令和8年2月17日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
東京都公立大学法人 東京都立大学

電子の動きで物質に「利き手」を生み出す
―左右の高速制御で創薬・光学技術へ―

【発表のポイント】

純電子的カイラリティの概念。左右対称な結晶で電子の動きによって左右の差が生じる

【概要】

私たちの右手と左手は形が似ていますが、互いに鏡映しの関係にあり、どう頑張っても重なり合いません。このように「右と左の区別がある性質」のことを専門用語で「カイラリティ(カイラル、掌性)[1]と呼びます。これまでこの性質は、物質で「原子の並び方が右と左で違う」ことから生じると考えられてきました。今回の研究では、物質中の電子[2]の動きだけに左右の違いが現れる新しい状態が可能であることを理論的に明らかにし、これを「純電子的カイラリティ」[3]と名付けました。

純電子的カイラリティは、原子の並びそのものは鏡に映しても全く同じ形の左右対称な結晶[4]であるにもかかわらず、内部の電子の動きだけが右と左の違いを持つという、従来の常識をくつがえす新しい状態です。この状態では、従来は原子の並びが右と左で違う物質でしか起こらないと思われていた現象が、原子の並びが右と左で全く同じ結晶でも、「電子の利き手」によって自然に現れることを理論的に示しました。

純電子的カイラリティの発見は、100年以上にわたり「原子の並び方」と結びついて理解されてきたカイラリティの概念を根本から拡張する成果です。次のステップは、この電子の左右を実際の物質中で実現し、光や磁場を用いて右手型と左手型を切り替えることです。電子はとても軽いため、左と右の切り替えがほぼ瞬時に行われる可能性があります。この「高速の左右スイッチ」が実現すれば、光通信などに使われる光学デバイスの省エネ・高速化や、薬づくりで重要となる分子の左右(鏡像異性体)[5]を見分けたり、作り分けたりする技術など、幅広い分野への応用が期待されます。

本研究は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:小口正範)原子力科学研究所先端基礎研究センター強相関アクチノイド科学研究グループの石飛尊之博士研究員と、東京都公立大学法人東京都立大学(学長:大橋隆哉)理学部物理学科の服部一匡准教授によるものです。

本研究成果は、2026年2月4日(現地時間)に米国物理学会誌「Physical Review Letters」にオンラインで掲載されました。また、編集部が選出する注目論文「Editors’ Suggestion」に選出され、学会が運営するオンライン研究紹介サイトPhysics magazine (URL: https://physics.aps.org/articles/v19/s17)にて紹介されました。

【これまでの背景・経緯】

右手や左手のように、形が似ていて鏡映しの関係にあるが、決して重ならないものがあります。このように右と左の区別がある性質は「カイラリティ(掌性)」と呼ばれ、化学・生物・物理などの広い分野で100年以上にわたり研究されてきました。生命を形作るDNAやアミノ酸など、多くの分子は右巻きか左巻きのどちらか一方だけが主に使われています。ある薬は右巻きでは有効でも、左巻きでは有害となることがあり、社会問題につながったこともあります。このため、右の分子と左の分子(鏡像異性体)を識別し、作り分けることは、ノーベル賞研究にも発展するほど重要な科学テーマです。

図1カイラルな物体の例

右手と左手は鏡映しの関係にあり、鏡に映さないと重ならない。DNAなどの多くの分子も同様に、互いに鏡映しの関係にあるペア(鏡像異性体)を持つ

固体物理学においても、カイラリティは大きな役割を担っています。右手と左手の関係のように形が異なる「カイラル結晶」を通過した光は、振動方向(偏光)が回転する「旋光性」[6]を示すことが19世紀に発見され、カイラリティ概念の導入へとつながりました。現在では、電子の進む向きと自転(スピン[7])が結びつく「スピン分裂」[8]や、原子の振動がらせん状に伝わる「カイラルフォノン」[9]など、カイラル結晶に特有の現象に注目が集まっており、これらの性質を利用して省エネ・高速動作のデバイスを実現しようという研究も進められています。

しかし、カイラル結晶そのものの左右を切り替えることは非常に難しいという課題があります。結晶には原子が結合して並んでおり、それらの結合をまとめて切って組み替えなければ左右は変わらないからです。一方で、電子は原子よりも1万倍以上軽く、電気や磁場で素早く動きを変えられます。電子は微小な電圧や磁場で容易に制御でき、その性質を利用して動作する電子機器は、私たちの身の回りの生活を支えています。もし、電子を使って物質に左右の違いを作り出し、それを切り替えることができれば、「分子の利き手」を高速に識別する技術など、多くの応用が期待できます。

【今回の成果】

今回の研究では、原子の並びが完全に左右対称のままであるにもかかわらず、電子だけが左右の違いを持つという新しい状態を理論的に見いだし、これを「純電子的カイラリティ(Purely Electronic Chirality: PEC)」と名付けました。これは、「カイラリティ=原子の並びの左右差」という100年以上にわたる常識を根本から拡張するものです。

純電子的カイラリティでは、結晶構造に左右の違いが全くないにもかかわらず、電子の動きだけが非対称になります。その結果、従来は左右非対称なカイラル結晶にしか現れないはずの現象―たとえば電子の自転「スピン」と運動が強く結びつく「カイラルスピン分裂」や、原子の振動がらせん状に伝わる「カイラルフォノン」―が、結晶構造がカイラルでなくても自然に現れることを、理論的に示しました。

さらに、純電子的カイラリティのもとでは、電子の電気的な性質と磁気的な性質が互いに強く影響しあうことを明らかにし、磁場を用いて電気的なカイラリティを切り替えたり、電流で磁気の性質を制御したりできる可能性があることを理論的に示しました。純電子的カイラリティが実現すると予想される物質の例や探索の指針も示し、物質の左右を電子の動きだけで高速に制御するという新たな技術に向けて、具体的な道筋をつけました。

図2純電子的カイラリティの特徴の概念図

(a)純電子的カイラリティの例 青色と赤色は原子の周りでの電子の動きの偏りを表している。中心に引かれた黒線で鏡映しにすると、原子の位置は変わらず、電子の動きの偏りだけが逆転するカイラルな状態になっている
(b)紙面手前方向に磁場をかけた場合のスピンの分布 通常は紙面手前方向を向くが、(a)のような電気の偏りと結合して、スピンがひねられる

図3純電子的カイラリティ状態でのスピン分裂

図の上下左右は電子の運動(動きの向きと速さ)を表し、矢印はスピンの向きを表す。動きが速い外側では運動方向と平行、遅い内側では反平行にスピンが分裂している

【今後の展望】

純電子的カイラリティは、カイラリティの起源を「原子の並び方」から「電子の動き」へと拡張する概念であり、物質科学の新たな道を開く第一歩です。次の重要なステップは、純電子的カイラリティが実際の物質で実現することを確かめ、物質の左右を外部から自在に切り替える実験的技術を確立することです。電子は非常に軽く、外部操作に高速で応答するため、この切り替えは従来よりもはるかに高速で行えると期待されます。これが実現すれば、光学デバイスの省エネ・高速化や、創薬で重要な分子の異性体識別や作り分けなどへの応用が見込まれ、未来の電子機器や医療に大きな変革をもたらす可能性があります。

【論文情報】

雑誌名:Physical Review Letters (Editors’ Suggestionとして注目論文に選出)

タイトル:Purely Electronic Chirality without Structural Chirality
(構造カイラリティを伴わない純電子的カイラリティ)

著者:Takayuki Ishitobi and Kazumasa Hattori

DOI:https://doi.org/10.1103/dc1q-xzbd

【助成金の情報】

本研究はJSPS科研費JP21H01031、JP23H04866、JP23H04869、JP23K20824の助成を受けたものです。

【用語の説明】

[1]カイラリティ(カイラル、掌性)

右手と左手のように、鏡映しの関係にあるが決して重ならないペアを持ち、「左右の区別」がある性質。分子・タンパク質・結晶などさまざまなものがカイラルになる。固体や生命、薬の働きに深く関わり、19世紀半ばから100年以上研究されてきた基本概念。化学・生物分野ではキラリティという。

[2]原子・電子

原子は物質を形づくる最小単位の一つ。1グラムほどの物質中には、1000億×1000億個(約10の22乗個)ほどの原子が含まれる。原子の中心には重い原子核があり、その周りを軽い電子が動き回っている。電子は原子核の1万倍以上軽く、外からの電気や磁場で動きを変えやすい。

[3]純電子的カイラリティ(Purely Electronic Chirality: PEC)

本研究で提案した新しい概念。原子の並びは左右対称のままなのに、電子の動きだけが右と左で異なる状態。左右の制御に原子を動かす必要がないため、高速に切り替えられる可能性がある。

[4]結晶

原子が規則正しく並んだ状態を指す。原子の配列のパターンがその結晶の特徴を決める。六角形の雪の結晶や四角い塩の結晶のように、目に見える結晶の形が内部での原子の配列構造の対称性を反映することもある。

[5]鏡像異性体

右巻きの分子と左巻きの分子のように、鏡映しの関係にある対の分子。光学異性体ともいう。左右の違いは薬や香り、味の決定に重要で、片方は薬効を持ち、もう片方は毒性を示すこともある。分子の左右を作り分ける技術(不斉合成)は、医薬品や材料開発で極めて重要な基盤技術。2001年には「キラルな分子を選択的に作る方法(不斉触媒)」の開発により、野依良治氏がノーベル化学賞を受賞した。

[6]旋光性

光が物質を通るとき、光の振動方向が少しずつ回転していく現象。右巻きの物質では光が右回りに、左巻きでは左回りに回転し、物質の左右を見分ける手がかりになる。19世紀半ばに発見され、カイラリティ概念の導入につながった。

[7]スピン

電子がもつ「小さな磁石」のような性質。素朴には電子が回転しているイメージだが、電子には大きさはなく、スピンは量子力学に固有の性質である。

[8]スピン分裂

電子の進む向きとスピンの向きが結びつき、同じスピンの状態でも右向きに進む電子と左向きに進む電子で異なるエネルギーをもつ現象。従来はカイラル結晶のように左右が異なる物質でのみ見られるが、純電子的カイラリティでは結晶構造が左右対称でも自発的に生じる。

[9]フォノン・カイラルフォノン

フォノンは、結晶中の原子の震える様子(振動)が波のように伝わる様子を表す粒子。固体における「音」や「熱」の運び役。原子振動がらせん状に伝わるフォノンがカイラルフォノン。通常は結晶が左右で非対称のときにだけ現れるが、純電子的カイラリティでは結晶構造が左右対称でも発生しうる。

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