令和3年9月3日

太陽フレアによる被ばくの脅威から航空機搭乗者を「合理的」に護る
―経済的損失リスクの定量化により最適な航空機運用指針の策定が可能に―

概要

京都大学総合生存学館(思修館) SIC有人宇宙学研究センター山敷庸亮 教授(責任著者)、MS&ADインシュアランス グループのあいおいニッセイ同和損保(京都大学大学院総合生存学館博士課程認定退学)藤田萌(筆頭著者)、日本原子力研究開発機構(JAEA) 原子力基礎工学研究センター佐藤達彦研究主席(京都大学SIC有人宇宙学研究センター特任教授を兼務)、海上・港湾・航空技術研究所 電子航法研究所(ENRI)斎藤享 上席研究員 らの共同研究グループは、過去2000年間に発生した太陽フレアの頻度と強度、及び最新のシミュレーションにより得られた太陽放射線被ばく線量率の4次元空間時系列データを解析し、太陽放射線被ばくによる航空機運航計画変更に伴う経済的損失リスクの定量化に世界で初めて成功しました。その結果、被ばく回避のための低高度への飛行高度変更や欠航を必要とするような巨大な太陽フレアの発生頻度は約17年に1回で、その対策コストを考慮した1年あたりの経済的損失リスクは、毎日運航する長距離便の場合、最大約1,500米ドルであることが分かりました。この値は、火山噴火など他の航空リスクと比べてそれほど大きくなく、太陽フレアによる被ばくの脅威から合理的に航空機搭乗者を護ることができることを示唆しています。また、将来、航路上の積算被ばく線量をリアルタイムで推定可能となれば、そのリスクは更に1/3程度まで低減できることも分かりました。これらの成果は、太陽フレア時の最適な航空機運用対策指針の決定やリスク対策に役立つと期待されます。本研究成果は、2021年9月2日GMT10:00(日本時間2021年9月2日18:00)に英学術誌「Scientific Reports」(Nature Research Journal)のオンライン版に掲載されます。

図1 高度を低下させ太陽フレアによる被ばくの脅威を避ける航空機のイメージ(木村なみ 作画)

背景

航空機搭乗時の宇宙線による被ばくは、航空会社の客室乗務員やパイロットなど航空労働者のみならず一般の乗客にとっても重要なトピックです。一般的に飛行機の高度と緯度が高いほど、飛行時の被ばく線量*1は高くなります。国際放射線防護委員会(ICRP)は、宇宙放射線による搭乗員の被ばくを職業上のリスクと認識し、航空機乗務員の放射線防護に関する最新のガイダンスを設定しました。また、国際民間航空機関(ICAO)が2019年11月から開始した宇宙天気情報サービスにおいては、通信・衛星測位などと併せて宇宙放射線被ばく線量に関する情報が提供されています。

航空機搭乗者の宇宙線被ばくには、銀河由来と太陽由来の放射線(それぞれ「銀河宇宙線」及び「太陽放射線」と呼びます)が寄与することが知られています。銀河宇宙線の強度は時間的な変化が小さく、標準的な巡航高度(12km)で10μSv/ h未満と低い線量率であることが特徴です。一方、太陽放射線の強度は、巨大な太陽フレア*2が発生すると突発的に増加し、短時間ながらその線量率は2 mSv / h以上にも達するほど極めて高くなります。公衆の年間被ばく線量限度が1mSvであることを考えると、このような大きな太陽フレアの間は、欠航や飛行高度を下げるなどの適切な対策を講じることが望ましいです。そのためには、あらかじめ対策にかかるコストと効果を見積もる必要があります。また、将来、そのような対策にかかるコストを試算するためには、対策を必要とする太陽フレアの発生頻度も評価する必要があります。

図2 本研究の概要

研究手法・成果

このような背景から、本研究グループは、図2に示す研究を実施し、航空機運行計画変更に伴う経済的損失リスクの定量化に成功しました。具体的には、まず、太陽放射線被ばく警報システムWASAVIES*3より推定した太陽放射線被ばく線量率の4次元空間時系列データを用いて、5つの太陽フレア、8つの飛行経路、2つの巡航高度(高度12kmと9km)の80条件に対する最大積算被ばく線量と被ばく線量率を評価しました。また、宇宙線中性子観測*4放射性炭素分析結果*5などから、太陽放射線を放出する太陽フレアの発生頻度とその強度の関係を過去2000年間に遡って定量化しました。その際、太陽放射線の強度を表す指標として、従来使われていた事象積分強度(EII)*4のみならず、瞬間的に太陽放射線強度が高くなる効果を考慮したピーク事象強度(PEI)*4を新たに提案して解析しました。そして、それらの結果を組み合わせることにより、各航路条件に対する最大積算線量が1mSvを超える、または最大線量率が80μSv/hを超える太陽フレアの発生頻度をそれぞれ推定しました。その結果、被ばく線量低減対策が必要となる太陽フレアの発生頻度は、上記積算線量及び最大線量率で規制をかけた場合、それぞれ約47年及び約17年に1回であることが分かりました。なお、80μSv/ hは、ICAO宇宙天気勧告情報で「重度の」被ばくとして分類される閾値線量率です。

次に、具体的な被ばく線量低減対策として、標準巡航高度(12km)では閾値を超えるため運行できないが巡航高度9kmでは運行可能な場合は高度を9kmに低下させる、また巡航高度9kmでも閾値を超えるため運行できない場合は欠航とするプロトコルを策定し、高度低下及び欠航に掛かる経済損失(コスト)を推定しました。そして、推定したコストとそれに対応する太陽フレア発生頻度を乗じることにより、経済的損失リスクを評価しました。その結果、毎日運航する長距離便に対する1年あたりの経済的損失リスクは、積算線量及び最大線量率で規制をかけた場合、それぞれ最大約500米ドル及び約1,500米ドルであることが分かりました。これらの値は、火山噴火などの他の航空リスクと比較してそれほど大きなものではありません。すなわち、十分に安いコストで、航空機搭乗時における被ばく線量を軽減することができることを証明した点が、我々の研究のもう一つの重要な点と言えます。

なお、現在の科学技術では、太陽フレアの発生中に特定の航路の積算線量を推定することは不可能であり、現実的には、最大線量率で規制をかける運用(最大経済損失リスク約1,500米ドル)にならざるを得ません。ただし、今後、太陽フレアに対する知見が深まり航路上の積算線量をリアルタイムで予測可能となれば、積算線量で規制をかける運用(最大経済損失リスク約500米ドル)も可能となり、さらにリスクを下げられると予想されます。

波及効果、今後の予定

本研究により、太陽放射線被ばくによる経済損失リスクが初めて定量化され、太陽フレア時の最適な航空機運用対策指針の決定やリスク対策が可能となりました。また、Space X 社、Virgin Galactic社、Blue Origin社らが進める宇宙旅行計画では、太陽放射線被ばくのリスクがより高くなると予想されるため、本研究で構築した手法を用いたリスクの定量化とその結果に基づく被ばく線量低減対策の提案やリスク対策が更に重要になると考えられます。ただし、具体的な提案を行うためには、詳細な運行計画に基づくより正確なリスク評価が不可欠となり、今後、関係機関と協力しながらそのような研究を継続的に実施していく予定です。

研究プロジェクトについて

本研究は、日本学術振興会・文部科学省による下記の科研費補助金(JP18H01569)の支援のもとに実施されました。 また、有人宇宙システム(JAMSS)寄付金などのサポートを受けております。

本研究に関係する研究機関と役割は下記のとおりです。

[研究機関]

京都大学大学院総合生存学館SIC有人宇宙学研究センター
被ばくを起こす太陽フレアの発生頻度と経済損失リスクの評価

日本原子力研究開発機構(JAEA)
WASAVIESを用いた航空機被ばく線量の評価

海上・港湾・航空技術研究所(MPAT)電子航法研究所(ENRI)
航空機運航コストと欠航に伴う経済コストの評価

[企業]

あいおいニッセイ同和損害保険(株)
所属社員による研究の主導、および本成果の活用検討

有人宇宙システム(JAMSS)
本研究への支援と、有人宇宙活動への結果の活用

DMG森精機(株)
本研究への支援

<用語解説>

*1 被ばく線量:

人体の放射線被ばくによる影響を表す指標で単位はシーベルト(Sv)。世界各国で航空機乗務員の宇宙放射線被ばく線量管理に関するガイドラインが策定されており、日本では、その線量管理目標値を年間5mSvとするガイドラインが2006年4月に放射線審議会により策定されました。ただし、この値は、職業人である航空機乗務員に対して適用される値で、一般人である乗客に対しては、公衆の線量限度(年間1mSv)を超えないことが望まれます。

*2 太陽フレア:

太陽などの恒星表面での爆発現象であり、表面にある黒点近傍に蓄えられた磁場エネルギーが突発的に解放されることで生じる現象と考えられています。太陽フレアに伴って発生するプラズマ噴出(コロナ質量放出、CME) が地球に衝突すると、磁気嵐などによって、大規模停電や通信インフラに障害が発生するなど人類社会に大きな影響が及ぶこともあります。また、場合によっては、高エネルギーの太陽放射線を大量に放出し、宇宙飛行士や航空機乗務員の放射線被ばくを引き起こします。

*3 WASAVIES(ワサビーズ):

国立研究開発法人情報通信研究機構、JAEA、国立極地研究所などが中心となって開発した太陽放射線被ばくに対する警報システム。人工衛星と地上で観測した宇宙線強度をリアルタイムでダウンロードし、その急激な上昇が発生した場合は、地表から高度100kmまでの地球上のあらゆる場所における太陽放射線による被ばく線量率を自動で計算して下記ホームページ上で発信します。また、その結果はICAOにも転送され、各国の航空会社に届けられます。本研究では、21世紀に発生した太陽放射線放出を伴う5つの太陽フレアに対してWASAVIESで計算した被ばく線量率の4次元空間時系列データを利用しています。

https://wasavies.nict.go.jp/

*4 宇宙線中性子観測:

1950年代から継続的に続けられている地上中性子モニタを用いた宇宙線観測。普段は、銀河宇宙線由来の中性子を観測していますが、巨大な太陽フレアが発生した際は、太陽放射線由来の中性子も観測します。このような事象をGLE(Ground Level Enhancement)と呼び、これまで72回のGLEが観測されています。本研究では、各GLE時の太陽放射線強度を中性子モニタ計数上昇率の積分値(事象積分強度、EII)やその最大値(ピーク事象強度、PEI)を用いて指標化し、事象発生頻度との関係を定量化しました。

*5 放射性炭素分析:

古木や氷床中に含まれる放射性炭素(14C)の濃度を測定し、過去に発生した巨大な太陽フレアを検出する手法。放射性炭素は、宇宙線が大気圏内で引き起こす核反応により主に生成されるため、その濃度は、過去における太陽活動の指標として利用できます。これまで、屋久杉の年輪を調べた結果などから、西暦774/5年頃と993/4年頃に極めて巨大な太陽フレアが発生していたことが分かっており、その太陽放射線強度は、21世紀に発生した太陽フレアの中で最も太陽放射線強度の高かった2005年1月の事象と比べてそれぞれ約130倍及び約60倍であったと推定されています。本研究では、このような巨大な太陽フレアの発生も考慮して太陽放射線強度とその発生頻度の関係を定量化しました。

<研究者のコメント>

本研究成果は、2017年9月の太陽嵐の際にロサンゼルスー成田便に乗り、航空機被ばくという問題をより真剣に議論しなければならないと感じてから2年後にJAEA佐藤達彦氏らによるWASAVIESを用いて実際に評価できるようになり、航空機運用において航空会社が積極的にこの考え方を取り入れてもらえるよう切望しながら、当時博士課程大学院生であった藤田萌さん(現あいおいニッセイ同和損害保険)と始めたものです。最初に投稿した論文はリジェクトされ、二度目の投稿で1年4ヶ月後にようやくたどり着いた成果です。その過程で、電子航法研究所の斎藤享氏によりコスト計算を精査し、広く共有可能な数値が導き出せました。

<論文タイトルと著者>

タイトル:Probabilistic Risk Assessment of Solar Particle Events Considering the Cost of Countermeasures to Reduce the Aviation Radiation Dose
(航空機放射線被ばくを軽減するための対策コストを考慮した太陽粒子イベントの確率論的リスク評価)

著者:Moe Fujita, Tatsuhiko Sato, Susumu Saito, Yosuke Yamashiki

掲載誌:Scientific Reports

DOI:10.1038/s41598-021-95235-9

参考部門・拠点:原子力基礎工学研究センター
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