令和6年5月17日
河北工業大学
日本原子力研究開発機構
広東省科学院
研究用原子炉JRR-3からの定常中性子ビームを用いて、ハイエントロピー合金[1]を圧延する際に生じる集合組織について定量評価を行いました。その結果、炭素を添加することで形成される変形双晶が、ゴス方位結晶粒[2]とブラス方位結晶粒[3]と呼ばれる2種類の特殊な結晶粒の形成を促進することを初めて明らかにしました。
ハイエントロピー合金とは5種類以上の構成元素が、ほぼ等原子分率で混ぜ合わせられた合金です。この合金の特徴の1つとして、高強度や高延性、高い耐照射性など、特異で優れた力学特性が挙げられます。一方実用化においては、平板にするために低い温度で行う冷間圧延[4]を施しますが、この際にも力学特性を向上させることが1つの課題として挙げられています。
そこで我々は、ハイエントロピー合金の冷間圧延における変形と集合組織の関係が、炭素添加の有無でどう影響されるのかを中性子回折法[5]と電子顕微鏡観察を用いて調べました。中性子回折法では、材料の結晶構造やひずみ、集合組織など、微視的な状態を明らかにできます。本研究では、冷間圧延の条件の変化や炭素添加の有無など、様々な条件で中性子回折を取得しました。さらに、その結果を電子顕微鏡観察と組み合わせることで、炭素添加が微視組織の変化に及ぼす影響を詳細に調べました。
その結果、冷間圧延による変形の初期段階では、炭素元素の有無で結晶方位にはほとんど変化がないが、50%の冷間圧延変形では、ゴス方位結晶粒とブラス方位結晶粒の形成が、炭素元素有の条件で著しく高くなることを明らかにしました。そしてこの要因が炭素添加による変形双晶であることを明らかにしました。今後、これらの組織配向を制御する技術を最適化することで、耐照射性に優れた新構造材料の開発が加速し、宇宙・原子力産業への適用が期待されます。
なお本研究成果は、河北工業大学の方偉准教授、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範、以下「原子力機構」という。)物質科学研究センターの徐平光研究副主幹、広東省科学院の殷福星教授らの研究グループによるものです。
本研究成果は、国際学術誌「Scripta Materialia」のオンライン公開版(5月9日(日本時間))に掲載されました。
世の中で様々に使われている金属材料は、鉄(Fe)やアルミニウム(Al)などの1つ(または2つ)の主要元素と、クロム(Cr)、ニッケル(Ni)シリコン(Si)、マンガン(Mn)、リン(P)、硫黄(S)などの微量元素で構成されています。近年、航空宇宙、原子力発電、輸送機器などの産業分野の急速な発展により、金属材料はより高い性能が求められています。ハイエントロピー合金(High Entropy Alloys)は2004年にYehらによって新しいタイプの金属材料として提案されました[参考文献1]。ハイエントロピー合金は5種類以上の構成元素がほぼ等原子分率で混ぜ合わせられた合金です。そのため、合金としての特性は通常の金属材料のように主要元素に依存しないため、非常に特異なものとなり、高強度高延性などの機械的特性や耐照射性などの機能性を有した魅力のある合金として、近年様々な研究開発が行われています。例えばハイエントロピー合金の代表的な合金の一つであるCoCrFeMnNi合金は、優れた機械的性能を持ちかつ安定した金属材料であり、優れた耐照射特性を示すことも報告されています[参考文献2-3]。
一方、実用化においては平板にするための冷間圧延など機械加工が必須となります。この際、圧延変形に伴い集合組織が発生することが知られており、材料強度特性に大きな影響を与えます。そのため、集合組織に影響を及ぼす因子を明らかにすることは、実用化のためには必要不可欠な課題となります。
本研究は、中性子回折測定と電子顕微鏡観察の相補利用により、圧延加工変形量と炭素添加有無のハイエントロピー合金における集合組織と微視組織の関係について調べました。
本研究では、軽元素固溶の影響を明らかにすることを目的としていることから、炭素親和性の弱い元素で構成されるFeMnCoNi合金と、そこに炭素を添加した(FeMnCoNi)96.5C3.5合金を用意しました。これらの合金を高温均一化処理した後、冷間圧延および焼鈍処理を経て、再結晶した結晶サイズがほぼ同じになるように調整しました。そして、異なる条件の冷間圧延を行い、それぞれの分析に必要となる試験片を準備しました。
中性子回折測定は、研究用原子炉JRR-3[6]に設置されている中性子応力測定装置RESA[7]を用いて行いました。中性子はX線や電子線に比べて3桁以上の高い透過能力を有し、ハイエントロピー合金試料に局所の格子ゆがみがかなり大きい場合でも、幅広い中性子入射ビームを使って数億個の結晶粒を含有する10mm立方体試料からの完全極点図[8]を高統計的に採集することができます(図3)。本装置を用いることで、様々な条件で用意されたハイエントロピー合金における圧延変形集合組織を定量的に解析することに成功しました。
図4(左)はRESAで測定したデータより解析して得られた50%冷間圧延のハイエントロピー合金の結晶方位[9]分布関数(ODF)です。コンターマップはほぼ同じような等高線図を示していますが、炭素添加有の下段は炭素添加無の上段に比べて等高線の数値が高いことがわかります。図に示しておりませんが、炭素添加したハイエントロピー合金の結晶方位分布は、変形の初期段階では炭素添加なしハイエントロピー合金の分布と類似しています。つまり、図4(左)にしめした2つの差は冷間圧延変形が50%とかなり大きくなったところから発生していることがわかりました。そして炭素添加有における等高線の値が高いところは、ゴス方位とブラス方位を示しています。そして、等高線の値が高いということは、その方位を向いている結晶粒の数が多いことを意味しています。では、このような現象がどうして起こったのか?その答えは図4(右)の電子顕微鏡観察にあります。下段の炭素添加有の写真には斜めの線が多数確認されます。これは双晶[10]と呼ばれるもので、加工中に加わるせんだん応力を受けた時発生するものであり、結晶原子面がある場所を境に対称な原子構造をとる場合に出現することが知られています。今回の場合、添加炭素が違いとしてあげられることから、この双晶は添加炭素由来であるといえます。つまり、ゴス方位結晶粒とブラス結晶粒の形成は、格子間炭素の添加による冷間圧延変形によって生じた双晶によるものであることが初めて明らかとなりました。
本研究は、より高強度・高耐照射性の先進材料の開発に資する、圧延中の格子間固溶元素強化型ハイエントロピー合金の組織変化を明らかにすることを目的として実施されました。中性子回折による集合組織測定技術は、結晶方位分布を含む材料情報を得ることができ、電子顕微鏡観察と組み合わせることで、ハイエントロピー合金の冷間圧延における結晶方位密度向上の解明に成功しました。今後、さらに研究を重ねることで、ハイエントロピー合金の冷間圧延のみならず様々な加工下における結晶方位制御を可能として、力学特性、機能性向上が図られた実機としての利用が期待できます。さらに、本計測技術は様々な金属材料に適用可能であることから、イノベーション創出を実現する革新的な材料開発や製品開発、耐照射性に優れた新構造材料の開発が促進され、宇宙・原子力産業の更なる発展に貢献することが期待できます。
雑誌名:Scripta Materialia
タイトル:Influence of interstitial carbon on bulk texture evolution of carbide-free high-entropy alloys during cold rolling using neutron diffraction
著者名:Wei Fang1, Chang Liu1, Jinfei Zhang1, Pingguang Xu2, Tiexu Peng1, Baoxi Liu1, Satoshi Morooka2, Fuxing Yin1,3
所属:1河北工業大学(河北工大)、2日本原子力研究開発機構(原子力機構)、3広東省科学院
DOI:https://doi.org/10.1016/j.scriptamat.2024.116046
本研究は、中国自然科学基金委員会課題(No.51701061)、河北省自然科学基金委員会課題(No.E2021202075)と原子力機構施設供用利用課題(JRR-3 No. 2022A-A04)の支援により実施されました。
全文校閲に加え、各研究者の役割は以下の通りである。
従来合金のように主成分となる元素が決まっておらず、5種類以上の元素が比較的高濃度で混合された新しいタイプの合金種類である。通常の合金とは異なる力学的・物理的・化学的性質を持つことから、先端材料の一つとして注目されている。
1930年代にN. P. Gossが発明した方向性電磁鋼板は、数ミリ以上の巨大な結晶粒からなり、その結晶方位は{110}〈001〉方位に高度に集中している。この{110}〈001〉方位は、圧延方向において鉄の磁化容易軸dに一致するため、方向性電磁鋼板は圧延方向において優れた磁気特性を有し、電気機器の省エネルギー化に大きく寄与する材料となる。変圧器や回転機の鉄心材料として広く用いられる方向性電磁鋼板にとって重要な{110}〈001〉方位は、Gossの功績に敬意を表してゴス方位と呼ばれている。
日本の五円硬貨に良く使われる黄銅(Brass)は、銅と亜鉛の合金で、特に亜鉛が20%以上のものを指す。圧延黄銅板は、{110}<112>方位を主結晶方位とする圧延銅亜鉛合金型の集合組織を有し、この方位をブラス方位と呼ばれている。
冷間圧延とは、常温や室温で回転するロールで金属を押しつぶしながら引き延ばす加工であり、材料を加熱する設備が不要で、加工後の寸法精度が高い、仕上がり表面が美しい。一方、金属の変形抵抗が大きいため、加工に大きな力が必要,また加工硬化による残留応力の除去のため、加工後にある程度の熱処理が必要となる。
中性子線の持つ波の性質を利用して、結晶の整列した格子面にある原子間で回折を起こし、その格子面間隔を測定する手法。回折の強度から結晶の向きや体積率を測ることができる。回折法では測定したい間隔(鋼材では0.05~0.3ナノメートル程度)に近い波長を持つ放射線を使用し、中性子線の他にもX線や電子線を用いた回折法が有名である。中性子線は鋼材に対して数ミリから数センチメートル程度の内部まで測定することができる。
研究用原子炉3号JRR-3は、昭和37年(1962年)に、日本の初号国産研究炉(熱出力10MW)として臨界に達した後、原子力の黎明期を支える多くの研究に広く活用されてきた。その後、平成2年(1991年)、熱出力20MWの高性能汎用研究炉として性能向上を目指した改造を行った。平成23年(2011年)の東日本大震災から新規制基準への適合性整備を行い、令和3年(2021年)2月26日に運転再開を果たせた。JRR-3に設置された利用設備を用いて、種々の中性子ビーム実験、原子力燃料・材料の照射試験、ラジオアイソトープやシリコン半導体の製造などの基礎研究から産業利用に至る幅広い分野に展開されている。
中性子応力測定装置RESAは、角度分散型の中性子回折装置であり、JRR-3ビームホールのT2-1ポートに設置されている。中性子応力測定は、原子間を評点間距離とする物理的な応力計測法であり、中性子の優れた透過能を生かすことで、数mmから数十mmオーダーの材料内部のひずみ・応力状態を非破壊・非接触で測定することができる唯一の測定技術として知られており、種々の機械構造物の残留応力測定を通して、高性能、高信頼性、長寿命化を目指した製品開発や構造設計に大きく貢献している。一方で、材料強度や破壊メカニズムを議論するうえでは、単に残留応力を測定するだけでなく、弾性ひずみ(応力)や集合組織、転位密度等の微視組織因子を定量的に評価することも重要である。これらの微視組織因子のバルク平均と力学特性との関係を求めて、材料の変形メカニズムや強度発現メカニズムを議論するのに適している。このように、中性子回折法は、残留応力に基づく機械部品等の健全性を評価する応力評価研究だけでなく、材料の機械的特性や機能性向上を目指した材料工学研究などへの応用が期待されている。
これは結晶材料の結晶方位の平面投影図であり、球面投影によってすべての結晶方位が記録されている。北極は試料板の圧延方向に、中心は試料板の垂直方向によく表れている。
通常の材料は、原子配列の内部周期性が概ね維持された多数の結晶粒から構成されている。この結晶粒の向きを結晶方位と呼ぶ。大きな外力が加わると結晶方位が変化し、外力の方向に寸法が伸びる場合があり、材料の塑性変形として知られている。すべての結晶方位を統計的に表現するために、3次元の結晶方位分布関数(ODF)が良く使われる。
同じ化学組成で同じ結晶構造を持つ2個以上の単結晶が、ある角度の規則性を持って結合したものと指す。特定の結晶原子面を境界とし、その面を対称面として、2次回転の対称軸に対して両側が対称な原子構造を持つ接合によって現れる特殊な結晶構造である.この対称面を双晶面,共通な軸を双晶軸と呼ばれている。