エネルギー需要の増大や地球温暖化問題を背景に、中国、インド、ロシア等での原子力発電所の建設、米国での原子力利用の再評価など、世界的に原子力施設の増加が予想されています。これに伴い、国外原子力施設での事故により、放射性物質が国境を越えて自国に飛来する潜在的可能性に備える必要があります。
原子力事故発生時の公衆の安全確保を目的として、わが国では、米国スリーマイル島原子炉事故以降、国内の原子力緊急時に対応するための大気拡散予測システムSPEEDI1)が旧日本原子力研究所(現在、日本原子力研究開発機構)により開発され、文部科学省により運用されています。同機構では、チェルノブイリ事故を契機に、さらに世界の原子力事故に対応出来るように世界版SPEEDI(WSPEEDI)の開発や検証を行ってきました。WSPEEDIの第1版(WSPEEDI-I)2)は1997年に開発を終了しましたが、その後のWSPEEDI-Iの使用経験に基づきさらに改良を重ねた結果、飛躍的に機能を向上した第2版(WSPEEDI-II)が完成しました。
WSPEEDI-IIは、以下の機能を有し、実用に供する段階となりました。
WSPEEDI-I | WSPEEDI-II | |
大気拡散予測機能 | 比較的粗い気象予報データに基づき、対象地域の風速場の再計算を行い、数1000km規模の大気拡散を予測。 | 大気力学モデルによる対象地域の気象場計算の導入により、事故施設周辺から半地球規模まで詳細な大気拡散予測が可能。 |
放出源推定機能 | なし。 | 新規に開発。 |
国際情報交換機能 | 米国ローレンス・リバモア国立研究所の大気放出勧告センター(NARAC)と、予測結果を保存したWebサイトを相互アクセス。 | 同一Webサイト上で、予測結果の共通地図上での表示・比較など機能を充実。また、欧州のシステムとの情報交換も可能。 |
WSPEEDI-IIのシステム操作上の特徴としては、Webベースの操作画面を採用することにより、インターネットに接続されたPCさえあれば、遠隔地からでもWebブラウザに表示されるメニューに従って操作可能であることが挙げられます。これにより、緊急時対応において、大規模な計算資源を持たない現地対策本部においても、本システムを直接操作し、予測情報を取得することができます。取得可能な情報は、気流、降水などの気象場分布、対策策定に必要な大気中濃度分布、地表沈着量分布および被ばく線量分布などです。これらは、2次元および3次元の静止画や動画像により提供されます(下図)。
チェルノブイリ事故以降、国際的なモデル比較研究として、国際原子力機関(IAEA)、世界気象機関(WMO)、欧州委員会(EC)の共催によりATMES及びその後継プロジェクトのETEXが実施されています。ATMESではチェルノブイリ事故時の欧州での放射性物質の大気拡散再現計算による、世界の長距離大気拡散モデルの性能評価を行っています。また、1994年に行われたETEXでは、フランス西部レンヌからの人工トレーサガスの12時間放出と、欧州約2,000km四方内に配置された168地点での濃度測定が実施され、これと並行して、参加機関による長距離大気拡散モデルを用いた実時間濃度予測が行われています。WSPEEDI-Iの大気拡散モデルの精度検証は、それらプロジェクトに参加して行っており、その予測精度は、参加機関の中でも上位であることわかっています。今般、同様のデータでWSPEEDI-IIの性能を再評価した結果、WSPEEDI-Iを上回る予測性能を示したことから、その予測性能は世界でもトップレベルであると考えられます。
下の図は、WSPEEDI-IIが予測した、チェルノブイリ事故時の欧州(左図)及び発電所周辺1,700 km四方(右図)でのCs-137の地表面への沈着量分布です。事故後の測定によれば、放出点付近で降雨により蝶型の分布が現れましたが、ATMESでは、これを再現できたシステムはありませんでした。WSPEEDI-IIは、降雨による沈着の予測性能が向上したことで、右図のように、この分布の再現に成功しています。
WSPEEDI-IIはソフトウエアシステムとして完成しました。今後、本格的な運用を可能にするためには、放出源推定を迅速に行うための並列計算が可能な専用計算サーバーの設置や、国外からの放射性物質の飛来をいち早く察知するための国内モニタリングポストデータの自動収集ネットワークの整備、24時間運用のためのシステムの多重化等、ハードウエア面での充実や、運用体制の検討が必要になります。