令和3年1月28日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構

リアルタイムで高精度な汚染物質拡散シミュレーションを世界で初めて実現
―都市構造物の詳細を捉え予測精度を大幅に向上―

【発表のポイント】

図1 東京都市街区4km四方を対象とした2m解像度の汚染物質の拡散シミュレーション。実際の建物高さデータを用いて、任意の風況条件および汚染物質発生源に対して、リアルタイム解析が可能。上記の解析は、原子力機構の有しているGPUスパコンDGX-2の1ノード(16台のGPU)にて実現している。

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下「原子力機構」という)システム計算科学センターの小野寺直幸研究副主幹、井戸村泰宏研究主幹、長谷川雄太研究員は、原子力基礎工学研究センターの中山浩成研究副主幹、東京工業大学学術国際情報センターの青木尊之教授および東京大学情報基盤センターの下川辺隆史准教授との共同研究により、スーパーコンピュータ(スパコン)上で数km四方の都市街区に対し、数mの細い路地までも詳細に捉えた大規模なリアルタイム汚染物質拡散シミュレーションを世界で初めて実現しました。

都市街区内の汚染物質拡散では、様々な建物や構造物が林立し、空気の流れが複雑な乱流となるため、数m解像度の細かな格子を用いたシミュレーションが求められていました。しかしながら、従来の都市街区内を対象とした数値流体力学(CFD)手法1)では緊急時のシミュレーションに求められるリアルタイム計算を粗い計算格子(数10m以上の計算格子)でしか行えず、求められる精度の半分以下の予測精度となってしまうことが知られていました。

これらの課題に対し、本研究では、計算のさらなる高速化と高精度化を同時に実現する汚染物質拡散解析シミュレーション「CityLBM2)」の高度化に成功し、リアルタイム計算で精度を従来比2倍以上向上できることを実証しました。

CityLBMでは、以下の点を改善することで、計算速度を数10倍以上高速化し、高解像度のリアルタイム計算を実現しました。

これに加えて、以下の対応をとることで、現実の都市街区内の風況再現を試行し、予測精度を大幅に向上させました。

この結果、米国オクラホマシティで行われた野外拡散実験に対する実証解析において、CityLBMの予測精度を2倍程度改善し、汚染物質濃度分布をリアルタイムに予測できる事を世界で初めて実証しました。この予測精度改善により、従来は5倍程度であった実験結果との差異が、2倍程度まで縮小しました。このような高精度予測を活用することで、適切な避難回避行動をリアルタイムで提示すること等が可能となります。

開発したソフトウェアは、都市街区内の放射性物質の拡散解析に基づく核テロ対策等に活用できるだけでなく、今後、エクサスケール計算機を活用することで、都市街区内の詳細な風況解析に基づくスマートシティ設計にも応用されることが期待されます。

本研究成果は、2021年1月21日にSpringer社の論文誌「Boundary-Layer Meteorology」に掲載されました。

【研究の背景】

汚染物質の大気拡散解析は、都市街区内の放射性物質の拡散予測に基づく核テロ対策や原子力発電所の廃炉作業で必要となる放射性物質拡散の事前評価など、原子力分野の課題解決に大きく貢献できます。この基盤技術は、都市街区内の詳細な風況解析に基づくスマートシティ設計にも応用できるなど、幅広い工学分野への貢献も期待できます。

都市部は様々な建物や構造物が林立した複雑な形状をしており、それらにより空気の流れ(風)が乱流状態になるため、時々刻々と変化する流れを予測できる高精度なCFD手法が必要となります。また、それらの流れが人の生活圏に及ぼす影響を評価するためには、数kmの都市広域から数mの細かな路地等をモデル化した大規模なマルチスケール解析が必須です。一方で、核テロ対策等の緊急時の汚染物質拡散予測には、実時間よりも速いシミュレーションの実現が求められます。

しかしながら、その実現には、以下の二つの課題の解決が必要であることが分かりました。第一の課題は計算の高速化です。既存のCFD手法にて、細かな路地等を捉えた高解像度シミュレーションを実施する場合には、リアルタイム計算を実現するために数十倍以上の高速化が必要です。第二の課題は計算の高精度化です。従来のCityLBMを用いたシミュレーションでは、実験結果との差異が5倍程度となりますが、これを環境アセスメント等で用いられている指標の2倍以内まで改善することが必要です。

【研究の内容・成果】

それらの課題を、私たちは二つの技術革新により解決しました。第一の技術革新はリアルタイムのマルチスケールシミュレーションの実現に向けた高速化技術です。近年、低消費電力かつ高演算性能の画像処理プロセッサ(GPU)を搭載したスパコンが多く開発されています。1台のGPUには数千台の演算器が搭載されており、従来の汎用演算器であるCPUと比較して演算性能が数倍以上となるため、リアルタイム計算の実現に有効です。しかしながら、ナビエ-ストークス方程式7)に基づく従来のCFD手法ではGPUスパコンの性能を十分に引き出すことができず、リアルタイム計算を実現することが困難でした。本研究ではGPUスパコンに適したCFD手法のひとつである格子ボルツマン法(LBM)に基づいた汚染物質拡散ソフトウェアを新たに開発することで、計算速度を10倍以上高速化しました。

しかしながら、リアルタイムシミュレーションの実現には、更なる高速化が必要でした。そこで、本研究では都市の風の流れのスケールの違いに着目し、そのスケールに応じて計算格子の解像度を任意に変化することができる適合細分化(AMR)格子に基づくCFD手法を開発しました。具体的には、図2に示す様に、流れが乱流状態となる建物周りにのみ細かな計算格子を配置することで、AMR法を適用していない手法と比較して計算格子点数(計算量)を10%以下に削減することに成功しました。以上の高速化により、原子力機構の有しているGPUスパコンDGX-2の1ノード(16台のGPU)にて、都市街区4km四方を対象とした2m解像度のリアルタイム汚染物質拡散シミュレーションを実現しました(図1)。

図2 直交等間隔格子(左図)とAMR格子(右図)の概略図。従来の手法は均一な格子を用いて解析するため、マルチスケール解析においては不必要な格子が多く存在する。提案した手法では、建物により流れが乱される建物周りにのみ高解像度の格子を配置することで、従来手法の10%以下の格子点数で同等の精度の解析が可能となる。

第二の技術革新は、都市街区内の物理モデルの高度化および確率論的な評価に基づく解析精度の向上が挙げられます。従来のCFD手法では計算性能の制約により、数m解像度の細かな格子を用いたシミュレーションの実施例が少なく、高精度予測の実現に必要な物理モデルの知見が少ない状況でした。実際に、米国オクラホマシティの市街地中心部から汚染物質を模擬したトレーサーガスを拡散させた野外拡散実験[Leach M.J., LLNL, 2005]の実証解析において、先行研究と同様にメソスケール気象予測モデルが与える気象条件および市街地中心部の建物データのみを考慮した最初の解析では、市街地内の観測点における汚染物質の平均濃度を過大評価してしまい、期待していた精度を得られませんでした。この原因を調査した結果、先行研究では考慮されていなかった樹木等の植生が地表面近傍の風況に大きな影響を与え、地表面から上空への汚染物質拡散を拡大していることが分かりました。また、数m解像度の解析では、乱流の影響により汚染物質濃度が高い領域が間欠的に移流し計測機器の時系列値に大きな変動を与えることが確認され、乱流の不確実性を考慮した解析が必要であることが分かりました。

上記の新たな課題に対して、地表面近傍の植生を考慮した物理モデルの高度化、および、大規模アンサンブル計算に基づく確率論的な評価を実現し、解析の高精度化を図りました。ここで、初期値が僅かに異なる複数ケースのリアルタイムアンサンブル計算はAMR法の省メモリ実装により初めて実現しました。このような高精度解析により、都市中心部での詳細な汚染物質濃度分布(図3左)の評価が可能となり、観測点での汚染物質濃度についても環境アセスメントの基準値(実験との差異が2倍以内)を全観測点(8観測点×3時刻)の70%以上で達成しました(図3右)。

以上の技術革新により、従来のCityLBMでは汚染物質濃度の実験結果との差異が5倍程度であったのに対して、アンサンブル平均と高速化により2倍以内まで向上するリアルタイム計算を世界で初めて示しました。

図3 米国オクラホマシティにおける野外拡散実験に対するシミュレーションにおける汚染物質の可視化(左)および市街地内に設けられた観測点での濃度の比較(右)。左図では細い路地内まで含めた詳細な汚染物質濃度分布が示されています。右図において、各アンサンブルケースの計算値(白抜き記号)が観測値(黒線)およびその2倍の範囲内(黒破線)から離れて10倍の範囲(黒点線)を超えて分布しているのに対して、アンサンブル平均により黒破線内に収まることが確認できます。

【今後の展開および波及効果】

今回開発した「CityLBM」により、都市街区内の細かな路地を含んだ汚染物質拡散のリアルタイム計算が可能となりました。この研究を進めることで、核テロ時の汚染物質拡散解析に基づく発生源推定や避難指示、都市の建造物配置の最適化に基づく突風被害を軽減したスマートシティ設計、建物・樹木配置に基づく風環境と日照条件に基づく熱中症リスク評価等の環境評価、建物の密集した都市街区内での突風予測に基づくドローン航行支援など、非常に幅広い工学分野の発展に対して大きな意義があります。

【書籍情報】

雑誌名:Boundary-Layer Meteorology

論文題目:Real-Time Tracer Dispersion Simulations in Oklahoma City Using the Locally Mesh-Refined Lattice Boltzmann Method

著者:Naoyuki Onodera1, Yasuhiro Idomura1, Yuta Hasegawa1, Hiromasa Nakayama1, Takashi Shimokawabe2, and Takayuki Aoki3

所属:1日本原子力研究開発機構、2東京大学、3東京工業大学

DOI:10.1007/s10546-020-00594-x

【研究支援】

本研究は、日本学術振興会の科学研究費助成事業の研究課題「都市歩行者レベルにおける大気環境の超解像評価システムの構築(19KK0105)」、「GPUスーパーコンピュータによる原子炉内溶融物の移行挙動解析(19K11992)」、および「大規模分散GPGPUシミュレーションの対話的In-Situ可視化(20K11844)」として実施しました。

【参加研究者の役割分担】

【用語説明】

1) 数値流体力学(CFD)

流体の運動に関する方程式をコンピュータで解くことにより、流体の速度や密度等の近似解を予測するシミュレーション手法。

2) CityLBM

日本原子力研究開発機構、東京工業大学、東京大学で開発された格子ボルツマン法に基づく数値流体力学ソフトウェアの一つ。熱や濃度および複雑物体を含む流体の時間発展を計算する。

3) 格子ボルツマン法

有限個の方向を持つ速度分布関数の時間発展方程式を解くことで、流体運動を記述する手法。シンプルな計算アルゴリズムを持つため並列計算が容易であり、数千個の演算器を持つグラフィックス プロセッシング ユニット(GPU)に適している。

4) 適合細分化格子法

適合細分化格子法は空間に対して格子点を生成する手法の一つで、効率的に格子点を配置することで、限られた計算資源(計算格子)において数値解析の精度を向上できる。

5) エクサスケール計算機(エクサスケール スーパーコンピュータ)

現行のペタフロップス(1秒間に1015回の浮動小数点演算を行う計算性能)規模の計算機の約1000倍となるエクサフロップス(1秒間に1018回の浮動小数点演算を行う計算性能)の計算性能を持つ次世代のスーパーコンピュータ。

6) アンサンブル解析

わずかに異なる条件を与えた計算を複数個同時に行う解析。観測データや解析手法から生じる誤差を確率論的に評価することが可能となる。

7) ナビエ-ストークス方程式

流体の質量・運動量・エネルギー等の物理量を用いて流体運動を記述する方程式。流体の数値シミュレーションでは、この時間発展方程式を解くことで、流体の挙動を予測する。

【謝辞】

本研究の一部は学際大規模情報基盤共同利用・共同研究拠点 課題番号:jh200050-NAH から支援を頂いた。本計算は、東京工業大学のクラウド型ビッグデータグリーンスーパーコンピュータ「TSUBAME3.0」、産業技術総合研究所のAI橋渡しクラウド「ABCI」を使用した。

参考部門・拠点:システム計算科学センター
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