2023年6月5日

電子機器の信頼性評価の迅速化に光明
~様々な中性子施設で半導体ソフトエラー評価を可能にする技術を開発~

概要

自動運転や介護ロボットの実用化が期待される中、コンピュータの中核をなす半導体チップの信頼性確保の重要性が高まっています。一方で、地上には宇宙線が空から降り注いでおり、宇宙線に含まれる中性子によって半導体チップにソフトエラーと呼ばれる事象が生じ、その結果としてコンピュータが誤作動を起こすことが知られています。ソフトエラー率は、地上の宇宙線環境を再現する特殊な中性子源を用いた実験で評価する方法が一般的ですが、そのような中性子源は国内で1つ、世界でも5つほどしかなく、年々高まる半導体チップのソフトエラー率評価の需要を満たすには限界がありました。そこで、量子アプリ共創コンソーシアム(略称QiSS)の中で京都大学大学院情報学研究科 橋本昌宜教授が課題責任者を務める産学連携ソフトエラー研究グループでは、任意の中性子源による1つの測定結果とシミュレーションを組み合わせて地上ソフトエラー率を求める手法を開発しました。また、3施設7種類の中性子源による測定値と放射線挙動解析コードPHITSを用いてソフトエラー率評価を行い、本手法の有効性を実証しました。本手法によって、限られた特殊な中性子源を用いることなく国内外に多数ある一般の中性子源を用いたソフトエラー率評価が可能となり、高まるソフトエラー率評価の需要に応じることができます。これにより、情報化社会を支える安心・安全で信頼できる半導体チップの開発ペースを加速させることが期待されます。

研究プロジェクトの集大成となる本研究成果は、2023年5月29日に「IEEE Transactions on Nuclear Science」のオンライン版に掲載されました。本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構( JST ) 産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム( JST 、OPERA 、JPMJOP1721 )の支援を受けて実施しました。

背景

今日の社会は、大量のコンピュータや情報通信機器によって支えられており、これらに誤作動が生じた場合、重大な被害が引き起こされるリスクがあります。コンピュータや情報通信機器の中核は半導体チップであり、安心・安全の観点から半導体チップの信頼性確保が重要となっています。特に人命や財産が情報システムに委ねられる近未来を考えると(例えば自動運転や介護ロボット)、半導体チップの信頼性評価・確保の重要性はますます高まります。

半導体チップの誤作動の原因の一つにソフトエラーと呼ばれる現象があります。ソフトエラーとは半導体チップ内で宇宙線によって引き起こされる一時的な誤作動であり、半導体チップ内に保持されているデータが宇宙線により誘起されたノイズにより書き換わることで発生します。地上環境では宇宙線に含まれる中性子がソフトエラーを引き起こす主要因と考えられています。中性子を遮蔽することは困難なため、ソフトエラーが発生する前提で半導体チップの設計を進める必要があります。特に、高い信頼性が求められる半導体チップの設計では、ソフトエラーが発生する頻度(ソフトエラー率)の把握が不可欠です。

ソフトエラー率の評価は、地上での宇宙線環境を再現する中性子源を用いて行う方法が一般的です。地上に降り注ぐ中性子はさまざまなエネルギーを持っており、そのエネルギー分布を再現する中性子源ソフトエラー率評価に用いられてきました。しかし、そのような中性子源は世界に5つ程度しかなく、ますます需要が高まる半導体チップのソフトエラー率評価には不十分な状況にあります。量子アプリ共創コンソーシアム(略称QiSS、代表 大阪大学核物理研究センター 中野貴志教授)において、京都大学大学院情報学研究科 橋本昌宜 教授が主導するソフトエラー研究グループ(参画機関及びメンバー:日本原子力研究開発機構 安部晋一郎 研究副主幹、佐藤達彦研究フェロー、株式会社ソシオネクスト 加藤貴志(信頼性技術担当)、HIREC株式会社 浅井弘彰 副主席技師、株式会社日立製作所 新保健一 研究員、京都工芸繊維大学 小林和淑 教授、九州大学 渡辺幸信 教授)では、上記5つの中性子源以外の国内外に多数存在する中性子源ソフトエラー率評価に利用する方法の研究開発を行ってきました。

研究手法・成果

様々な中性子施設でソフトエラー測定実験を行うとともにPHITSシミュレーションによる解析を行い、任意の中性子源による1つの測定結果とシミュレーションを組み合わせることにより、地上ソフトエラー率を求める手法を開発しました(図1)。本研究で測定に用いた中性子源のエネルギー分布を図2に示します。半導体チップのソフトエラー発生確率中性子のエネルギーとエラー発生に必要なノイズ電荷量(Qfit)によって異なります(図1③左)。図2の測定に用いた中性子源のエネルギー分布、シミュレーションによって求めたソフトエラー発生確率を用いて、測定結果を再現するQfitを求めます(図1②)。Qfitが求まると、ソフトエラー発生確率中性子のエネルギーの関係が分かるので、地上の中性子エネルギー分布(図1③右)と組み合わせて計算することで、地上のソフトエラー率を求めることができます。65nm設計ルール の1V動作SRAM(Static RAM)を用いた実験で、用いた中性子源によるソフトエラー率の違い(最大値と最小値の比)が、2倍以内に収まることを確認しました(図3)。研究プロジェクトの集大成となる本研究成果により、世界中に多数ある中性子源を活用して半導体チップのソフトエラー率の評価が可能となります。

図1. 地上環境のソフトエラー率の見積もり手順

図2 研究で用いた地上と異なる中性子源のエネルギー分布

図3 各測定値を用いたソフトエラー率の見積結果

波及効果、今後の予定

今回開発した手法を最先端の半導体チップに応用するため、65nmよりも微細な製造プロセスで製造された半導体チップでも同様の評価が可能であることを確認します。開発した評価手法が世界標準規格と策定されるように標準化機関に働きかけます。高まる半導体チップのソフトエラー率評価の需要に応え、高信頼な半導体チップの設計やそれを用いた情報システムの高信頼化に貢献します。

研究プロジェクトについて

科学技術振興機構(JST) 産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム(OPERA)の助成を受けて2017年度~2021年度に実施された「安全・安心・スマートな長寿社会実現のための高度な量子アプリケーション技術の創出」(研究代表者: 中野貴志教授(大阪大学核物理研究センター))の研究成果です。

<用語解説>

宇宙線

宇宙線とは、宇宙空間に存在する放射線で、地球にも降り注いでいます。宇宙線が大気と反応することで、ソフトエラーを引き起こす中性子が発生します。

中性子

中性子は、原子核の構成要素の一つで、電荷を持たず、質量が陽子とほぼ同じである素粒子です。

中性子源

中性子を発生させる装置や物質のことで、ソフトエラーの評価には一般に加速器施設で発生させる中性子ビームが用いられています。

PHITS

JAEAが中心となって開発を進めているモンテカルロ計算コードで、あらゆる物質中での放射線の振る舞いを第一原理的に計算することができます。放射線施設の設計、医学物理計算、宇宙線科学など、工学・医学・理学の様々な分野で利用されています。参考URL(https://phits.jaea.go.jp/indexj.html

ソフトエラー率

単位時間あたりに半導体チップに発生するエラー数。

ソフトエラー発生確率

中性子1個が半導体チップに入射されたときにソフトエラーが発生する確率。

<研究者のコメント>

大学、国立研究機関、民間企業が強力な産学連携チームを構成して、産業界の発展につながる研究成果を挙げることができました。一般社団法人量子アプリ社会実装コンソーシアム(略称QASS)を通じて、世界標準規格と認められるように研究活動を続けていきます。

<論文タイトルと著者>

タイトル A Terrestrial SER Estimation Methodology based on Simulation coupled with One-Time Neutron Irradiation Testing(シミュレーションと1回の中性子照射試験に基づく地上ソフトエラー率推定法)
著者 Shin-ichiro Abe, Masanori Hashimoto, Wang Liao, Takashi Kato, Hiroaki Asai, Kenichi Shimbo, Hideya Matsuyama, Tatsuhiko Sato, Kazutoshi Kobayashi, and Yukinobu Watanabe
掲載誌 IEEE Transactions on Nuclear Science
DOI 10.1109/TNS.2023.3280190
タイトル Characterizing Energetic Dependence of Low-Energy Neutron-Induced SEU and MCU and Its Influence on Estimation of Terrestrial SER in 65-nm Bulk SRAM(低エネルギー中性子起因SEUおよびMCUのエネルギー依存性の特性および65nm Bulk SRAMの環境SERの推定への影響)
著者 Wang Liao, Kojiro Ito, Shin-ichiro Abe, Yukio Mitsuyama, and Masanori Hashimoto
掲載誌 IEEE Transactions on Nuclear Science
DOI 10.1109/TNS.2021.3077266
タイトル Measurement of Single-Event Upsets in 65-nm SRAMs Under Irradiation of Spallation Neutrons at J-PARC MLF(J-PARC MLFの核破砕中性子照射による65nm SRAMのシングルイベントアップセット測定)
著者 Junya Kuroda, Seiya Manabe, Yukinobu Watanabe, Kojiro Ito, Wang Liao, Masanori Hashimoto, Shin-ichiro Abe, Masahide Harada, Kenichi Oikawa, and Yasuhiro Miyake
掲載誌 IEEE Transactions on Nuclear Science
DOI 10.1109/TNS.2020.2978257
タイトル Impact of Irradiation Side on neutron-Induced Single-Event Upsets in 65-nm Bulk SRAMs(65nm Bulk SRAMの性子起因シングルイベントアップセットにおける照射方向の影響)
著者 Shin-ichiro Abe, Wang Liao, Seiya Manabe, Tatsuhiko Sato, Masanori Hashimoto, and Yukinobu Watanabe
掲載誌 IEEE Transactions on Nuclear Science
DOI 10.1109/TNS.2019.2902176
参考部門・拠点:原子力基礎工学研究センター
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