1.背景

電流を流さない多くの磁性体では、結晶中のイオンのまわりの電子が、回転(スピン)することによって極めて小さな磁石を形成します。それら多数のスピンは通常、低温で互いに同じ向きにそろった強磁性、または、反対方向に向いて打ち消し合う反強磁性など、一定方向にそろって磁気秩序(対称性の自発的な破れ)を示すようになります。しかし、スピンアイスと呼ばれる物質Dy2Ti2O7やHo2Ti2O7の場合のように、以下に示すような幾何学的フラストレーションが存在すると、磁気秩序の形成が抑制されることがあります。

スピンアイスでは、2つの正四面体が1つの頂点を共有してつながったパイロクロア格子構造をとり、各格子点に電子スピンが局在しています(図1左)。そして、各スピンの取り得る向きは、周囲のイオンや電子との相互作用のために、パイロクロア格子構造の構成単位である正四面体の中心向き(in)か、外向き(out)かのいずれかに強く束縛されています。隣り合う2つのスピンは、相互作用のために極低温でinとoutの対(図1右、黒線)を作ろうとします。ところが、正四面体上のすべての隣り合うスピン対でこれを満たすことは不可能で、フラストレーションが生じます。妥協策として、各正四面体上の4スピンのうち、2つが内向き、残り2つが外向きの、アイス則と呼ばれる最も安定した2-in, 2-out構造を取ろうとします(図1右の上段)。しかし、アイス則を結晶全体で満たすスピン構造には膨大な場合の数があるため、極低温でも磁気秩序を形成することが困難になります。このアイス則状態から1つの電子スピンの向きを反転すると、不安定な3-in, 1-out構造と1-in, 3-out構造の正四面体の対が生じ、それぞれ中心にN極とS極が発生します(図1右の中段)。このN極とS極は、電子スピンから分化した磁化の単極子として認識されてきましたが、スピンアイスでは不安定にしか存在できず、結局消滅してしまいます。

一方、2010〜2012年、理研の小野田専任研究員らは、Pr2Zr2O7やYb2Ti2O7などの磁性体に対して、単極子が量子力学に従って運動する「量子スピンアイス」と呼ばれる理論模型を導きました。この模型では、単極子がボーズ-アインシュタイン凝縮を起こすことによって、各スピンの向きがinやoutの向きから傾いた磁気秩序を形成する場合があることを示しました。研究グループは、この量子スピンアイスとしての性質を示す磁性体Yb2Ti2O7を冷却し、単極子が分化しただけの不安定な状態から、凝縮して安定に分布する状態へ転移する様子の観測に挑みました。

2.研究手法と成果

研究グループは、Yb2Ti2O7の良質な単結晶に、一定方向にスピンの向きをそろえた中性子ビームを入射させ、その散乱の様子から結晶内の電子スピンの状態を詳細に解析しました。まず、絶対温度0.3度で、中性子が散乱された強度を指標として、電子スピン間の相関を測定しました(図2左)。その結果は、量子スピンアイス模型に基づいた理論計算(図2中)と極めて良く一致しました。特に、通常の磁性体が転移温度近傍で示す同心円状の構造(図2右)とは大きく異なり、散乱強度が一定方向に強く依存した尾根のような構造を示しました。これらの結果は、Yb2Ti2O7の転移温度のやや高温側では、N極とS極が分化したように振る舞っていることを示唆しています。また、絶対温度0.21 度以下では、磁気秩序の形成を示す散乱を観測し、さらに、入射した中性子のスピンがランダムになったことから、Yb2Ti2O7が強磁性体になったことを確認しました。転移温度より十分に低温の絶対温度0.03度になると、秩序をもった各電子スピンの向きは、スピンアイスで許される電子スピンの向き(inとout)から大きく傾いていました。この絶対温度0.03度でのスピンの秩序に関する実験結果は、量子スピンアイス模型における絶対零度での理論計算結果と一致することを確認しました。以上の結果は、電荷を帯びた粒子に働く力(クーロン力)と同様な力が単極子に作用する「磁気クーロン液体」から、量子力学に従って単極子がボーズ-アインシュタイン凝縮した強磁性相(ヒッグス相)に相転移したことを意味します(図3)。

3.今後の期待

金属の電気抵抗がゼロになる超伝導現象は応用にも用いられ、転移温度を室温付近まで上昇させることが期待されています。今回見いだした量子スピンアイスにおける強磁性は、磁化の制御をデバイスに利用するスピントロニクスにおいて、磁荷やスピン流を損失なく流すことが可能な物質状態として期待されます。今後、より室温に近い温度でヒッグス転移を示す量子スピンアイス物質が開発されると、革新的な産業技術の展開に貢献します。

原論文情報:

Lieh-Jeng Chang, Shigeki Onoda, Yixi Su, Ying-Jer Kao, Ku-Ding Tsuei, Yukio Yasui, Kazuhisa Kakurai, Martin Richard Lees.“Higgs transition from a magnetic Coulomb liquid to a ferromagnet in Yb2Ti2O7”. Nature Comunications, 3:992 (2012)
,doi:10.1038/ncomms1989


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