令和7年11月10日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
国立大学法人高知大学
産業排水や汚水、海水などの水処理の現場では、大量に含まれる塩類を除去するために膜処理が用いられます。その際、水中に有機物が含まれていると膜を詰まらせてしまうため、事前に有機物を取り除く必要があります。しかし、塩類の多い処理水から不要な有機物を除去しようとすると、オゾン処理や酸化剤などによる分解効率は低下し、水処理にかかる試薬消費量の増加やコストが高くなる課題が残されています。
光触媒は、光を当てることで近くの化合物を強力に分解できる材料です。光触媒を利用した水処理は、光で有機物を水や二酸化炭素などに分解する環境にやさしい技術として注目されています。しかし、塩類や共存するイオンが多い水環境では、光触媒と有機物の反応が塩類やイオンによって邪魔され、性能がとても低くなってしまいます。そのため、特に海水や産業排水のような塩類を大量に含む条件での利用が困難でした。さらに、粉末状の光触媒は単体では使いにくく、なにかに固定して使った場合には、光触媒の粒子と汚れが出合う確率が小さくなり、分解効率が大きく落ちてしまうという問題もありました。
研究チームは、水を含んだ多孔質ゲル(ハイドロゲル)[1]に酸化タングステン(WO3)[2]を混ぜ込んだ新しい材料『光触媒ゲル』を開発しました。半透明で細く複雑な水の通り道を持つ構造をとるので、塩類や共存イオンが多い条件でも、光の通りやすさと、光触媒と有機物の出合いやすさを維持できます。光触媒の性能試験に用いる着色剤(インジゴカルミン[3])の分解実験を行ったところ、塩化ナトリウム(NaCl)や硫酸ナトリウム(Na2SO4)が高濃度で存在する条件下でも、従来材料の4〜13倍の分解効率を示しました。この光触媒ゲルは、原料を凍らせ、解凍時に加える有機酸によってゲルを壊れにくくする「凍結架橋法[4]」という簡便な合成法で作製します。大面積・多形状化が比較的容易で、研究室レベルから実用スケールまでの展開が視野に入る点も特長です。
今後は実用化を見据えた耐久性や長期連続稼働性の向上に取り組み、産業排水への応用展開を目指します。また、国際的な水環境問題やSDGs「安全な水と衛生」への貢献を図ります。
本研究は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範)原子力科学研究所物質科学研究センターの杉田剛研究副主幹、上田祐生研究副主幹、中部倫太郎研究員、同研究所プロモーション・オフィスの南川卓也研究副主幹、関根由莉奈研究主席、国立大学法人高知大学理工学部の森勝伸教授の共同研究グループによる成果です。
本成果は、Elsevier社の学術誌 Journal of Photochemistry and Photobiology A: Chemistry(2025年11月7日)に掲載されました。
化学工場や淡水化プラントでは、NaClや硫酸塩などを多く含む水を、逆浸透膜などで処理する必要があります。こうした塩類の多い水に有機物が存在すると、汚れとして膜を詰まらせてしまい、洗浄や交換が必要となります。膜の洗浄や交換にかかる多大なコストは、最終的に製品価格や水道料金として反映され、操業の安定性と安全な水の供給を同時に揺るがします。
また、塩類を多く含む水中の有機物の除去には、化学酸化剤やオゾン分解が使用されていますが、非塩水に比べて効率が低下しやすいのが実情です。そのうえ、薬品の大量消費による環境リスクや、処理コストが高いという問題も抱えています。地域や工程条件にもよりますが、近年の実プラント解析では、膜の汚れに起因するコストが運転経費の約24%に達するという報告があります1。また、膜脱塩技術のコスト配分分析において、化学薬品コストが約12%を占めるとの報告もあります2。こうした背景から、塩類の多い水でも有機物を分解できる新しい技術の開発は、産業の持続性や安全な水供給を支えるうえで大きな社会的意義があります。
光触媒を利用した水処理技術は、光を当てるだけで有機物を水や二酸化炭素などに分解することができ、安心で環境にやさしい技術として注目されてきました。しかし、産業排水や海水のように、水中の塩類またはイオンの濃度が高い条件では、粉末状の光触媒の粒子同士がくっついて塊状になったり(凝集)、イオンが光触媒と有機物の反応を阻害したりして、性能が大きく低下します。光触媒を平板などに固定して凝集を抑えた場合、粉末状と比較して反応に寄与できる粒子の表面積が減少するため、反応効率が大きく落ちるという課題があります。光触媒を保持する基材に多孔質ゲルを用いる材料開発もありますが、反応効率や耐久性が改善しなかったり、合成法が複雑で高コストだったりと、課題が多く、研究段階にとどまっています。
塩類の多い水中でも光触媒を利用できれば、薬剤や特別な装置を使うことなく簡便に有機物を分解できることから、二次廃棄物の低減による環境保全への寄与も期待できます。塩類の多い条件ではたらく光触媒材料は、基礎研究のみならず社会的にも大きなニーズがあります。
従来の粉末状や薄膜状の光触媒材料(図1左)は、溶液中の塩(えん)イオンによる粒子の凝集や反応の阻害により、有機物の分解効率が大幅に低下することが知られています。
そこで研究チームは、我々が2020年に独自開発したハイドロゲルに着目しました。作製工程で内部に髪の毛1~2本分の太さ(100〜200 µm)の複雑な水の通り道が形成され、塩類の多い水中でゲル表面に有機物を吸着する特性があります(図1右)。このハイドロゲルを用いた光触媒ゲルなら、①光触媒微粒子をゲル内部に分散固定することで粒子の凝集を抑え、光触媒と有機物の接触を効率的に保つ②塩類の多い水中で有機物がゲル表面に吸着されやすくなり、分解効率の向上につながる―といった効果が期待できると考えました。
図1 従来の光触媒材料(左)と本研究で開発した光触媒ゲル(右)の違い
本研究では、カルボキシメチルセルロースナノファイバー(CMCF)に太陽光でも機能するモデル光触媒である酸化タングステン(WO3)を混ぜて、凍結後にクエン酸溶液に漬けて解凍する「凍結架橋法」で、光触媒ゲルを合成しました。一般に、WO3のような金属酸化物をハイドロゲル内に均一に固定するのは難しいとされています。研究チームは、CMCFのかき混ぜると柔らかく、静置すると固まる性質を利用し、WO3を分散した状態で固定しました。
走査型電子顕微鏡-エネルギー分散型X線分光(SEM-EDX)観察を行いました。合成した光触媒ゲル内部には100〜200 µm規模の流路が形成され、その内壁にはWO3粉末が均一に固定されていることを確認しました(図2)。また、光触媒ゲル全体でWO3微粒子がどの程度の塊で固定されているか、原子力機構の研究用原子炉JRR-3 [5]に設置されている中性子小角散乱装置(SANS-J, PNO)[6]で解析しました。その結果、SEM-EDXで観察したごく一部だけでなく、全体にわたりWO3粒子が大きな塊にならずに固定されていることが明らかになりました。これにより、有機汚染物質が光触媒と効率的に接触できる反応場が形成されたと推察しました。
図2 光触媒ゲルのSEM画像(左)と光触媒ゲル内壁に固定されたWO3のEDX画像(右)
右図中の緑や白の部分にWO3が固定されている。
インジゴカルミン(青色の着色剤)をモデル有機汚染物質として用いた水中有機物の分解試験を行いました。塩類を含まない水中では、WO3粉末懸濁液(粉末状)やWO3固定ガラス材料(薄膜状)と比べ、光触媒ゲルは優れた分解効率を示しました。また、塩類(硝酸ナトリウム(NaNO3)、NaCl、リン酸ニ水素ナトリウム(NaH2PO4)、Na2SO4)が比較的高濃度(100 mmol L−1)で存在する条件下でも、従来型のWO3粉末やガラス固定型材料と比べて4〜13倍高い分解効率を示しました。一般に塩類は分解効率を低下させますが、興味深いことに、NaNO3やNa2SO4が共存する場合には、分解効率が落ちることなく、むしろ向上するという光触媒ゲルの例外的な特性も見いだしました(図3)。
図3 粉末状、薄膜状、光触媒ゲルの水中でのインジゴカルミン色素残存率(反応後の色素濃度)の比較(左)と、色素分解実験の様子(右、光照射前)
開発に成功したWO₃含有光触媒ゲルは、従来の課題であった「塩類の多い水中での性能低下」を克服しました。実際の工業廃液や海水での利用を可能とする、次世代の水浄化材料となる可能性を示し、「塩類の多い水中における光触媒設計」に新たな指針を与えるものです。本材料は、凍結架橋法によって比較的容易に大面積・多形状で作製可能であり、実験室レベルから実用レベルまで拡張可能な点も特長です。
ハイドロゲルを利用して塩類の多い水中での反応効率を高める手法は、さまざまな溶液条件下で機能する新しい光触媒材料開発の道を拓くと考えています。今後は、産業排水や海水への応用展開を目指し、実用化を見据えた耐久性や長期連続稼働性の向上に取り組みます。
水処理は、原子力施設における再処理においても、放射性ヨウ素種(I-129)や有機体ヨウ素[7])といった難処理核種の除去に必要な技術です。本成果はこうした水処理技術の高度化に資する可能性があり、持続可能な水処理の実現に向けた基盤づくりの一助となることが期待されます。国際的な水環境問題やSDGs「安全な水と衛生」にも貢献する研究へと発展させていきたいと考えています。
各研究者の役割は以下の通りです。
本研究は、日本学術振興会の科学研究費助成事業基盤研究C(22K05205)の助成を受けて実施されました。
1 M. Jafari, M. Vanoppen, J.M.C. van Agtmaal, E.R. Cornelissen, J.S. Vrouwenvelder, A. Verliefde, M.C.M. van Loosdrecht, C. Picioreanu, Cost of fouling in full-scale reverse osmosis and nanofiltration installations in the Netherlands. Desalination 2021, 500, 114865.
2 A. Benahmed, M. Bessedik, C. Abdelbaki, S.A. Mokhdar, M.F.A Goosen, B.Höllerman, A. Zouhiri, N. Badr, Investigating the long-term economic sustainability and water production costs of desalination plants: A case study from Chatt Hilal in Algeria, Egyptian Journal of Aquatic Research 2025, 51, 31–38.
高分子が水を多量に含んで膨潤したスポンジ状の物質。高い透水性や柔軟性を持ち、医療材料や水処理などに利用される。
可視光に応答する半導体光触媒材料の一種。耐久性が高く、水処理や環境浄化への応用が期待される。
青色の合成色素で、食品添加物や染料として利用される。水質浄化の実験でモデル有機汚染物質としてよく用いられる。
凍結と化学的な架橋を組み合わせて多孔質のゲルを作製する方法。比較的容易に大面積・多形状の試料を得られる。原子力機構などの研究チームは2020年、CMCF水溶液を凍結後、クエン酸水溶液中で解凍すると、CMCFが強く架橋することを発見。凍結架橋法を多孔質ゲル合成法として発表し、研究を進めている。
JAEAにある、核分裂反応により生成される定常中性子ビームを用いて材料研究を行う施設。出力は20 MW。施設内には多数の中性子実験装置が設置され、物質の構造解析や材料特性評価など、幅広い研究に活用されている。
物質のミクロな構造を観察・分析するための技術。材料中の平均的な構造について、タンパク質一個分の大きさ(ナノメートル)から髪の毛の太さの十分の一の大きさ(数マイクロメートル)の範囲で詳しく調べることができる。
I-129は半減期約1,600万年の放射性核種。水中で無機体や有機体などさまざまな形態をとるため環境中に残留しやすく、汚染水処理や環境管理の重要な対象。有機体ヨウ素は、ヨウ素が有機分子と結合した化学種。水中では吸着除去が難しく、難処理核種の一つとされる。