近年、微細加工技術の進展によってスピンエレクトロニクス(スピントロニクス注6))の分野が急速に発展を遂げています。従来の半導体エレクトロニクスでは電子の電荷の部分を利用するのに対して、スピントロニクスでは電荷とスピンの双方を対象としており,その中心となる材料は強い磁気をもつ強磁性体です.一方、超伝導体は電気抵抗がゼロの材料ですが、磁気に弱いという性質を持つと考えられてきたため、超伝導体に磁気(スピン)を注入するスピントロニクスデバイスはこれまで開発されてきませんでした。
1999年、本研究グループの前川センター長と高橋助教は、超伝導を直接弱めないように強磁性体と超伝導体の間に薄い絶縁体膜を挿入した二重障壁のトンネル接合デバイス(図1)では、強磁性電極の磁化の向きが反平行のとき、電圧をかけて強磁性体から超伝導体へスピンを注入できること、またスピンは超伝導体中に長時間滞在して大きな抵抗変化(トンネル磁気抵抗効果)を引き起こすことを理論的に予言しました。これらの理論的予測を検証する実験が国内外で行われましたが、トンネル障壁として酸化アルミニウム注4)を用いたため障壁内の原子の乱れや膜厚の不均一性が問題となり、明確な実験的検証が得られていませんでした。
今回の研究では、これらの問題を解決するために、超伝導体としてアルミニウム(Al)、強磁性電極としてコバルト鉄(CoFe)、トンネル障壁として酸化マグネシウム(MgO)を用いて、高品質の2重トンネル接合デバイス(CoFe/MgO/Al/ MgO/CoFe)を開発しました(図1)。それぞれの膜の厚さは、CoFe(3.5nm)、Al(4.5nm)、MgO(3〜4nm)、接合面積は700μm×700μm注7)です。Alは絶対温度2.3K以下で超伝導になります。このデバイスの電気的特性を示すトンネルコンダクタンス(電気抵抗の逆数)とそれから得られるトンネル磁気抵抗の変化率(TMR)を精密に測定したところ(図2a、b)、低温では理論的に予測されていたトンネル磁気抵抗の大きな振動的な振る舞いが明瞭に観測されました。これは、磁化が反平行のとき、注入されたスピンが長時間にわたって安定に保たれていることを示しています。従来、超伝導と磁気(スピン)は相容れない、と考えられてきましたが、超伝導状態に注入されたスピンは安定に存在し続けられることを明らかにしたもので、従来の考えを修正し、スピンの新しい応用の可能性を示すものです。
今回の高品質の二重接合トンネルデバイスの開発により、超伝導状態にスピンを注入することに初めて成功しました。また、この磁気状態は常伝導状態に比べて100万倍も安定であることも明らかになりました。この発見は、超伝導体中でのスピンが量子コンピュータの必須要素である量子ビット注8)の有力な候補になることを示しています。本研究は、量子計算デバイスに用いる新しいタイプの量子ビットや量子情報技術の開発につながるものと期待されます。
本研究における実験は、IBMアルマデン研究所においてStuart Parkin博士、Hyunsoo Yang博士とSee-Hun Yang博士によって行われたものです。実験結果の説明と理論的検討は、高橋三郎助教、前川禎通センター長およびIBMの研究チームとの共同で行われました。
本研究の一部は、文部科学省科学研究費補助金(基盤研究A No.19204035、特定領域研究 No.19048009)、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST「次世代エレクトロニクスデバイスの創出に資する革新材料・プロセス研究」、次世代ナノ統合シミュレーションソフトウェアの研究開発の助成を受けて行われました。Parkin博士が率いるIBMの研究チームはDMEA (Defense Microelectronics Activity)からスピントロニクスデバイスの研究開発の支援を受けました。
“Extremely long quasiparticle spinlifetimes in superconducting aluminum using MgO tunnel spin injectors”
(MgOトンネルスピン注入素子を用いた超伝導アルミニウムにおける極度に長い準粒子スピン寿命)
Hyunsoo Yang, See-Hun Yang, Saburo Takahashi, Sadamichi Maekawa and Stuart S. P. Parkin