b)以外の条件を揃えたうえで、到達濃度と原料濃度の差で評価しています。
原料水の重水素濃度が約10%の条件では、従来法(陰極側に水を供給しない運転)は 重水濃度の変移が10.0%→23.8%だったのに対し、本手法では 10.5%→27.3%となり、回収効率は従来法比で約2割向上しました。原料水の重水素濃度が約90%の条件でも同様の向上が確認され、本手法が低濃度から高濃度まで有効であることが示されました。
さらに、得られた改善が偶然ではなく、陰極近傍で起きる同位体交換反応の平衡を制御した結果であることを確かめるため、平衡を組み込んだ理論モデルを構築し、水供給の有無を比較しました。その結果、実験で観測された濃縮挙動を理論計算がよく再現し、本手法が平衡を意図的に動かすことで、ガスとして出ていく重水素を液体側に回収しやすくしたことを裏付けました。
以上より本成果は、PEM型水電解における重水濃縮の鍵となる平衡に着目し、そのバランスを「水の供給」という運転上の工夫で制御して回収効率を高める方法論を提示したものです。
カーボンニュートラルに向けてPEM型水電解装置の導入が進む中、本手法は触媒材料や装置構造を大きく変えず、給水運用の工夫だけで重水回収効率を改善できるため、既存装置に取り入れやすい点が特徴です。これにより、水素を製造しながら重水素を回収・濃縮する付加価値を既存設備に上乗せできます。また、濃縮した重水を原料水として別の反応セル(次段)に送り、次の濃縮を行う多段構成にすれば、各段での改善効果は複利的に累積し、装置全体としての回収効率はさらに高まる可能性があります。PEM型水電解設備は、セルを積層して能力拡張するスタック構造が一般的で、多段化を見据えた設備設計も検討しやすいと考えられます。PEM型水電解装置の普及に伴い重水素回収の機会が広がれば、重水の国産化や輸入依存度低減(供給リスク低減)に加え、関連するサプライチェーンの強化にもつながると期待されます。
さらに、本手法は高濃度領域でも有効であることから、貴重な重水を循環利用する機運が高まる中、重水リサイクルや高純度化工程への適用も視野に入ります。将来的には、こうした濃縮過程で重水素ガスの外部への散逸も抑えるため、周辺プロセスも含めた最適化を進めます。
今後は、セル内の濃度分布と同位体交換の進み方を再現できるモデルを構築し、給水条件と回収効率の関係を整理して設計指針として提示します。併せて、多段構成を想定し、効率向上が装置全体としてどのように累積されていくかをモデルと実証の両面から評価します。さらに、大型セルやスタックモジュールを用いて、効果の再現性と長時間運転での安定性を確認し、産業界との連携を通じて実装シナリオを具体化します。
特許名:重水素回収装置、重水素回収方法
登録番号:特許第7808376号
特許権者:国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
登録日:2026年1月21日
掲載誌:Chemical Engineering Journal (Elsevier)
タイトル:Enhancement of Deuterium Enrichment Efficiency in PEM Water Electrolysis via Isotope Exchange Equilibrium Shift
著者:Masahiro Yano, Shinji Kubo, Satoshi Yasuda
所属:日本原子力研究開発機構
DOI:https://doi.org/10.1016/j.cej.2025.172423
矢野 雅大:実験・解析
久保 真治:理論モデル構築・シミュレーション
保田 諭:研究統括
(1) N. Zeng, C. Hu, C. Lv, A. Liu, L. Hu, Y. An, P. Li, M. Chen, X. Zhang, M. Wen, K. Chen, Y. Yao, J. Cai, T. Tang, Large-current density and high-durability proton exchange membrane water electrolysis for practical hydrogen isotope separation, Sep Purif Technol 310 (2023) 123148.
(2) X. Xue, X. Chu, M. Zhang, F. Wei, C. Liang, J. Liang, J. Li, W. Cheng, K. Deng, W. Liu, High hydrogen isotope separation efficiency: graphene or catalyst?, ACS Appl Mater Interfaces 14 (2022) 32360–32368.
(3) S. Yasuda, H. Matsushima, K. Harada, R. Tanii, T. Terasawa, M. Yano, H. Asaoka, J. S. Gueriba, W. A. Diño, K. Fukutani, Efficient Hydrogen Isotope Separation by Tunneling Effect Using Graphene-Based Heterogeneous Electrocatalysts in Electrochemical Hydrogen Isotope Pumping, ACS Nano 16 (2022) 14362–14369.
本研究は、日本学術振興会(課題番号25K01629、23K17965、21K19034、21H01751)と科学技術振興機構A-STEPプログラム(課題番号 MJTR23T1)の支援を受けて実施されました。
水素(H)の同位体・重水素(Deuterium:D)を天然の水(水素の約0.015%が重水素)より多く含む水。重水素は水分子のHがDに置き換わった形(HDOや D2O)で存在する。
酸素が発生する電極(陽極)と水素が発生する電極(陰極)がPEMで隔てられた構造の水電解装置。一般に、水を陽極に供給して運転する。イオン(H+やD+)がPEMを通って電極間を移動するため、電気抵抗の高い純水の電解が可能なことや、小型・高出力に適するといった特長がある。
同じ元素でも中性子の数が違う原子(同位体:水素と重水素の関係)同士が入れ替わる反応。
反応式の右向きと左向きの反応が同数で進み、反応が止まって見える状態。本研究の場合、反応式は HD(気体) + H2O(液体) ⇄ H2(気体) + HDO(液体) なので、重水素が水側へ移る数(右向き)と、ガスへ戻る数(左向き)が同じになった状態。
電極として電流を流しつつ、化学反応を生じさせる触媒として機能する物質。代表例としては、陽極で水を分解して酸素を発生させる酸化イリジウム(IrO2)、陰極で水素を発生させる白金(Pt)が挙げられる。
電極面積当たりに流す電流を表す。装置をどれだけ強く運転しているかの指標となっている。