令和5年4月4日
国立大学法人東北大学
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構

電子源からの電子放出量を7倍に増やす表面コーティング技術を開発
─ 電顕や放射光施設の高性能化に期待 ─

【発表のポイント】

【概要】

電子を空間中に放出するための電子源は、電子顕微鏡や半導体製造のための電子線描画装置、放射光施設等で利用される加速器などに利用されています。電子源の材料として現在は仕事関数の低い六ホウ化ランタン(LaB6)が広く使われています。これよりも仕事関数の低い材料を開発できればより多くの電子放出が可能となり、電子源の高性能化につながります。

日本大学生産工学部の小川修一准教授(研究当時は東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター兼 多元物質科学研究所)らの研究グループとロスアラモス国立研究所(米国)、北京理工大学(中国)、日本原子力研究開発機構からなる共同研究チームは、光電子顕微鏡(注3)光電子分光法(注4)、および第一原理計算(注5)によってLaB6表面への六方晶系窒化ホウ素(hBN)コーティングによる仕事関数低下を発見し、そのメカニズムを解明しました。本成果は電子顕微鏡や放射光を使った物質材料研究を側面からサポートし、より優れた材料開発に貢献すると期待されます。

本研究成果は2023年4月3日に米国物理学協会の応用物理系専門誌Applied Physics Lettersにオンライン掲載され、Editor’s Pickにも選出されました。

【詳細な説明】

研究の背景

電子は固体内部にはたくさん存在します。電子を固体内部から空間中に取り出すことで電子顕微鏡や放射光発生のための加速器などに応用でき、物質材料の評価に役立てることができます。また電子線は材料の評価だけでなく、電子線描画装置というナノレベルの半導体微細加工装置にも必要不可欠であることから、その応用は多岐に渡ります。固体から電子を放出させて電子線を形成する場合、「仕事関数」といわれる値が低いほど、大量の電子を放出することができます。そのため現在では仕事関数の低い六ホウ化ランタン(LaB6)という物質が主に利用されています。清浄なLaB6表面の仕事関数は2.3 eV程度ですが、これよりもさらに低い仕事関数の材料を開発できればより多くの電子放出が可能となり電子源の高性能化につながります。

これと同時に、LaB6表面の低い仕事関数を長期間に渡って維持することも重要な課題です。LaB6電子源は気体分子の少ない真空中で利用されますが、それでも残留ガスによって表面が徐々に酸化されます。表面が酸化したLaB6は仕事関数が増加してしまうため、それを回復させるためには1900℃以上の高温加熱が必要となります。しかし著しく酸化が進行したLaB6はこの高温加熱クリーニングでも仕事関数が回復しない問題がありました。

この問題を解決するため、本共同研究チームはLaB6表面へのコーティングによって仕事関数を低下させたり、コーティングが酸素に対するバリアとなってLaB6の酸化を防いだりできるのではないかと考え、グラフェンおよび六方晶系窒化ホウ素(hBN)によるコーティングの研究を進めてきました。

今回の取り組み

今回、本共同研究チームはLaB6表面にグラフェンおよびhBNを図1のようにコーティングし、コーティング材料の種類によって仕事関数がどのように変化するか光電子顕微鏡と光電子分光法を用いて調べました。その結果、何もコーティングしていないLaB6表面(図2(a))に比べてグラフェンコーティング表面(図2(b))では仕事関数が増加したものの、hBNコーティング表面(図2(e))では仕事関数が減少したことを確認しました。また熱電子顕微鏡(注3)を用いてhBNコーティングされた表面が最も多い電子を放出していることも実験的に確認できました。

次にhBNコーティングによってなぜ仕事関数が減少するのかを明らかにするため、第一原理計算によって電子密度の計算を行いました。その結果、図2(c)のようにグラフェン/LaB6界面に内向き(固体内部方向)の双極子モーメントが生じるのに対し、hBN/LaB6界面では図2(f)のような外向き(固体表面方向)の双極子モーメントが生じることがわかりました。外向きの双極子モーメントは電子を固体外に押し出そうとする力が働くため、これによって仕事関数が減少することが明らかとなりました。今回明らかにしたモデルに基づくと、理想的な清浄LaB6表面の仕事関数はグラフェンコーティングでは2.2 eVから3.44 eVに増加する一方、hBNコーティングによって2.2eVから1.9eVに低下することがわかりました。

また、このメカニズムは表面が少しだけ酸化されている実際のLaB6にも適用できることがわかりました。理想的なLaB6表面と違い、現実のLaB6表面は大気中の酸素の影響でわずかに酸化されていますが、そのような状況でもhBNコーティングにより発生した双極子モーメントによる仕事関数減少を確認できました。

今後の展開

本研究により、LaB6表面にhBNをコーティングすることで仕事関数を低下できることがわかりました。またhBNのコーティングは酸化されてしまったLaB6にも有効であることもわかりました。その一方で、酸化されていない清浄LaB6表面にhBNをコーティングする具体的な方法の開発を目指して、今後さらに研究を進める必要があります。LaB6の仕事関数が2.2eVから1.9eVに低下した場合、動作温度(1500℃)において電子放出量は約7倍に増加すると予想されます。もしくは、仕事関数2.2eVのLaB6電子源と同量の電子を放出しようとした場合、動作温度を1260℃まで低減できます。このようにこれらの研究成果はLaB6電子源からの電子放出量増加や電子源の長寿命化につながり、電子放出量の増加は明るい電子顕微鏡や高効率な電子線描画装置の開発、放射光施設の運転経費削減などにつながると期待されています。今回発見した電子源の仕事関数低下は、電子顕微鏡や放射光を使った物質材料研究を側面からサポートし、より優れた材料開発に貢献していくと期待されます。

図1. グラフェン(Gr)およびhBNでコーティングされたLaB6表面の光電子顕微鏡像(PEEM)像と熱電子顕微鏡(TEEM)像。画像の明るい場所ほど電子がたくさん放出されていることを示す。(白いスポットはゴミなど表面に吸着した異物)

図2.グラフェンコーティングおよびhBNコーティングによる仕事関数変調メカニズムの模式図。LaB6とコーティング材がコーティングによって接触すると、両者のフェルミ準位(EF(注6)が等しくなる。このときLaB6にグラフェンをコーティングした場合((a)、(b))はLaB6の本来の仕事関数WLaB6よりもグラフェンコーティング後の仕事関数Wの方が大きくなる。一方でhBNコーティングの場合((d)、(e))、WLaB6よりもhBNコーティング後の仕事関数Wの方が低くなる。第一原理計算による電荷の再分配の様子を(c)と(f)に示している。

【謝辞】

本研究は科研費(JP17KK0125)、文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム、ならびに日本原子力研究開発機構において挑戦的な課題を対象とした萌芽研究制度の支援を受けて行われました。

【用語説明】

注1. 仕事関数:

固体内にある電子を、固体の外、正確には真空中に取り出すために必要な最小限のエネルギーの大きさ。

注2. 双極子モーメント:

正の電荷と負の電荷がペアになったものを双極子といい、負から正への向きを持ったベクトルを双極子モーメントという。電子は負電荷を持つため双極子モーメントの向き(正電荷の方向)に引っ張られる。この双極子モーメントのアシストで固体表面から放出されやすくなる。

注3. 光電子顕微鏡、熱電子顕微鏡:

試料への光照射で放出される「光電子」や高温試料から放出される「熱電子」を用いて像を得る顕微鏡。特に光電子顕微鏡は光電子分光法と組み合わせることで化学組成と表面形態を同時に観察する手法として、近年多くの放射光施設にも導入が進んでいる。

注4. 光電子分光法:

固体にX線などの電磁波をあて、外に飛び出した電子(光電子)の速度を測定して固体の電子状態を調べる方法。得られたスペクトルを解析して原子や分子の結合状態を知ることができる。

注5. 第一原理計算:

実験から求められる定数を使わずに、量子力学の基礎となるシュレディンガー方程式を近似的に解いて物質の持つ性質を明らかにする計算手法のこと。実験的な仮定が入っていないため、近似をうまく工夫することによって理想状態での物性値を求めることができる。

注6. フェルミ準位:

物質中には電子が入ることのできる「入れ物」(この入れ物のことを「準位」といいます)があり、エネルギーの低い準位から順番に電子が入っている。このとき、電子が入っている最も高い準位のことをフェルミ準位という。フェルミ準位が異なる物質を接触させると、より低いエネルギーになるように電子の移動が生じ、電荷の再分配やバンドの曲がりなどが発生する。

【論文情報】

タイトル:Work function lowering of LaB6 by monolayer hexagonal boron nitride coating for improved photo- and thermionic-cathodes

著者:Hisato Yamaguchi1)*, 遊佐龍之介3), Gaoxue Wang1), Michael T. Pettes1), Fangze Liu4), 津田泰孝5), 吉越章隆5), 虻川匡司3), Nathan A. Moody1), 小川修一2)* 1) Los Alamos National Laboratory(ロスアラモス国立研究所) 2) 日本大学生産工学部(研究当時:東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター) 3) 東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター 4) Beijing Institute of Technology(北京理工大学) 5) 日本原子力研究開発機構

*責任著者: 日本大学生産工学部准教授(研究当時:東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター 助教) 小川修一

掲載誌:Applied Physics Letters

DOI:10.1063/5.0142591

【共同研究における各研究機関の役割】

Los Alamos National Laboratory 試料作製、作製試料評価、第一原理計算、データ解析、論文作成
東北大学 PEEM・TEEM測定、光電子分光測定、データ解析、論文作成
Beijing Institute of Technology 作製試料評価
日本原子力研究開発機構 光電子分光測定、論文作成
参考部門・拠点:物質科学研究センター
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