2019年11月29日
理化学研究所
宇宙航空研究開発機構
日本原子力研究開発機構
東北大学
九州大学

トリウム原子核の精密レーザー分光実現へ重要な一歩
-トリウム229アイソマー状態のエネルギーを決定-

理化学研究所(理研)開拓研究本部香取量子計測研究室の山口敦史研究員、理研仁科加速器科学研究センターRI応用研究開発室の羽場宏光室長、宇宙航空研究開発機構の満田和久教授、日本原子力研究開発機構の中村圭佑主査、東北大学の小無健司特任准教授、菊永英寿准教授、九州大学大学院の前畑京介准教授らの共同研究グループは、トリウム229(229Th:原子番号90、質量数229)原子核の準安定状態である「アイソマー状態[1]」のエネルギーを決定しました。

本研究成果は、トリウム229原子核の精密レーザー分光[2]を通じて、将来の原子核時計の実現につながると期待できます。

トリウム229の原子核は、基底状態からわずか数エレクトロンボルト(eV)[3]のエネルギー領域にアイソマー状態と呼ばれる準安定状態を持っています。基底状態の原子核にレーザー照射してアイソマー状態を作り出せるのは、トリウム229の原子核が唯一と考えられるため、超高精度な「原子核時計」への応用の可能性などから注目を集めています。しかし、2007年までの既報のアイソマー状態のエネルギー値は、実験を行うグループの間で一致していませんでした。

今回、共同研究グループは、本研究で開発した超伝導遷移端センサー[4]と呼ばれる高いエネルギー分解能のガンマ線分光器を用いて、トリウム229原子核から放射されるガンマ線のエネルギーを精密に測定し、アイソマー状態のエネルギーを8.30±0.92 eVと決定しました。この値は、2019年に異なる実験手法で測定された、他のニつの実験グループによる最新の測定値と一致しました。

本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』のEditors’Suggestionに選ばれ、オンライン版(11月26日付)に掲載されました。

図 トリウム229のアイソマー状態のエネルギー測定値

※共同研究グループ
理化学研究所
開拓研究本部 香取量子計測研究室
研究員 山口 敦史 (やまぐち あつし)
仁科加速器科学研究センター RI応用研究開発室
室長 羽場 宏光 (はば ひろみつ)
宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所
大学院生(研究当時)   村松 はるか(むらまつ はるか)
JAXAプロジェクト研究員 林 佑(はやし たすく)
教授 山崎 典子 (やまさき のりこ)
教授 満田 和久 (みつだ かずひさ)
日本原子力研究開発機構
主査 中村 圭佑  (なかむら けいすけ)
主査 滝本 美咲  (たきもと みさき)
東北大学
金属材料研究所
技術職員 渡部 信 (わたなべ まこと)
特任准教授 小無 健司  (こなし けんじ)
電子光理学研究センター
准教授 菊永 英寿  (きくなが ひでとし)
九州大学大学院 工学研究院
大学院生(研究当時) 湯浅 直樹  (ゆあさ なおき)
准教授 前畑 京介 (まえはた けいすけ)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究B「「原子核時計」実現にむけたトリウム229核異性体準位のエネルギー測定(研究代表者:山口敦史)」による支援を受けて行われました。

背景

原子核の励起状態で、状態の寿命がおよそナノ秒(10億分の1秒)より長い準安定状態のことを「アイソマー状態」と呼びます。トリウム229(229Th:原子番号90、質量数229)の原子核は、励起エネルギーがわずか数エレクトロンボルト(eV)のアイソマー状態を持っています。このアイソマー状態は、基底状態からレーザーによって励起できるため、精密レーザー分光できる唯一の原子核と考えられており、近年注目を集めています。

その応用として期待されているのが、原子核が基底状態からアイソマー状態へ遷移する際に吸収する電磁波の周波数を基準とする「原子核時計」です。原子核は周りを回る電子に囲まれているために、吸収する電磁波の周波数が周囲の環境変化の影響を受けにくいことから、原子核時計は現在の原子時計よりも1桁以上高い精度を実現できると考えられています。

しかし、2007年までに報告されたアイソマー状態にある原子核のエネルギー値は、実験を行うグループの間で一致していませんでした。そのため、分光用レーザーのエネルギーの値が定まらず、アイソマー状態の原子核の精密レーザー分光もまだ実現されていません。したがって、アイソマー状態のエネルギーの新たな測定と、その測定値と過去の測定値との整合性の検証が待たれていました。

研究手法と成果

図1に、トリウム229原子核のアイソマー状態のエネルギーを測定するために、共同研究グループが考案した研究手法を示します。図のEISが測定したいアイソマー状態のエネルギーです。本研究では、エネルギー29.2 keVの第2励起状態に着目し、第2励起状態のエネルギーECRと、第2励起状態からアイソマー状態への遷移エネルギーEINの差からEISを求めます。共同研究グループの先行研究注1)では、大型放射光施設「SPring-8」[5]の放射光を用いて、トリウム229の原子核を基底状態から29.2 keVの第2励起状態にすることに成功し、ECRの値を29189.93±0.07 eVと決定しています。そこで本研究では、残りのEINを測定しました。

図1 トリウム229の原子核エネルギー準位図
本研究では、EINを精密に測定し、ECR(先行研究で測定済み)との差から、アイソマー状態のエネルギーEISを求めた

EINを精度良く測定するため、高いエネルギー分解能のガンマ線分光器である超伝導遷移端センサーを独自に開発しました(図2)。この素子を使って、EINを29181.63±0.92 eVと決定し、ECRとEINの差をとることで、アイソマー状態のエネルギーEISを8.30±0.92 eVと決定しました。このエネルギー値は、2019年に異なる実験手法で測定した、他のニつの実験グループによる最新の測定値と一致しました(図3)。

図2 本研究で開発した超伝導遷移端センサー(左)とトリウム229のガンマ線スペクトル
右: 左の超伝導遷移端センサー用いて測定されたトリウム229のガンマ線スペクトル。スペクトル幅36eVという高いエネルギー分解能を示した。

図3 トリウム229のアイソマー状態のエネルギー測定値
2007年までの値(青のデータ)は一致していなかったが、2019年の値(赤のデータ)は、三つともそれぞれの測定誤差(データ点の横棒の長さ)の範囲で一致した。

注1) 2019年9月11日プレスリリース「自然界で最小の励起エネルギーをもつ原子核状態の人工的生成に成功」

今後の期待

今後は、本研究で決定したエネルギー領域の励起用レーザーを作製し、アイソマー状態にあるトリウム229原子核の精密レーザー分光の実現に向けて研究が進むと期待できます。

その応用として注目されているのが、原子核時計です。既存の原子時計より1桁以上高い精度が期待される原子核時計を使えば、宇宙膨張に伴って変化する可能性が指摘されている基礎物理定数の恒常性の検証を通して、宇宙膨張の謎に迫る研究につながると考えられます。

また、重力ポテンシャルの変化を原子時計の周波数変化として検出する相対論測地学[6]の強力な計測ツールとして、地殻変動の検出、地下資源の探索など、さまざまな分野への応用も期待できます。

論文情報

<タイトル>Energy of the 229Th Nuclear Clock Isomer Determined by Absolute γ-ray Energy Difference

<著者名>A. Yamaguchi, H. Muramatsu, T. Hayashi, N. Yuasa, K. Nakamura, M. Takimoto, H. Haba, K. Konashi, M. Watanabe, H. Kikunaga, K. Maehata, N. Y. Yamasaki, and K. Mitsuda

<雑誌>Physical Review Letters

補足説明

[1] アイソマー状態

原子核の励起状態で、状態の寿命がおよそナノ秒(10億分の1秒)より長い準安定状態のこと。トリウム229のアイソマー状態は、1,000秒程度と極めて寿命が長いと考えられている。

[2] レーザー分光

レーザーで測定対象の量子の状態を操作し、測定対象自体やその対象が周辺の環境から受けている影響を調べる手法。原子核時計では、トリウム229の原子核を基底状態からアイソマー状態へ励起するのに必要なレーザーの周波数を調べ、その周波数を基準に時計を作る。

[3] エレクトロンボルト(eV)

エネルギーの単位。例えば、本研究で決定したアイソマー状態のエネルギー8.30 eVは、波長に換算すると真空紫外領域の149ナノメートルに相当する。

[4] 超伝導遷移端センサー

英語名Transition Edge Sensorを略してTESとも呼ばれる。超伝導体は、温度を下げていくと、常伝導から超伝導に変わる転移温度で、抵抗値がゼロになる。転移温度では、温度に対して抵抗値が急峻にゼロになるため、この遷移端を利用すると極めて感度の良い温度計(カロリメータ)ができる。TESでは、遷移端に温度が安定化された超伝導体の上に吸収体をのせ、入射ガンマ線による吸収体のわずかな温度変化を精密に測定することで、ガンマ線のエネルギーを精度良く求める。

[5] 大型放射光施設「SPring-8」

SPring-8(Super Photon ring-8 GeV)は、兵庫県播磨科学公園都市にある世界最高レベルの放射光を生み出すことができる大型放射光施設。放射光とは、電子を光とほとんど同じ速度まで加速し、磁石により進行方向が曲げられる際に生じる細く強力な電磁波のことである。SPring-8では、素粒子、原子核、固体物理、古科学といった基礎研究から、ナノテクノロジー・バイオテクノロジーといった応用研究、産業利用、科学捜査等の幅広い研究が行われている。

[6] 相対論測地学

アインシュタインの一般相対性理論によると、強い重力場中では時間の進み方が遅くなり、地上の低い場所にある時計は、高い場所にある時計に比べてゆっくり進む。高精度な時計を用いれば、時間の進み方の違いから高低差を精密に計測することができ、このような相対論的な効果を用いた新たな測地技術のことを相対論的測地と呼ぶ。

参考部門・拠点: 核燃料サイクル工学研究所

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