2025年10月17日
国立大学法人東北大学
国立大学法人東京大学
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構

電子スピンのトルクを2重にして磁壁移動を実現
次世代スピントロニクスメモリの省エネルギー・高速動作に道

【発表のポイント】

【概要】

磁石の中に形成される磁区(注1)を情報担体とするスピントロニクス素子は、次世代エレクトロニクスを担うテクノロジーとして期待されています。素子の動作には磁壁を電流で移動させる必要があり、小さな電流で高速に磁壁を移動させる材料や技術が切望されていました。

東北大学大学院工学研究科の増田啓人大学院生(研究当時)、同大学金属材料研究所の山崎匠助教、高梨弘毅教授(研究当時、現:日本原子力研究開発機構)、関剛斎教授らは、2層のCoをIr中間層で反強磁性結合させてPt層で挟んだPt / Co / Ir / Co / Pt積層構造で、磁壁の移動について実験と計算の両面から調べました。上下のPt層から反対向きの電子スピンをCo層に注入したところ、電子スピンによるトルクが打ち消し合わずCo層に作用し磁壁を移動させました。さらに、Co層厚を傾斜させて非対称性を付与することで内部磁場を生成し、小電流で速い磁壁移動を実現しました。本成果は次世代スピントロニクスメモリの省エネルギー・高速動作の実現に大きく寄与するものと期待されます。

本研究成果は2025年10月17日15:00(インド標準時)に、総合科学誌Advanced Scienceにオンライン掲載されます。

なお本成果は、東北大学学際科学フロンティア研究所の山根結太准教授、同大学電気通信研究所の土肥昂尭助教、東京大学大学院新領域創成科学研究科のRajkumar Modak特任助教、内田健一教授(物質・材料研究機構 上席グループリーダー 兼任)、日本原子力研究開発機構 原子力科学研究所 先端基礎研究センターの家田淳一グループリーダー、および独ヨハネス・グーテンベルク大学マインツのMathias Kläui教授との共同研究によるものです。

【詳細な説明】

研究の背景

スピントロニクスとは、電子が持つ電荷とスピンの双方の特徴を組み合わせることで、高機能かつ低消費エネルギーで動作が可能なエレクトロニクス素子の創製を目指す研究分野です。ハードディスクドライブの読み取りヘッドや、不揮発性メモリである磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)は、スピントロニクス機能を使った代表的な応用例です。そして次のスピントロニクスメモリ技術として注目を集めているのが、磁石(強磁性体)の中に形成される磁区をデジタル情報とし(例えば、磁気モーメントが上向きにそろった磁区に「1」、下向きにそろった磁区に「0」を担わせる)、電流によって磁区(デジタル情報)を移動させる技術です。この技術は、連続する磁区をシフトさせて情報の読み出しを行う磁気メモリや、三端子構造のMRAMなどの動作において鍵となります。

磁区と磁区との間には磁壁が存在しますので、磁区を移動させることは磁壁を移動させることに相当します。電流を磁性体に直接通電することによって磁壁を移動させられる現象は、2000年代に入ってから盛んに研究され、その物理機構の理解が進展しました。主要な機構の1つに、スピンホール効果(注2)によって生成させたスピン流(注3)(スピン角運動量の流れ)による磁壁移動があります。強磁性体とスピンホール効果を示す非磁性体とを積層させた薄膜に電流を流すことで、スピン流の電子スピンと強磁性体の磁気モーメントとの相互作用により磁気モーメントにトルクが働き、磁壁が移動します。この電流誘起の磁壁移動を動作原理とするメモリでは、省エネルギー化や高速動作の実現に向けて、小さな電流で磁壁を高速に移動させるための材料や技術が不可欠となっています。

今回の取り組み

研究グループは、ナノメートルオーダー(1ナノメートルは1メートルの10億分の1)の厚さを有する強磁性Co層と非磁性Ir層およびスピンホール効果を示すPt層から構成される人工反強磁性体の薄膜(図1(a))を作製し、その中に形成される磁壁に着目しました。人工反強磁性体とは、強磁性層 / 非磁性層 / 強磁性層の積層構造において、2つの強磁性層間にはたらく長距離の磁気的相互作用(層間交換結合(注4))により磁気モーメントが反対方向を向く(反強磁性的に結合する)物質です。今回の研究では、Ir層を介して上下のCo層が反強磁性的に結合することに加え、Co層とPt層の界面に起因した磁気異方性によってCo層の磁気モーメントが薄膜の面垂直方向に向いた「垂直磁化の人工反強磁性体薄膜」を用いました。

微細加工によってPt / Co / Ir / Co / Pt積層構造の細線を作製し、電流を通電することによる磁壁の移動について実験と計算の両面から調べました。図1(b)は、磁気光学カー顕微鏡(注5)を用いて磁区構造を観察した実験結果です。細線に印加したパルス状の電流の印加回数に比例して、徐々に磁壁が移動していることが確認できました。今回の実験では、上下に配置された2つのPt層のスピンホール効果によって、反対向きの電子スピンがCo層に注入されていると考えられますが、反対向きの電子スピンによるトルク同士が単純に打ち消しあうのではなく、反強磁性的に結合したCo層の磁気モーメントに対して作用し、磁壁を移動できることが明らかになりました。この実験結果は数値計算でも再現され、電子スピンのトルクを二重化して磁気モーメントに作用させ磁壁移動を駆動するというメカニズムを初めて実証しました。

さらに、Co層の層厚を傾斜させて膜面内に構造の非対称性を付与することにより、反対称の層間交換結合によって新たな有効磁場を作り出すことに成功しました。そして、この有効磁場が増えると磁壁を生成するための電流密度が低減し(図2(a))、一方で磁壁速度は増加すること(図2(b))を見出しました。この結果は、反対称の層間交換結合を活用することによって、小さな電流で速く磁壁を移動できることを意味しています。

図1. (a) Pt / Co / Ir / Co / Pt人工反強磁性体の積層構造の模式図および期待されるカー顕微鏡像のコントラスト。(b)細線に対し電流を左から右に流した場合と、右から左に流した場合のカー顕微鏡像。白い矢印が磁壁位置を示しており、パルス状の電流の印加回数(1回目から5回目)に依存して磁壁位置が移動している様子がわかる。

図2. (a)反対称の層間交換結合(IEC)による有効磁場と磁壁形成の電流密度および(b)磁壁速度の関係。

今後の展開

今回の成果は、電流誘起の磁壁移動を動作原理とする次世代スピントロニクスメモリの省エネルギー・高速動作の実現に向けて、大きく寄与するものと期待されます。従来のスピントロニクスでは強磁性体が主役ですが、近年、反強磁性体の利点(漏れ磁場がない、外部擾乱に強い、高速な磁化ダイナミクスを示すなど)に着目し、強磁性体スピントロニクスよりも高集積で高速動作を目指した反強磁性スピントロニクスが注目を集めています。今回の人工反強磁性体における電流誘起磁壁移動の実証は、反強磁性スピントロニクスの発展にも貢献できる重要な成果と位置付けられます。

【謝辞】

本研究は、JSPS科研費・基盤研究(A)(JP23H00232, JP24H00409)および文部科学省次世代X-nics半導体創生拠点形成事業(JPJ011438)の支援を受けて実施されました。また、掲載論文は『東北大学2025年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業』の支援を受けOpen Accessとなっています。(DOI:10.1002/advs.202514598)

【用語説明】

注1. 磁区と磁壁

磁区とは磁気モーメントの方向がそろった領域であり、磁区と磁区との境界には磁気モーメントの方向が徐々に変化する磁壁が存在する。

注2. スピンホール効果

スピン軌道相互作用の大きな非磁性体に電流を流すと、電流の横方向にスピン流が生じる現象。非磁性体を流れる電流はスピン分極していないが(上向きスピンと下向きスピンの数は同数でJ- J= 0となるが)、スピン軌道相互作用により上向きスピンと下向きスピンが逆方向に散乱されることにより、電流の横方向にスピン流を発生できる。これは電荷の流れを伴わない純スピン流とも呼ばれる。

注3. スピン流

スピン角運動量の流れ。電子スピンは自転しており、(スピン)角運動量を持っている。この電子スピンを上向きスピンと下向きスピンに区別すると、上向きスピンの流れJと下向きスピンの流れJを用いてスピン流はJ- Jで表される。

注4. 層間交換結合

非磁性層を介して強磁性層間にはたらく長距離の交換相互作用。その交換エネルギーは、隣り合う2つの強磁性層iおよびjの磁化miおよびmjをつかって、E=-J(mimj)で与えられる。mimjが強磁性的に結合するか反強磁性的に結合するかは、交換結合定数Jの符号で決まり、その大きさと符号が非磁性層や強磁性層の厚さに依存して変化する。

注5. 磁気光学カー顕微鏡

光が磁性体に入射すると磁気モーメントの方向に依存して光の偏光状態が変化した反射光が得られる磁気光学カー効果を利用して、磁化の向きをコントラストの違いとして表示する磁気光学顕微鏡。

【論文情報】

タイトル:Efficient Manipulation of Magnetic Domain Wall by Dual Spin-Orbit Torque in Synthetic Antiferromagnets

著者:Hiroto Masuda, Yuta Yamane, Takaaki Dohi, Takumi Yamazaki, Rajkumar Modak, Ken-ichi Uchida, Jun’ichi Ieda, Mathias Kläui, Koki Takanashi, and Takeshi Seki*
*責任著者:東北大学金属材料研究所 教授 関 剛斎

掲載誌:Advanced Science

DOI:10.1002/advs.202514598

URL:https://doi.org/10.1002/advs.202514598

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