【研究開発の背景】

光は波の性質を持ち、波の周期の長さ(波長)に応じて、赤外線から可視光〜紫外線〜X線と呼ばれています。(図1)。 光は基本的に直進するという性質を持っているのは良く知られていますが、一方で、例えば、お風呂等で水の中のものを空気中からみると、水と空気の境界面(水面)で光が曲がることも知られています。この光が曲がる現象を「光の屈折」といいます。光が屈折するときの曲がる度合いは物質によって異なり、その度合いを屈折率と呼んでいます。空気にも屈折率があり、冷たい空気と熱い空気では空気の密度が異なるために屈折率も異なります。図2のように、上空の熱い空気に対して、水面近くが冷たい空気で覆われていると、そこを通過する光は屈折します。その結果、遠方の風景が、本来あるはずのない場所に見えることがあり、この自然が作り出す光のマジックを蜃気楼(しんきろう)と呼んでいます。X線も光の一種なので、原理的には蜃気楼が起こりえますが、X線は、物質を透過する際にも屈折率がほとんど変化せず、可視光よりも曲がりにくい(直進性が高い)性質があり、これまで、X線領域の蜃気楼現象を地上で観測するのは難しいと考えられてきました。

図1 波長により分類した光の名称

図2 蜃気楼の一例

一方、近年、私たちはX線領域において従来にない高品質な光、「X線レーザー」を手に入れました。 レーザーは波長が揃った光の集まりで、指向性に優れるといった特徴に加えて、波の位相3)(波の山と谷の位置)がそろった「空間コヒーレンス」3)と呼ばれる性質を持ち、同じ波長と位相を持った2つのレーザー光を互いに重ね合わせると干渉縞と呼ばれる縞模様ができます。このような光が可視光に比して短波長であるX線の波長領域において実現すれば、可視光では見ることができない微小な構造や、短時間で起こる現象の観察が可能になり、物質科学や生命科学に新しい発見をもたらすと期待されています。X線レーザーは、2003年に原子力機構が、プラズマをレーザー媒質として、位相が完全に揃った軟X線領域のレーザー発振に世界で初めて成功した後、最近では、大型加速器技術をベースにした0.1ナノメートル領域のレーザーが独立行政法人理化学研究所のX線自由電子レーザー4)SACLAにおいて実用化されるなど、今まさにX線領域のレーザー光の応用が本格的に始まろうとしています。

X線レーザーの利用を広く行う上で、X線の進行方向を自由に制御する技術の開発は必要不可欠です。本研究グループは、その技術の鍵となる材料として「プラズマ」に着目してきました。これはプラズマが強いX線を当てても破壊されにくい性質を持つことや、プラズマ中の電子の密度を何桁も変えることでX線の屈折率を大きく変化させる可能性を持っているからです。 本研究グループは、原子力機構の軟X線レーザービームをプラズマに照射する実験を通じてプラズマによるX線の制御技術の可能性を調べてきましたが、軟X線に対する増幅効果を持つプラズマに軟X線レーザーを入射した際に、興味深い現象を観測しました。

【研究成果の内容】

本研究グループは、図3のように、原子力機構の波長13.9ナノメートルのX線レーザービームを、X線に対して増幅効果があるプラズマに入射し、その際のX線レーザービームの像を調べました。すると、2つのレーザー光が重なり合ったときにのみ現れる「干渉縞」が観測されました。これは、本来1つであるはずの軟X線レーザービームが、プラズマを通すと2つあるように見えることを意味します。

図3 X線レーザービームを、プラズマに入射し、その際のX線レーザービームの像を調べたときの実験図

この不思議な現象の原因を解明するために、研究グループは、今回の縞模様の元になっている2つの軟X線レーザー光が発生する原因を考察しました。図4は、今回の実験においてX線レーザーを入射したプラズマの電子密度の濃淡の分布です。横軸はプラズマの元となる固体表面からの距離を表しており、縦軸が電子密度の濃淡を示しています。図の中の赤い丸印で囲まれた部分に密度の膨らみがあり、この部分を通過するX線レーザーは屈折の影響を受けて強く曲がります。その際、プラズマの屈折率は密度が濃いほど屈折率が低くなるという特徴を持つので、密度の膨らみは凹レンズとして働き、その結果、X線レーザービームはここを起点にして拡がっていくと予想されます。一方で、青の四角で示した部分は、密度分布がなだらかなので、この部分を通過する軟X線レーザーは、屈折の影響をあまり受けずにプラズマを通過していくはずです。

図4 今回の実験条件で、X線レーザーを入射した時のプラズマの密度の濃淡(電子密度)の分布

本研究チームは、実験で得られた干渉縞と上記のプラズマの電子密度の濃淡の分布を基にして、X線レーザーがプラズマを通過する際の進み方を計算機シミュレーションにより再現しました。図5(A)は、X線レーザーがプラズマ中を通過する際の進み方を示しています。本来の光源位置から発せられた軟X線レーザービームは、プラズマに入射した後、プラズマ中の密度の膨らみによる凹レンズのはたらきを受けて、軟X線レーザービームの一部が、そこを起点にして拡がります(赤色で表示)。その結果、その起点となる位置にあたかも新しいX線光源があるかのように見える、すなわち蜃気楼が出現します。図5(B)と(C)は、計算機シミュレーションにより再現された、プラズマ中に出現したX線光源(蜃気楼)の大きさと形を示しています。図5(B)は、X−Y平面内(図5(A)参照)での光源の大きさと強度分布を表しており、その大きさは、プラズマ中に生成する密度の膨らみ(凹レンズ)の大きさとほぼ一致します。同様に、図5(C)は、Y−Z平面での光源の大きさと強度分布を示しています。この蜃気楼から発せられるように見えるX線レーザー(赤色で表示)と、プラズマ中で屈折の影響をほとんど受けずに、本来の光源位置から発せられるX線レーザー(青色で表示)が、重なり合うことで、今回実験で得られた干渉縞が生成したと考えられます。

図5 (A)実際とは異なる場所にX線の光源(蜃気楼)が生じるメカニズムを示したもの

今回の結果は、X線領域の蜃気楼現象を初めて観測した事例になります。X線は可視光に比べて直進性が高いために、X線領域の蜃気楼現象の観測は難しいと考えられてきましたが、通常の蜃気楼における「大気」と同様の役割を、X線を曲げるほどの屈折率の違いを持つことができるプラズマの特性が果たしたことにより観測が可能になったといえます。なお、今回の蜃気楼現象の発見には、プラズマの増幅作用も大きく寄与していることが、シミュレーションの結果からわかりました。蜃気楼の元となったX線の光量は、本来は微弱なため干渉縞を作るほど強くはないのですが、プラズマによる増幅作用によってX線が強められたために明瞭な干渉縞が形成され、結果として今回の蜃気楼現象の発見につながったと考えられます。

【成果の波及効果】

本研究結果を科学的な立場から見ると、X線領域の新しい現象の発見であるとともに、X線を含めた光の進み方からプラズマや物質の密度の濃淡を定量的に計測する技術につながる成果といえます。また、産業応用の観点からは、X線の進む方向を自由に変えることできるレンズや鏡などの「プラズマX線光学素子」の提案としても興味深い成果といえます。特に今回の実験で得られた干渉縞は滑らかな同心円状の縞模様を形成しており、これは、プラズマ中を通過したX線レーザービームがプラズマにより進路を曲げられた後も、レーザー特有の波面の位相が揃う「コヒーレンス」を維持していることを意味しています。また、原子力機構では、プラズマを生成するために赤外線の高強度レーザーを利用することで、今回、X線の蜃気楼生成の原因となった密度の膨らみ(プラズマ中の凹レンズ効果を持つ部分)の発生時刻やその位置の制御にも、ある程度成功しており、このことは、「プラズマによるX線光学素子」が十分な性能を持つ光学素子として実用化が期待できることを示しています。この光学素子は、原理的にどの波長のX線にも適用可能で、しかも高強度のX線にも耐えることができるので、X線装置の設計をする際の光学設計の自由度が拡がります。このX線光学素子の実用化が進めば、X線自由電子レーザーなどの高強度X線用の高耐力レンズや鏡として、また、非破壊検査用のX線透過装置などの既存のX線利用装置の高出力化・高効率化などにつながる技術として期待できます。


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