令和7年4月17日
一般財団法人総合科学研究機構
株式会社豊田中央研究所
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
J-PARCセンター

燃料電池の未来を拓く
- 触媒層内の"水"を定量的に評価する新手法の確立 -

【発表のポイント】

新評価方法で定量化された燃料電池触媒層内の水分布の様子

【発表概要】

地球温暖化対策として、再生可能エネルギーを活用したクリーンな発電システムの開発が世界的な課題となっています。水素を燃料として利用する固体高分子形燃料電池(PEFC)※1は、発電時の排出物が水のみという環境にやさしい特徴を持ち、特に燃料電池自動車への応用が期待されています(図1)。発電特性は燃料電池内部の水の挙動と密接に関連しており、その制御は極めて重要です。 しかし、触媒層を構成するアイオノマー(イオン伝導性高分子)※2の中の水の挙動の理解は不十分でした。

一般財団法人総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センターの岩瀬裕希副主任研究員、有馬寛副主任研究員(現、京都大学複合原子力科学研究所 准教授)、株式会社豊田中央研究所の原田雅史主任研究員、および国立研究開発法人日本原子力研究開発機構・物質科学研究センターの熊田高之研究主幹の研究グループは、中性子小角散乱(SANS)法※3を用いて、PEFC内部の触媒層におけるアイオノマーの含水率を定量化する新たな評価方法を提案しました。

従来の研究では加湿された触媒層に対して複雑なモデルを構築してきましたが、本研究では乾燥状態と含水状態の実験結果を直接比較することで、含水率を評価できることを見出しました。

本手法を用いた解析の結果、相対湿度が増加すると、触媒層のアイオノマーが水を強く保持することが明らかになりました。発電中の燃料電池に適用したところ、触媒層内のアイオノマーの含水率が発電性能に大きな影響を与えることを確認し、性能向上と耐久性強化に向けた新たな設計指針を提供することが可能になりました。

本研究成果は、Elsevierの化学工学分野の専門誌「Chemical Engineering Journal」に2025年4月15日に掲載されました。

図1. 燃料電池セル内のマルチスケール水分布の概要図.
高分子電解質膜の水和水は中性子小角散乱(SANS)により、ガス拡散層内の滞留水は中性子ラジオグラフィー法などにより調べられてきた。一方、触媒層内の水は、SANSやラジオグラフィー法を含む様々な手法で研究されてきたものの、加湿中や作動(発電)中の水の評価方法は確立されていなかった。

【研究の背景】

気候変動への取り組みには、燃料電池技術の進歩が不可欠です。現在、PEFCは自動車など様々な分野で使用されていますが、性能と耐久性の向上が必要です。PEFCの発電性能は触媒層で決まり、この層は白金触媒付きカーボン粒子とアイオノマーで構成されています。水素と酸素が反応する際、水は必要不可欠な役割を果たしますが、多すぎると燃料供給を阻害します。そのため、触媒層のアイオノマーにおける水分量の正確な制御が課題となっています。

触媒層の構造解析には、電子顕微鏡観察と中性子・X線散乱法が用いられています。電子顕微鏡観察では触媒層の微細構造を直接観察できますが、触媒層のアイオノマー内の水の評価が困難です。X線散乱法では、白金触媒の強い散乱により、触媒層内の含水率を正確に評価できません。これに対し、中性子散乱法は水素を高感度で検出でき、燃料電池内部の水の状態を可視化するのに適しています。

従来のアイオノマー含水率評価は、白金、炭素粒子、アイオノマー、水の4成分からなる構造モデルを使用し、実験データから構造を特定していました。この方法で触媒層内の水量を推定していましたが、成分が多いため解析が非常に複雑でした。触媒層の構造を詳細に把握するためには、広範な波数Q範囲※4の散乱強度測定や、水素・重水素の散乱能の違いを利用した測定が不可欠でした。この複雑な手順のため、構造解析に数カ月かかり、新材料の評価ではさらに時間を要していました。

【研究内容と成果】

本研究では、SANS法を活用し、触媒層内のアイオノマーの含水率を効率的に評価する方法を確立しました(図2)。この手法では、従来の広範な波数Q範囲測定に代えて、中性子レンズ※5で集光した中性子線を用い、波数Qがゼロ近傍における散乱強度を精密測定します。乾燥状態と加湿状態の試料を比較分析することで、触媒層内のアイオノマーの含水率を算出することに成功しました。 また、アイオノマー以外の触媒層内の水の有無は、加湿ガス内の軽水素と重水素※6の比率を変えた測定により判別可能です。本手法は多様な炭素粒子やアイオノマーに適用でき、構造モデルを必要としないため、含水率評価を1日から1週間程度で完了できる利点があります。

この手法を80℃での燃料電池の作動条件下で適用した結果(図3)、相対湿度40%以下ではアイオノマーがほとんど水を含まず、相対湿度80%で水が飽和することを実証しました。また、大強度中性子を利用した時間分解SANS測定により、アイオノマー内の水分子は、同一分子構造を持つ高分子電解質膜内の水分子と比較して、より強い結合特性を示すことが明らかになりました。さらに、本手法を既に発表された発電中の燃料電池の測定データに適用した結果、触媒層の水分量と発電性能の低下が相関することが確認され、燃料電池の性能最適化に向けた有力な指針を提供しました。

図2. 触媒層をコートした電解質膜(CCM)の中性子小角散乱(SANS)測定結果.
(上)加湿および発電時における触媒層内の水分布の考察.
(下)中性子小角散乱(SANS)実験結果.
(a)温度80℃におけるCCMのSANS結果の相対湿度依存性。低い波数Q領域を精度よく測定することで、触媒層アイオノマーの評価が実現。
(b)温度80℃、相対湿度80%におけるCCMを加湿ガス内の軽水と重水の比率を変えて測定した結果。
図3. 触媒層内のアイオノマーの体積に対する水の体積量の湿度依存性.

【研究の意義と今後の展望】

本研究で開発された評価法により、燃料電池の触媒層内のアイオノマーの含水率をこれまでより短時間で正確に定量化できるようになりました。この成果は、燃料電池の性能向上に向けて、主に二つの重要な応用が期待されます。一つ目は触媒層の材料開発への活用です。様々な触媒層材料の水分布を評価できることから、新規材料開発のスクリーニング手法として、より効率的な材料設計指針の確立に貢献します。二つ目は、アイオノマーの含水率の定量的評価に基づく運転条件の最適化です。特に、水管理方法の改善と耐久性向上に向けた運転制御方法の開発が可能になります。これにより、燃料電池自動車をはじめとする水素エネルギー利用の普及が加速すると期待されます。

【研究支援】

大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質・生命科学実験施設(MLF)※7におけるSANS実験は、MLF施設枠課題 (課題番号2021C0004) に基づき実施されました。また、研究用原子炉JRR-3※8におけるSANS実験は、原子力機構施設供用利用(課題番号2021A-A211)により実施されました。

【各研究機関の役割】

【論文情報】

タイトル:Confined Water Distribution in the Ionomer within the Catalyst Layers of Polymer Electrolyte Fuel Cells: A Small-Angle Neutron Scattering Study

著者:Hiroki Iwase1, Hiroshi Arima-Osonoi1, Masashi Harada2, Takayuki Kumada3

掲載誌:Chemical Engineering Journal

著者所属:
1 Neutron Science and Technology Center, Comprehensive Research Organization for Science and Society (CROSS), Tokai, Ibaraki 319-1106, Japan
2 Toyota Central R&D Labs., Inc., 41-1 Yokomichi, Nagakute, Aichi 480-1192, Japan
3 Materials Sciences Research Center, Japan Atomic Energy Agency, Tokai, Ibaraki, 319-1195, Japan

DOI:10.1016/j.cej.2025.161321

【用語説明】

※1:固体高分子形燃料電池(PEFC)

燃料電池は、水素と酸素を化学反応させて電気を作る装置です。固体高分子形燃料電池(PEFC)は、その中でも「固体高分子膜(電解質膜)」を用いるタイプで、比較的低い動作温度(およそ80℃前後)で動かせるのが特徴です。水素イオン(プロトン)を、膜を介して移動させることで電流が得られ、排出物が水だけという環境面での利点があります。燃料電池自動車などに広く応用が期待され、世界中で研究開発が進んでいます。

※2:アイオノマー(イオン伝導性高分子)

アイオノマーは、電気(イオン)を通す性質を持つ高分子材料です。化学的に安定なフッ素樹脂の骨格と、水となじみやすい部分が共存し、ナノスケールで分離した領域を形成します。この構造により、水分を含んだ状態で優れたプロトン伝導性を実現でき、燃料電池の触媒層において反応場の維持とプロトン輸送という重要な役割を果たします。ただし、アイオノマーや水が過剰になると、反応に必要な水素や酸素の移動が妨げられます。そのため、適切な水分量を保つことが燃料電池の性能を左右する重要な要素となります。

※3:中性子小角散乱(SANS)法

量子ビームの一種である中性子線を試料に照射し、小さな角度(小角)で散乱される様子を測定する手法です。X線や電子線とは異なり、中性子は水素などの軽い元素に対しても高感度であり、物質内部の水分や有機材料などを詳細に評価しやすいのが特徴です。 本研究では、SANSを用いて触媒層内のアイオノマーの水分量と分布を定量的に調べ、燃料電池の発電性能との関連性を解明しています。

※4:波数Q

散乱実験では、物質から散乱されたビームの「散乱角度」を「波数Q」という量で表します。この波数Qに対する散乱強度を分析することで、物質の大きさなどの特徴を調べることができます。波数Qの値が小さい時は物質の大きな構造を、大きい時は細かい構造を観察できます。特に小角散乱では、非常に小さな波数Qの領域を詳しく調べることで、ナノメートル(10億分の1メートル)からマイクロメートル(100万分の1メートル)の大きさの構造を観察することができます。

※5:中性子レンズ

光学レンズが光を屈折させて一点に集めるように、中性子線も屈折効果を利用してビームを集光できます。中性子線を検出機器面に集光させることで、波数Qがゼロ付近(極めて小さな散乱角度領域)の測定精度を向上させることができます。本研究では、この技術を用いて、燃料電池触媒層内のアイオノマーの微細構造や水分量を高感度かつ短時間で評価しました。この中性子レンズを用いたSANS実験は、日本原子力研究開発機構(JAEA)の研究用原子炉JRR-3に設置された中性子小角散乱装置SANS-Jで実施され、フッ化マグネシウム(MgF₂)製の中性子レンズを使用していました。

※6:軽水素と重水素

水素には、質量数が1の「軽水素(通常の水素)」と、質量数が2の「重水素(中性子が1つ多い)」という同位体があります。中性子散乱実験では、軽水素と重水素では散乱能(中性子に対する感度)が大きく異なるため、水に軽水と重水の比率を変えることで、試料からの信号を自在に変えることができます。

※7:大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質・生命科学実験施設(MLF)

J-PARCは、日本原子力研究開発機構(JAEA)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が共同で茨城県東海村に建設し、運用している世界最大規模のビーム強度をもつ陽子加速器群と実験施設群の総称です。加速した陽子を原子核標的に衝突させた時に生じる中性子、ミュオン、中間子、ニュートリノなどの二次粒子を用いて、物質・生命科学、原子核・素粒子物理学などの最先端学術研究及び産業利用を行っています。物質・生命科学実験施設(MLF)では世界最高強度のパルス中性子及びミュオンビームを利用した実験を行うことができます。

※8:研究用原子炉JRR-3

JAEAの研究用原子炉は、核分裂反応により生成される定常中性子ビームを用いて材料研究を行う施設です。出力20 MWで稼働しています。施設には多数の中性子実験装置が設置され、J-PARC MLFと同様に物質の構造解析や材料特性評価など、幅広い研究に活用されています。本研究では、この施設において中性子レンズを使用したSANS実験を実施しました。

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