平成30年7月24日
理化学研究所
日本原子力研究開発機構
J-PARCセンター
総合科学研究機構
東京大学
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター強相関量子構造チームの中島多朗研究員、有馬孝尚チームリーダー、強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクター、日本原子力研究開発機構J-PARCセンターの稲村泰弘副主任研究員、総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センターの大石一城副主任研究員、伊藤崇芳副主任研究員、東京大学大学院工学系研究科の賀川史敬准教授、大池広志助教らの共同研究グループ※は、物質中の微小な磁気渦(「磁気スキルミオン[1]」)が生成・消滅する過程を、100分の1秒単位の時間分解能で観測することに成功しました。
本研究成果は、次世代の情報記憶媒体への応用が期待される磁気スキルミオンの基本的性質を理解する上で重要です。さらに新たに確立した観測手法は、磁気スキルミオン以外にもさまざまな機能性材料でごく短時間にのみ現れる現象を研究する手段として利用することが可能です。
今回、共同研究グループは、マンガンとケイ素からなる化合物MnSiで現れる磁気スキルミオンに対して、急激な温度上昇・下降を与えた際に起こる変化の過程を、大強度陽子加速器施設(J-PARC)[2]の「パルス中性子ビーム[3]」を用いて観測しました。その結果、温度の上昇によって磁気スキルミオンが消滅する様子や、急速な冷却過程で生成されたスキルミオンが本来存在できない低温まで「過冷却[4]」状態で残る様子などを、100分の1秒単位の高い時間分解能で“ストロボ写真”のように観測することに初めて成功しました。
本研究は、国際科学雑誌『Physical Review B』の掲載に先立ち、オンライン版(7月23日付け:日本時間7月24日)に掲載されます。
「磁気スキルミオン」とは、磁性体における磁気モーメント(物質中の個々の原子が持つ小さな棒磁石)が渦状に配列したもので、典型的な大きさは数~数百ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)です。磁気スキルミオンは非常にわずかな電流を流すことで駆動できることから、磁気スキルミオンを情報記憶媒体として用いる新しい磁気メモリの開発などが提案されています。その一因には、磁気スキルミオンが渦であるため「1個、2個」と数えることができ、デジタル情報処理と相性が良いということも挙げられます。
磁気スキルミオンは2009年にその存在が実験的に報告され注1)、現在も世界中で盛んに研究されています。磁気スキルミオンの代表的な観測方法の一つに「中性子小角散乱法」があります。中性子小角散乱法では、磁気スキルミオンが物質中で数多く存在し、規則的に整列している(格子を組んでいる)状態に対して、中性子ビームを照射します。すると、その磁気スキルミオン[1]の形や大きさを反映した中性子の散乱パターンが得られます。これまでは、中性子ビームを数秒から数分照射し続け、時間的に平均化されたパターンを観測することがほとんどでした。しかしこれでは、磁気スキルミオンが生成・消滅する瞬間の様子など、非常に短い時間で起こっている過渡現象を観測することは不可能でした。
注1)S. Muhlbauer et al., Science 323, 915 (2009).
磁気スキルミオンを発見したドイツの研究グループらは2009年に、マンガンとケイ素からなる化合物MnSiにおいて、-246℃~ -244℃まで、わずか2℃の温度範囲でのみ磁気スキルミオンが存在することを報告しました注1)。しかし、2016年に賀川准教授、大池助教らは、MnSiを非常に速く冷却すると、本来磁気スキルミオンが存在しない-246℃以下の範囲でも、磁気スキルミオンが「過冷却」の状態で残ることを実験的に明らかにしました注2)。このとき必要な温度変化のスピードは、数十~数百℃毎秒という非常に速いものでした。
この素早い温度変化を経る前と後で、電気抵抗測定や従来の中性子小角散乱測定を行うことで、磁気スキルミオンが過冷却状態になっていることが分かっていました注3)。しかし、実際にこのような短時間の温度変化中で磁気スキルミオンがどのように形成され、最終的に過冷却状態になったかという過程は直接観測されていませんでした。
共同研究グループはこの過程を直接観測するため、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質・生命科学実験施設(MLF)に設置された中性子小角・広角散乱装置「大観」(BL15)(図1)において、パルス中性子ビームを使った「ストロボスコピック中性子小角散乱測定」を行いました。これは写真の“ストロボ撮影”と同様に、時々刻々と変化している物質の磁気状態に中性子ビームの“フラッシュ”を繰り返し浴びせて、その瞬間ごとの様子を記録するというものです。J-PARC MLFでは、陽子ビームを標的(水銀)に衝突させて生成させたパルス状の中性子ビームを実験に用いることができます。
共同研究グループは、このパルス中性子と試料の温度変化を同期させる計測システムを構築し、磁気スキルミオンが形成され三角格子を組んだことに相当する六角形の散乱パターンが生じる過程を、パルス中性子が試料に当たる瞬間ごとに“パラパラ漫画”のように記録することに成功しました(図2)。
パルス中性子ビームが試料に照射され、試料で散乱された中性子のパターンを試料前方および後方に設置された数多くの検出器群によって効率的に観測することができる。これにより磁気スキルミオンをはじめとした磁性体中での物理現象や、さまざまな機能性材料の性質を測定することができる。
試料の温度変化とパルス中性子照射のタイミングを表した模式図。右側の図における破線の矢印は、温度の変化に対してパルス中性子が照射されたタイミングを模式的に表したもの。温度変化と同期してパルス中性子を繰り返し照射することにより、磁気状態の変化に対応する中性子散乱パターンを約100分の1秒ごとにパラパラ漫画のように記録することができる。
実験では、一つのパルス中性子の照射時間は約13ミリ秒(1ミリ秒は1,000分の1秒)にしたため、散乱パターンの変化を100分の1秒単位の高い時間分解能で観測したことになります。磁気スキルミオンが通常の条件で存在する温度領域(-246℃~ -244℃)を横切るように-238℃から-253℃までの間を50℃毎秒で急速に試料を冷却しながら観測を行ったところ、常磁性状態(-244℃以上で、磁気モーメントがバラバラな方向を向いた状態)から磁気スキルミオンが生成される過程はこの速い温度変化にも追従して起こることが分かりました。これは磁気スキルミオンの生成が非常に高速であることを意味します。
また、一度できた磁気スキルミオンは壊れにくく、このような速い温度変化の下では-246℃を下回っても消滅することなく、過冷却状態となって残ることが分かりました。さらに、非常に速い温度変化の中でも磁気スキルミオン格子の間隔やそろい具合が刻々と変化している様子が観測されました。
注2)H.Oike et al., “Interplay between topological and thermodynamic stability in a metastable magnetic skyrmion lattice", Nat. Phys. 12, 62 (2016).
注3)T. Nakajima, H. Oike et al., " Skyrmion lattice structural transition in MnSi", Sci. Adv. 3, e1602562 (2017).
今回の研究によって、磁気スキルミオンの生成と過冷却状態形成の過程が明らかになり、これはスキルミオン自身の基礎的な性質の理解と情報記憶媒体への応用の両面にとって、大きな役割を果たすと期待できます。
また、今回の実験では中性子小角散乱パターンを100分の1秒ごとに観測しましたが、実験条件によっては有効的なパルス幅を狭めることにより1,000分の1秒での観測も可能であることが示されました。この手法は磁気スキルミオンだけではなくさまざまな機能性材料の研究において、非常に短時間にだけ起こる物理現象を研究する手段としてJ-PARC MLFのパルス中性子が活用できることを示しており、今後の発展が期待できます。
<タイトル>
Phase-transition kinetics of magnetic skyrmions investigated by stroboscopic small-angle neutron scattering
<著者名>
Taro Nakajima, Yasuhiro Inamura, Takayoshi Ito, Kazuki Ohishi, Hiroshi Oike, Fumitaka Kagawa, Akiko Kikkawa, Yasujiro Taguchi, Kazuhisa Kakurai, Yoshinori Tokura, and Taka-hisa Arima
<雑誌>
Physical Review B
「磁気スキルミオン」は、物質中の原子が持つ磁気モーメント(小さな棒磁石)が渦状に配列した状態のことを指す。磁気スキルミオンが固体中に多数生じている際に、格子状に規則的に配列している状態を「スキルミオン格子」と呼ぶ。
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している先端大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。J-PARC内の物質・生命科学実験施設(MLF)では、世界最高クラスの中性子およびミュオンビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まっている。物質・生命科学実験施設(MLF)の共用ビームラインの利用支援などは総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センターが中心となって行っている。
中性子はそれ自身が磁気モーメントを持っており、物質中の磁気モーメントと相互作用して散乱される。その散乱パターンを観測することにより、物質中の磁気秩序を調べることができる。J-PARC MLFでは加速した陽子ビームのパルスを標的に衝突させることでパルス状の中性子ビームを発生させ、それを実験に用いている。
水が氷になるように、物質が温度などの外的要因によってその性質を劇的に変化させることを相転移と呼ぶ。相転移を起こす温度は決まっているが、温度変化の条件によっては本来変化が起こるべきところで変化が起こらず、その状態が低温まで残ることがある。水を例にとると0℃を下回っても液体のままでいる状態を過冷却と呼ぶ。
参考部門・拠点: | J-PARCセンター |