補足説明
 
1.研究の背景
 JRR-3で核分裂により発生した中性子は、低エネルギーの中性子(冷中性子)に減速され、機構内外の研究者が行う実験(高分子の配列解明や界面の構造解析など)に提供されている。
 近年、中性子ビーム実験の需要が増加しており、全ての中性子ビーム使用希望者に対する十分な実験時間の供給が困難になっている。
 そのため、中性子ビーム取出し口の増加と新規実験装置の設置により、より多くの実験希望者への中性子ビーム利用の機会増大が可能となるよう、冷中性子ビーム分岐装置の開発及び実用化を実施した。


2.研究内容と意義
2.1.冷中性子ビーム分岐装置の原理
 中性子は電気的に中性であり、運動を電場で制御できない。しかし、中性子は光と同様に鏡(ミラー)で反射する性質があることから、内面をミラーにした長方形の導管を用いて輸送を行い、多くの実験装置に供給している。
 ミラーへの入射により1回で曲げることができる角度は非常に小さく(通常1度程度)、わずか1度程度の反射を繰り返して冷中性子ビームを必要な角度まで曲げることになる。
 JRR-3で通常用いる冷中性子ビーム(特性波長6)4Å)を、一般的なニッケル単層膜ミラー導管を使用してビーム幅0.2mmで20度曲げようとすると、導管の長さは約3m必要になる。一方、ニッケル単層膜ミラーの3倍の中性子を運ぶことができる性能を持つNi/Ti多層膜スーパーミラー7)を用いて20度曲げる場合、導管の長さは約0.3mと1/10にすることができる。

2.2.冷中性子ビーム分岐装置の設計
 図1に示すように、中性子導管を縦方向に分割することで冷中性子ビーム取り出し口の増設を考えた。幅0.2mmの中性子導管の積み重ねを分岐用の中性子導管集合体にすると、現状と同じ幅(ビーム幅20mm)の冷中性子ビームを提供することが出来る。
 幅0.2mmの中性子導管の製作には、両面ミラー間に0.2mm厚の薄片を挟むことで得られる間隙を利用した。(図2)。
 従来、この中性子導管集合体に使用した両面ミラーは、厚みが0.2mmのシリコン薄型基板で、反射率が80%のNi/Ti多層膜スーパーミラーであった。この中性子ミラーを一定の曲率半径8)で曲げることにより中性子ビームの湾曲が可能である。このようにして20度湾曲させた場合の冷中性子ビームの輸送効率を考慮すると、JRR-3での実験に十分な強度のビームの供給には、より高反射率(90%)の大型ミラーが不可欠であった。
 また、この中性子導管の集合体の20度湾曲には、長さ320mmが必要なため、従前の中性子ミラー(30mm×60mmと30mm×100mm) では、4つ直列に配置する必要があった。
 基板が大きいほど長さ方向で隣り合う基板の接続数が減る一方、基板同士のずれが小さくなる性質を考慮すると、中性子ミラーの基板は薄型(0.2mm)かつ大面積であることが不可欠であった。

2.3.冷中性子ビーム分岐装置実用化の技術開発
 近年の半導体需要の増加に伴い、大型シリコン基板が安価に製作されている。そのため、2〜3年前は困難だった巨大な8インチシリコン基板が入手可能となり、40mm×160mmのシリコン基板の製作が可能となった。
 大型シリコン基板(40mm×160mm)の中性子ミラーを使用することで、20度湾曲には中性子ミラーを2つ直列に配置すれば良く、接続数が3から1への減少により、基板同士のずれが大きく減少した。
 Ni/Ti多層膜スーパーミラーにおいて、多層膜の界面の粗さが大きくなると乱反射を生じ、反射率が著しく低下する。そこで、原子力機構は、膜の界面の粗さ防止のため密度が高く結晶粒の小さい膜を成膜できるスパッタリング成膜法9)を採用した。またこれに加えて、Ni成膜時に適量の炭素(C)を添付することでNiの結晶粒サイズを小型化する手法を採用した。これらの製造法により、約90%という世界最高レベルの反射率を有するNi/Ti多層膜スーパーミラーの開発に成功した。
 ところで、両面中性子ミラーの製作は、スパッタ装置10)の性能上の制限によりシリコン基板を片面ずつ成膜しなければならない。成膜の際、被成膜面と反対面がスパッタ10)により汚されるために両面ともに高い性能を持つミラーの製作は困難である。
 そこで、原子力機構は、被成膜面と反対面をマスクして成膜する方法を考案した。マスクを使用して成膜を行った結果、両面とも高い性能を持つ両面Ni/Ti多層膜スーパーミラーを安定的にかつ大量に製作することに成功した。
 これら技術開発により製作した両面中性子ミラーを湾曲させ、0.2mmの間隙を置いて50層を重ね合わせた中性子導管の集合体を製作することで、冷中性子ビームを約30cmという短い距離で20度まで曲げられる小型冷中性子ビーム分岐装置を実用化した。
 現在、JRR-3では、この小型冷中性子ビーム分岐装置を設置し、1本の中性子を0度、10度及び20度のJRR-3ビームホール内の限られた空間で同時に分岐して実験に用いている。


3.技術開発の成果
 JRR-3では、この小型中性子ビーム分岐装置を平成19年3月に設置し、1本の中性子ビームを0度、10度及び20度の3つに分岐して利用できるようにした。そして平成19年5月及び9月に実施した実験で設計どおりの性能を発揮したことを確認した。
 冷中性子ビーム取り出し口が1つから3つに増設され、JRR−3ビームホール内の限られた空間で同時に3台の実験装置を用いた実験が可能となり、近年の中性子ビーム実験の需要増加に対応できたと考えている。冷中性子分岐技術の実用化により、透過画像撮影が出来る装置や、元素分析のできる装置が常設することとなった。今後は「水の分布」の測定が重要な、植物(農業)の研究に使用が増えることが期待できる。また、非破壊の化学分析が出来ることから、食品に含まれる重金属等の元素分析に使用が増えることが期待できる。なお、冷中性子ビーム分岐装置の技術は、現在茨城県東海村に建設中のJ-PARCの中性子ビームライン等にも適応可能である。

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