補足説明資料

【背景】

窒素はタンパク質や核酸の主成分であり、生物にとって最も重要で必要量の多い栄養元素の一つです。窒素ガスは空気の成分の約80%を占めていますが、一部の微生物を除きほとんどの生物はそれを栄養として利用することができません。通常、植物は土壌に低濃度で含まれるアンモニアや硝酸などの窒素化合物を吸収し、動物はその植物を食べることで窒素栄養を獲得します。したがって、土壌に窒素化合物をいかに補充するかが食糧生産の重要な鍵となります。

1913年、空気中の窒素を原料として工業的にアンモニアを生産する「ハーバー・ボッシュ法」が開発されました。この「工業的窒素固定」と呼ばれるプロセスにより生産された化学窒素肥料は、世界の食糧の増産を可能にし、増加する20世紀の人口を養う原動力となりました。しかし今、将来にわたって持続的な食糧生産を目指すためには、化学窒素肥料を無駄なく効果的に使うことが重要だと考えられています。その理由として、工業的窒素固定のプロセスには天然ガスなどの大量の化石エネルギーが必要であること、化学窒素肥料の過剰または不適正な施用によって河川や地下水の汚染が問題となっていること、近年世界的に肥料価格が高騰していることなどが挙げられます。

一方、「根粒菌」などの微生物が行う「生物的窒素固定」は、陸上全体で工業的窒素固定の2倍近くの規模があると見積もられ、その中でも根粒菌とマメ科などの植物が協力して行う「共生的窒素固定」(図1)は効率が良く、またマメ科の作物が実際に世界的に栽培されていることから、最も農業的重要性が高いものと考えられています。この共生関係は、植物が光合成によって作った大切な栄養を根粒菌に与え、かわりに根粒菌は窒素化合物を植物に渡すという、両者の駆け引きのバランスの上に立っていることがわかっています。例えば、ダイズの収穫量を増加させようと化学窒素肥料をまくと、そのことが根粒の窒素固定の活性を低下させてしまい、結果としてむしろ収穫量が減ってしまうことがあります。我が国でダイズは水田転換作物として奨励されていますが、自給率は4%しかありません。我が国の畑面積あたりの収穫量は世界と比べて低く(10アールあたりでアメリカが270 kg、日本は170 kg)、その原因の一つとして、根粒の窒素固定を活かしきれていないことが指摘されています。すなわち、共生的窒素固定を最大限に効率よく活かせる栽培条件(肥料の与え方など)を知ることが、現在の食糧生産の重要な課題であるといえます。

図1.共生的窒素固定の働き

【研究に用いた植物ポジトロンイメージング技術】

従来、根粒における窒素固定のメカニズムや、固定された窒素栄養の地上部への輸送についての研究には、主に安定同位体5)の窒素15(15N)が用いられてきました。しかし、安定同位体の計測には植物体を分解する必要があるため、光条件や土壌成分など様々な環境の変化に対して窒素固定がどのような生理的応答を示すのかを自然な状態のままで観察することは不可能でした。

原子力機構では、高崎量子応用研究所のイオンビーム照射研究施設TIARAのイオンビームを利用して、生きた植物体の中の物質の動きを、植物体を分解することなく高感度かつリアルタイムに観測する植物ポジトロンイメージング技術(図2)の開発を進めてきました。これまでに、作物中の糖の動きや環境汚染物質であるカドミウムの動きなどの自然な状態のままでの観測に成功しています。原子力機構と新潟大学は、この技術を利用すれば、植物を傷つけることなく窒素固定の様子を画像化できると考え、2007年から共同研究を開始しました。

図2.植物ポジトロンイメージング技術の概要

【研究の内容と結果】

窒素の放射性同位体である窒素13(13N)はポジトロン放出核種6)でもあるため、ポジトロンイメージング技術に適用できます。13N標識窒素ガスは、イオンビームの一種である陽子ビームを二酸化炭素ガスに照射して生成させることができます。しかし、13Nの半減期はわずか10分(9.97分)しかないため、13Nで標識した窒素ガスの製造から植物体への投与までは迅速に行わなければなりませんし、微弱な共生的窒素固定の様子を画像化するためには、窒素ガス以外に13Nで標識された物質を一切含まないよう、短時間内に可能な限り高度な精製を行う必要がありました。私達は、照射試料から化学的に二酸化炭素を取り除き、さらにこれをガスクロマトグラフィーによって分析し、含まれている窒素ガスのピーク部分だけを分取するという方法を採用し、所要時間を15分程度に抑えつつ信頼性の高い精製を行うことに成功しました(図3)。

図3.13N標識窒素ガスの製造

精製した13N標識窒素ガスを酸素などと混ぜ一定の組成とし、根粒のついたダイズの根に10分間だけ投与し、ポジトロンイメージング装置で撮像を行いました。その結果、根粒の部分のみに明瞭なシグナルのある画像を得ることに成功しました(図4)。また、画像データから窒素固定速度を定量することができ、図4の例では、1時間当たり約7マイクログラムの窒素が固定されていることがわかりました。

図4.ダイズの根粒の窒素固定の様子

本技術を利用すれば、同一のダイズの個体に対して繰り返し実験を行い、根の一つ一つの根粒が葉から光合成産物をどのように受け取り、土壌中の窒素肥料などの影響をどのように受けながら窒素固定を行うのかを探ることができます。現在、我が国のダイズの自給率はわずか4%程度ですが、適切な方法で窒素肥料を与えれば収穫量を2倍にすることも可能だと考えられており、本研究はそうした施肥技術の開発への貢献などが期待できます。

なお、この研究の一部は、科学研究費補助金(19780196)の助成により行いました。


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