【研究の背景】

図1

図1.直径10ナノメートル程度、アスペクト比が1000に達するタンパク質ナノワイヤー(注1)の原子間力顕微鏡像とその表面への酵素固定

タンパク質だけで形成されるナノ構造体は、薬剤担持機能を用いたドラッグキャリアへの応用や、細胞の表面固定、さまざまな疾患診断技術への応用の可能性から盛んに研究が進められています。 タンパク質分子は、自然に集合体を形成する性質をもつものが一定量存在し、これまでその性質を生かしたナノ構造体の形成に関する研究が活発に行われてきました。 しかし、分子自身が集合体を形成する性質(自己凝集能)により構造形成を行う場合、その大きさを制御し、かつ均一性を確保することは極めて困難であり、さらに自己凝集能をもたないタンパク質分子はそもそも構造体形成ができないという本質的な問題点を抱えていました。 特に、ナノ構造体のサイズ・均一性は、構造体を細胞に取り込む際の食作用においてきわめて重要であり、特定の細胞をターゲットとした薬剤担持材料・ドラッグキャリアの開発における重要課題でした。

一方で、粒子線(イオンビーム(注2))は、α線・β線・γ線(注3)といった従来からの電離放射線と異なり、一つ一つの粒子(原子)が通過する軌道に沿って、「どのくらいのエネルギーを与えるか」をきちんと制御することが可能で、また、そのエネルギーを与える範囲も、軌道に沿った数10~100ナノメートルの範囲に限定できるという特色を有しています。 このような性質を利用して、イオンビームは高度先進医療におけるがん治療のための重要なツールとして、また、有用植物種を得ることを目的とした突然変異誘発のためのツールなどとして、近年積極的に活用が進められています。

これまでに本研究グループは、日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所のイオン照射研究施設(TIARA)の持つ、幅広いイオン種・エネルギーのイオンビームを、大面積に均一照射できる照射技術を活用し、多様な高分子材料から太さ数十ナノメートルの超極細の「ひも」(ナノワイヤー)を作る研究を進めてきました。 本研究では、タンパク質の薄い膜にイオンビームを通過させることで、その一つ一つの原子が通過した軌道に沿って、タンパク質分子同士の架橋(注4)反応(橋かけ反応)を引き起こし、太さ数ナノメートルで、長さを完全に任意・均一に制御した超極細の「ひも」(ナノワイヤー)を作ることに成功しました。

【本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)】

本研究で形成されたタンパク質ナノワイヤーは、人工的に一様形成できるものとして最も細いもので、たとえば半導体素子の形成などに用いられる微細加工技術に比べ、さらに10分の1程度の1次元超微細構造体です。 また、従来の微細加工技術では、このような構造体の長さと太さの比率(アスペクト比)について、どんなに大きなものでも数10程度が限界(一般的には4~5程度)とされてきましたが、「ひとつの原子はどこまで行っても一つの原子である」という性質を利用したこの手法は、理論的にはこのアスペクト比をどこまでも大きくすることが可能であり、実際に本研究で、約1000を超えるアスペクト比を有するナノワイヤーの一様形成に成功しています。

図2

図2.太さが約10ナノメートル、長さが10マイクロメートルに達するタンパク質ナノワイヤーの形成例

図3

図3.タンパク質ナノワイヤーが酵素によって分解されていく様子

一方で自己凝集能を利用した形成法では、高いアスペクト比の実現は比較的容易ですが、太さ・長さともに完全に制御することは難しく、本研究では、この両者の欠点を、「単純に固体膜の厚みをコントロールして、決められた数の粒子を通過させるだけ」という、非常に簡便な方法により完全に解決しました。 また、形成されたタンパク質ナノワイヤーはタンパク質を分解する酵素によって完全に分解することが可能であり、生体内部における分解機構によって消化してしまうことが可能であるといえます。

アスペクト比が1000を超える1次元ナノ構造体の一端は、完全に基板に固定することが可能で、ナノサイズの毛髪が表面にびっしり生えたような表面を作り出すことができます。 これは、従来のタンパク質分子で覆われた表面に比べ、圧倒的に広い表面積を提供することができます。 本研究では、タンパク質分子同士の相互作用、あるいはタンパク質と強く相互作用する分子を介して、この莫大な表面積を有するナノワイヤーに、酵素分子を定量的に固定させ、その活性が十分に維持されていること、さらには、タンパク質でできたナノワイヤーと、同様の手法で形成された別の有機ナノワイヤーは、お互いにつなぎ合わせることが可能であることを確認しました。 これは、さまざまな化学的な組成を有するナノワイヤーを自由に選んで、長さを制御して連結できること、すなわち、異なる酵素分子を、それぞれの量を完全に制御して表面に固定することが可能であることを示しています。 任意の組み合わせの酵素を定量的に表面に固定する手法は現在でもほとんど存在しませんでしたが、本研究で実現した手法により、複数の酵素の活性を利用した疾病診断のためのチップなどとして利用が考えられると同時に、その表面積による超高感化が期待されます。

タンパク質でできた繊維は古くから衣類などに利用され、絹糸・蜘蛛の糸をはじめ、我々の日常生活に密接に関連する繊維ですが、今回形成された「タンパク質ナノワイヤー」は、おそらく我々が手にし得る最も細い繊維材料といえます。 犍陀多をこれ一本で釣り上げることはできませんが・・・。

【今後の予定】

今後は、実際に表面固定された酵素の活性を用いた超高感度疾病診断技術の確立を目指したいと考えています。 また、完全に一様な長さ・太さを有する特色を最大限に生かして、このナノワイヤーの内部に薬剤を詰め込んだドラッグキャリアとしての実証と、その細胞内への取り込みについても検討していく予定です。

一方で、イオンビームは現代におけるがん治療の最後の切り札とも考えられている技術です。 本研究は、このイオンビームが実際に生体内に豊富に存在するタンパク質とどのように相互作用し、どんな影響を与えているかについて、可視化できる技術であるとも言えます。

【特記事項】

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。


研究代表者 関 修平(大阪大学 大学院工学研究科 教授)
独立行政法人日本学術振興会 先端研究助成基金助成金(最先端・次世代研究開発支援プログラム)
研究課題名 「全有機分子サイリスタ・ソレノイドのデザインと実証」
独立行政法人日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(S)
研究課題名 「1つ・2つ・3つ・・・の粒子が導く新材料創出の包括科学」
積水化学工業㈱ 自然に学ぶものづくり研究助成プログラム
研究課題名 「1000を超える超高アスペクト1次元ナノ構造の形成と力学機能 ~世界で一番細い蜘蛛の糸の形成と制御~」

【原論文情報】

Masaaki Omichi, Atsushi Asano, Satoshi Tsukuda, Katsuyoshi Takano, Masaki Sugimoto, Akinori Saeki, Daisuke Sakamaki, Akira Onoda, Takashi Hayashi, and Shu Seki
“Fabrication of enzyme-degradable and size-controlled protein nanowires using the single particle nano-fabrication technique”
英国Nature Publishing Group, Nature Communication, DOI: 10.1038/ncomms4718


戻る