令和6年4月22日
国立大学法人東北大学
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構

磁石に潜む「電子の宇宙」の室温制御に成功
~新規量子スピンデバイス実現に繋がる基礎原理に迫る~

【発表のポイント】

【概要】

一般相対性理論(注1)の効果として、強い重力の働く宇宙空間では、直進する光の経路が時空のひずみ(計量(注1))に沿って曲がることが良く知られています。この原理はGPSに代表される全球測位衛星システム(GNSS)にも使われています。同様の現象が、物質中の電子の流れである電気伝導でも見られると理論的に予測されています。この特異な電気伝導を生み出すのが、物質中の電子が持つ量子状態のひずみ具合を表す量子計量です。本研究はこの「電子の宇宙」とも言える量子計量を、室温、卓上にて実験的に制御したものです。

今回東北大学のハン ジャーハオ(Jiahao Han)助教、内村友宏大学院生、深見俊輔教授、大野英男教授ら、及び日本原子力研究開発機構の荒木康史研究副主幹と家田淳一グループリーダーによる研究チームは、スピン(個々の原子が持つ磁気)が三角形状に配位したカイラル反強磁性体(注2)にて、印加磁場に追随して変化する特異な電気伝導信号を実験で捉えました。理論モデルの解析により、これが磁場で制御された量子計量に由来することを突き止めました。昨年米国のチームから極低温、高磁場での量子計量の制御が報告されていましたが、本研究はこれを室温、低磁場(卓上)で実現した点に革新性があります。

この知見は量子計量が織りなす電気伝導現象を理解し利用していくための第一歩であり、今後、整流器やセンサー等の新規量子スピンデバイスへと発展していくことが期待されます。

本研究成果は、2024年4月22日(英国時間)に物理学分野の専門誌Nature Physicsに掲載されました。

【詳細な説明】

研究の背景

電気伝導は電子デバイス開発の基礎となる原理です。一般的な物質中での電気伝導は、両端に発生する電圧が流れる電流の量に比例するオームの法則に従います。その一方、オームの法則を超越した(非オーム的な)新奇な電気伝導を創出・利用することで、デバイス中の電流の方向や大きさを効率よく制御し、従来のデバイスを超えた機能を実現できるものと期待されます。

物質中の電気伝導の精緻な理解には、電気伝導の担い手となる電子一つ一つの挙動に注目する必要があります。ここで重要となるのが量子力学であり、量子力学では電子の挙動はその量子状態に対応する波動関数(注3)の構造で記述されます。この波動関数に特異な構造(ねじれている、ひずみがある等)があれば、電子の経路が曲げられ、非オーム的な電気伝導が現れることが理論的に予言されています(電圧が電流と異なる方向に応答する、電圧と電流が比例しない、等々)。従って、このような電気伝導特性の利用に向けては、適切な量子状態の構造を持つ物質の選択・設計、及び制御手法の確立が重要となります。

量子状態の構造を特徴づける基礎となる概念が量子計量です。これはフランスの物理学者ProvostとValleeにより1980年に理論提案されたもので(参考文献)、一般相対性理論の根幹をなす概念「計量」に類似した数学的構造を持つことから量子計量と名付けられました。計量はブラックホール等の強い重力が支配する宇宙の構造を表すもので、これによって光や天体の経路が曲げられることが観測により確かめられています。この類推で、電子の経路を変化させ、非オーム的な電気伝導を創出するためには、「電子の宇宙」とも言える量子計量の効果を測定し、更にその形を制御する必要があります(図1)。

しかし、物質中での量子計量を実験的に制御することはこれまで非常に困難でした。なぜなら量子計量の元となる量子状態の構造は、物質の結晶構造や化学組成などで決まり、基本的に物質固有であるためです。2023年には米国の研究者を筆頭とした研究グループにより、極低温かつ高磁場にて、量子計量を磁気的に変調した実験結果が報告されました。一方で、特にデバイス応用の観点からは、量子計量を室温で低磁場にて制御することが求められるものの、そのような報告例は今までありませんでした。

図1. 本研究成果の概念図。電子の量子状態の構造「量子計量」(右上)は、強く重力の働く宇宙空間(右下)と類似した構造を持ちます。本研究では、「電子の宇宙」に相当する量子計量を、磁場をかけ、カイラル反強磁性体のスピンの構造を介することにより、制御することに成功しました(左)。

今回の取り組み

今回、研究チームは、磁性材料の一種マンガン・スズ合金(Mn3Sn)と、重金属の白金(Pt)の積層薄膜において、電子の量子計量を室温で低磁場により制御し、その効果を観測することに成功しました。Mn3Snは個々の原子のスピンが三角形状に配位した構造を持つ、カイラル反強磁性体と呼ばれる物質です(図2右)。この物質をPtと積層し外部から磁場を印加することにより、スピンの構造は印加磁場の方向に追随して変化します。

研究チームはこの積層薄膜において、非オーム的な電気伝導の一種である「非線形ホール効果」の信号を実験で捉えました(図2)。非線形ホール効果は、電圧が電流に対して垂直方向に発生し、更にその強さが電流の「2乗」に比例する効果であり、高周波信号の制御など電子デバイス設計に際しても重視されている現象です。特にこの信号は、磁場の方向に追随して変化し、室温(約30℃)近傍で強く現れることを発見しました(図3左図)。

研究チームは理論モデルを用いた計算を行い、測定された非線形ホール効果の起源について解明を試み、これが電子の量子計量を起源として現れたものであることを突き止めました。具体的には、磁場方向や温度を変えることでMn3SnとPtの界面のスピンの構造が変化し、それに伴って電子の波動関数に内在する量子計量が変化すると考えることでのみ、矛盾なく実験結果を説明できることを明らかにしました。実際に、この量子計量に基づき理論的に試算される非線形ホール効果が、今回実験で測定された非線形ホール効果の信号と一致した磁場依存性を示すことを確認しました(図3右図)。

以上の実験と理論の対照により、本研究ではMn3Snのようなカイラル反強磁性体のスピン構造を介することにより、室温にて低磁場による量子計量の制御に成功したことを結論づけました。

図2. 本研究で用いた測定用デバイスの図。十字形の試料(ホールバー)に電流を流し、磁場をかけながら、電流と垂直に2乗で発生する電圧信号(非線形ホール電圧)を検出しました(左)。試料として、スピンが三角形状の配向(右下)を持つ、カイラル反強磁性体Mn3Snの積層薄膜(中央)を用いました(Mn3Snの上層にPtを形成)。

今後の展開

これまで、量子計量は非オーム伝導の実現のために重要な要素と目されていたものの、その効果の実験的な解明は進んでいませんでした。本研究では、室温で安定なMn3Snのスピン構造を活用することにより、磁場と電気伝導測定というスピントロニクス(注4)で広く用いられている実験手法に基づき、量子計量を室温環境下で柔軟に制御できることが実証されました。

本研究で確立された量子計量の室温制御スキームは、今まで探索が進んでいなかった量子計量の効果に対する実験的解明の一歩目と位置付けられるものです。ここで得られた知見は、整流装置や検出器など、非オーム伝導を活用した新規デバイスに向けた、物質及びデバイス設計の一助となることが期待されます。また、実験によって得られた知見を理論研究で更に解析することにより、量子計量の数理物理的側面からの理解にも繋がることが期待されます。

図3. 本研究で検出した、非線形ホール効果の電圧信号の挙動。温度を変化させていくと、室温(摂氏30度≒絶対温度300度付近)で大きな信号を検出しました(左)。また、磁場の方向に伴って、電圧信号も変化しました。この挙動は、量子計量の効果として試算した理論値と良く一致しました(右)。

【謝辞】

本研究は日本学術振興会科学研究費助成事業(JP19H05622, JP 22K03538, JP 22KF0035)、同会外国人研究者招へい事業、文部科学省「次世代X-nics半導体創生拠点形成事業」No. JPJ011438の支援の下で行われたものです。本研究における全ての試料作製及び測定は東北大学が行い、理論モデルによる解析は主として日本原子力研究開発機構が担当しました。

【用語説明】

注1. 一般相対性理論、計量

一般相対性理論は強い重力の下での、物体や光の軌道を記述する理論です。重い天体によって光の進路が曲げられる「重力レンズ効果」、重い天体が動くことによって発生する波「重力波」などは、一般相対性理論によって予言され、実際に宇宙空間内で発生していることが観測により明らかになっています。この一般相対性理論において、重力の効果を表すために導入する4次元時空のひずみが「計量」です。物体や光の軌道は、この「ひずみのある時空」の中で定義した方程式により記述されます。

注2. カイラル反強磁性体

原子が三角形を組み合わせた「カゴメ格子」と呼ばれる構造で配列し、隣接した原子が持つスピンが120度ずつずれた形で配向している物質(図1参照)。全体として磁力は持ちませんが、磁力を示す物質と類似した電気伝導の特性を持ち、注目を集めています。

注3. 波動関数

量子力学において、電子など粒子が持つ量子状態を記述する関数。大きさを持たない粒子であっても、波動関数は空間内で広がりを持ち、その広がりに応じた確率的な挙動を示します。

注4. スピントロニクス

物質中の電子が持つ、電気的な性質(電荷)と磁気的な性質(スピン)が協調することによって発現する現象を理解し、工学的な応用を目指す学問分野。特に、磁性体のスピンの向き(上・下)を情報(0,1)の担い手として制御する、磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)や磁気センサー等への応用が代表的です。

【参考文献】

1. J.P. Provost, G. Vallee, “Riemannian structure on manifolds of quantum states,” Commun. Math. Phys., vol. 76, no. 3, pp. 289-301 (1980)

【論文情報】

タイトル:“Room-temperature flexible manipulation of the quantum-metric structure in a topological chiral antiferromagnet” (トポロジカルカイラル反強磁性体における量子計量構造の室温制御)

著者:Jiahao Han*,**, Tomohiro Uchimura*, Yasufumi Araki, Ju-Young Yoon, Yutaro Takeuchi, Yuta Yamane, Shun Kanai, Jun’ichi Ieda, Hideo Ohno, and Shunsuke Fukami**
*: 共同筆頭著者
**責任著者:
東北大学材料科学高等研究所 助教 Jiahao Han
東北大学電気通信研究所 教授 深見 俊輔

掲載誌:Nature Physics

DOI:10.1038/s41567-024-02476-2

URL:https://doi.org/10.1038/s41567-024-02476-2

参考部門・拠点:先端基礎研究センター
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