令和3年12月21日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構

世界初!あらゆる物質中の放射線の動きを原子サイズで予測
-人体や物質への放射線影響に極小の世界から迫る-

【発表のポイント】

図1 新開発のコードが放射線の動きを原子サイズで予測することで拓ける展開。

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下「原子力機構」という。)原子力基礎工学研究センターの小川達彦研究副主幹、松谷悠佑研究員らは、放射線の原子サイズ(約1ナノメートル=1千万分の1cm)における複雑な動きをあらゆる物質中で予測し、放射線影響を原理から予測できる飛跡構造解析コード1)「ITSART」(Ion Track Structure model for Arbitrary Radiation and Targets)を開発しました。

放射線が引き起こすDNA損傷や半導体デバイスの誤作動等の影響は、いずれも放射線が原子にエネルギーを与えることがきっかけで生じます。しかし、これまで、実験や計算で放射線の飛跡を調べられる精度の限界はマイクロメートル規模(原子サイズの1000倍、細胞サイズ。1マイクロメートル=1万分の1cm)だったため、原子サイズの現象のメカニズム解明には解像度が足りませんでした。

マイクロメートル規模では、放射線は物質中を真っすぐ進むように見えます。しかし、DNAや半導体デバイスのサイズであるナノメートル規模では、放射線は散乱を受けて複雑に動き、しかもその特性は物質ごとに異なります。とはいえ、あらゆる物質での散乱を網羅的に測定することは現実的でなく、普遍的に予測できる計算コードもありませんでした。そのため、マイクロメートルからナノメートルへの限界を突破し、放射線影響を原理から解明できる計算コードの開発が求められてきました。

本研究では、物質ごとに不規則な放射線散乱の特性を予測するため、放射線を散乱している実体が物質中の電子であることに注目しました。電子自体の性質は物質の種類に依らないとみなせば、電子が放射線を散乱する確率の計算は、物質の特性に左右されません。こうして、不規則に見える放射線の複雑な動きを、あらゆる物質で規則的に予測できる飛跡構造解析コード「ITSART」を開発しました。「ITSART」は従来の1000倍の解像度で放射線の動きを追跡できます。さらに飛跡構造解析によって、代表的な放射線である電子線によって生じるDNA損傷を定量的に再現し、コードの性能も実証しました。

「ITSART」は汎用放射線挙動解析コードPHITS2)に組み込まれ、世界50カ国5,000名以上のユーザーに配布される予定です。このコードを様々な研究分野へ普及させることで、例えば放射線生物影響の基礎となるDNA損傷の原理解明や、それを応用した放射線医学、電子機器中の半導体デバイスが放射線によって起こす誤作動の予測などへの応用が期待できます。

本研究成果は、12月21日付(日本時間12月21日19時)の「Scientific Reports」誌と、12月21日付(日本時間12月21日12時)の「International Journal of Radiation Biology」誌で公開予定です。

【これまでの背景・経緯】

放射線は細胞内のDNAや電子機器中の半導体、身の回りの材料物質などと反応し、様々な影響を起こします。放射線による影響のもっとも基本的な解析手法は、放射線が物質内に付与したエネルギーの大きさを求め、それに比例して影響が起こるとして計算するものでした。放射線による発熱など巨視的な影響はこのような手法が有効ですが、DNAや半導体などナノメートル規模構造への影響は、放射線のナノメートル規模の動きから追究しなければ、予測できないことが分かっていました。

放射線は物質中で徐々にエネルギーを失いながら進み、エネルギーが低くなると物質中の電子と頻繁に衝突して複雑な飛跡を描きます。また、その衝突で生まれる低エネルギー電子線も複雑な飛跡をたどります。低エネルギー放射線は個々の原子を回る電子に散乱されるため、飛跡は原子間隔と同じナノメートル程度の構造を持ちます。

しかし、放射線の飛跡をナノメートル規模で、測定器により調べることは大変困難です。測定器自身が、ナノメートルよりも大きな分子で構成されているためです。そのため放射線の飛跡を予測する飛跡構造解析コードと呼ばれる計算コードを作って、コンピュータの中で飛跡を予測するという研究が世界的に進められています。

飛跡構造解析コードには、標的の物質が放射線を散乱する確率のデータが必要です。しかしこの確率を測定するには高純度な物質試料が必要で、水以外では十分な純度の試料を作ることが困難でした。さらに、あらゆる物質を網羅的に測定することは現実的ではなく、汎用的に使える飛跡構造解析コードの開発には根本的に新しいアプローチが必要でした。

また、放射線はエネルギーが高いときは直線的に動き、エネルギーを失うにつれて飛跡が複雑化していきます。そのため様々な分野で飛跡構造解析を応用するには、低エネルギーでの計算だけでは不十分であり、高エネルギーから一貫して放射線の動きを計算することも必要になります。

【今回の成果】

本研究では、放射線のナノメートル規模の散乱を、あらゆる物質中で予測できる飛跡構造解析コード「ITSART」を開発しました。物質中で放射線を散乱する実体は電子であり、しかも電子自身の性質はどの物質内でも同じという閃きから、電子による放射線の散乱確率を計算すれば、あらゆる物質中で放射線の動きを計算できるという着想を得て作り上げました(図2)。

図2 放射線の飛跡を原子サイズで計算するための本研究の着想

図3では半導体の主要な材料であるケイ素を標的として、図の左側から1MeVの陽子線を照射した場合について、本研究で開発した微視的な飛跡構造解析コード「ITSART」と従来の巨視的な放射線輸送計算コードで、放射線の飛跡を計算した結果を示しています。放射線が物質中の電子を弾くため飛跡が枝分かれしている様子は、どちらの計算方法でも共通して確認できます。ただし飛跡構造解析を行わない場合、放射線の散乱約1000回分を1回の散乱に纏めて計算するので、マイクロメートル程度の構造を持つ連続的かつ直線的な飛跡にしか見えなくなります。一方で飛跡構造解析を行った場合、陽子の周りを多数の電子が飛び回り、衝突地点がナノメートルの規模で無数に分布する様子を予測できます。例えば電子機器に搭載される最新の半導体素子3)のサイズは数10ナノメートルなので、図3下側の放射線の軌跡からすると、半導体素子に当たるか判別できる精度はありませんでした。そのため従来の計算コードでは、半導体エラーの予測には放射線の軌跡構造情報を補う推定が必要でした。しかし、本研究で開発した飛跡構造解析コードを用いることで、陽子線が個々の半導体素子の電極、配線、絶縁層といったパーツの規模でエネルギーを与える様子を予測できます。エネルギーを受け取った半導体素子は、保存しているデータが書き変わることで、誤作動を起こすことがあります。

図3 ケイ素に1MeVの陽子を照射した場合に、陽子によって弾かれた電子と、陽子自身がエネルギーを与えた飛跡。上図は本研究の飛跡構造解析コード「ITSART」を使った計算結果、下図は従来の巨視的な輸送計算コードによる計算結果。

放射線の生物影響は、細胞核内のDNAが放射線によって切断されることで発生するため、その解明には、DNA損傷の位置を特定できる飛跡構造解析コードによる予測が不可欠です。そこで、飛跡構造解析コードを用いて、DNA損傷の再現を試みました。ここでは、細胞内を進む電子線が、電子を弾きだす電離4)か電子を揺さぶる励起5) を起こすとDNAが切断されるとみなし、電離や励起の距離と密度を計算しました。その結果から、DNA一本鎖切断(DNAの二重らせんが片方だけ切断すること)やDNA二本鎖切断(DNAの二重らせんが近くで両方切断すること)、さらには複雑なDNA損傷であるクラスター損傷(DNAが細かい範囲で3か所以上切断すること)の発生数を、様々なエネルギーの電子線に対して求めました。図4(左)では、細胞が様々なエネルギーの電子線で照射された場合、DNAの二重らせんがどれくらい損傷するかを示しています。上側が一本鎖切断、下側が二本鎖切断の発生する数を示しており、飛跡構造解析コードによる本研究の計算値は実験値を正確に再現していることが確認できます。二本鎖切断は修復されにくいため、細胞死や発がんを引き起こしやすいことが知られていますが、エネルギーによってその生成量が大きく変動する傾向も再現できました。例えば、電子線の場合約0.5keVで二重鎖切断の発生量が最大となり、それより高いエネルギーで低下し、100 keVでは半分程度まで下がります。

図4(右)は、DNA損傷の複雑さが電子線のエネルギーによりどのように変化するかを示しています。DNA損傷の中でも複雑なクラスター損傷は特に修復されにくく、より高い確率で修復が失敗し細胞死が誘発されると予見されています。本研究の計算結果は、クラスター損傷の発生量についても図4(左)と同様に、約0.5 keVで収量が大きくなることを明らかにしました。放射線のエネルギーによってDNA損傷の複雑さが変化していることが分かります。

放射線の種類やエネルギーにより発がんなど生物影響の強さが異なることを補正するために導入されている放射線加重係数6)は、飛跡構造解析など高度な解析技術のないころに決定されたため、電子線の場合はエネルギーに依らず一律に1.0と定義されてきました。放射線加重係数は放射線安全評価の重要な量で、被ばく線量を計算する場合、全世界の国や地域がこの係数を使用します。本研究の結果はその高精度化を可能にする、世界的に有意義な知見です。

図4 様々なエネルギーの電子線照射に対するDNA損傷の計算結果。左図は本研究で計算した一本鎖切断と二本鎖切断の発生数と文献値との比較を表し、右図は本研究で計算した複雑さの異なる二本鎖切断の発生割合を表しています。

【研究の意義と今後の予定】

本研究で開発した飛跡構造解析コード「ISTART」は、あらゆる物質で放射線の原子サイズの動きを予測できます。このコードを世界50カ国5,000名以上が使用する汎用放射線挙動解析コードPHITSに組み込んだことで、コードの一機能として容易に使うことができるようになります。放射線は物質中でエネルギーを失いながら進むため、PHITSが得意とする高エネルギーから「ITSART」が得意とする低エネルギーまで、放射線の飛跡を一つの計算コード内で一貫して計算できることは非常に実用的です。

生体細胞や半導体だけでなく、再処理工場の抽出剤(有機溶媒)7)が使用済み核燃料の放つアルファ線で劣化する特性の解明や、金微粒子8)の投与による放射線治療効果の増幅、放射線検出器の動作原理に基づく応答の解析など、本研究成果は広い分野への展開が期待できます。

【論文情報】

T.Ogawa et al., Scientific Reports, ‘Development and validation of proton track structure model applicable to arbitrary materials’, DOI:10.1038/s41598-021-01822-1

Y.Matsuya et al., International Journal of Radiation Biology, ‘Track-structure modes in Particle and Heavy Ion Transport code System (PHITS); Application to radiobiological research’, DOI:10.1080/09553002.2022.2013572

【用語の説明】

1) 飛跡構造解析コード

放射線が物質中で電子や原子核と衝突する反応を一個ずつ識別することにより、詳細な飛跡を予測する計算コードです。放射線によるDNA損傷を予測するなど、放射線影響研究分野で実用化が進められてきました。

2) PHITS

原子力機構が中心となって開発を進めている理論計算コードで、あらゆる物質中での放射線の振る舞いをコンピュータ中で計算することができます。放射線施設の設計、医学物理計算、宇宙線科学など、工学・医学・理学の様々な分野で利用されています。

参考: PHITS WEBサイト

3) 半導体素子

トランジスタなど半導体の最も基礎となる単位部品で、家電やスマートフォン等に不可欠です。主にケイ素と二酸化ケイ素から成ります。

4) 電離

原子や分子から軌道電子が取り去られる現象で、残された原子や分子は電気を帯びます。電解質を水などに溶解することでも電離は発生しますが、本研究では放射線の衝突により軌道電子がはじき出されることにより発生します。電子を取り戻して安定状態に戻ることが多いですが、別の分子に変形することで安定する場合もあります。

5) 励起

原子や分子が熱・光・放射線などによりエネルギーの高い状態に移る現象で、原子や分子は熱や光を放出して元の状態に戻るか、別の分子に変形することで安定します。

6) 放射線加重係数

放射線による生体影響は、放射線が付与するエネルギーが同じでも放射線の種類やエネルギーにより変化します。その変化の度合いに応じて重み付けする係数が放射線加重係数です。

7) 抽出剤

使用済み核燃料からウランやプルトニウムなどを取り出すのに使われる有機液体です。一般的にはドデカンという液体に溶解したリン酸トリブチルが使われます。

8) 金微粒子

金原子を内包するナノメートル規模の粒です。放射線を受けると、多数の二次放射線を放出する性質があるため、事前に患者に投与することで放射線治療の効果を高める重要な物質として近年研究されています。

参考部門・拠点:原子力基礎工学研究センター
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