補足説明資料

1.研究の背景
(1)フラーレンとは
 フラーレン(C60)は、1985年にKroto、Smalley、Curl(1996年にノーベル化学賞を受賞)らによって発見された炭素原子のみから成る集合体(クラスター)分子で、60個の炭素原子が、サッカーボール状に結合した形をしています(図3参照)。C60は、単一の構造を有する半導性分子であること、異なる原子・分子による化学的な修飾が可能なこと、力学的に強固で熱的や化学的にも安定であることなどの特徴から、物質や材料の新しい構成要素として医療からエレクトロニクスに至る多分野で注目されています。フラーレン基材料の電子的な機能については、アルカリ金属等の添加による超伝導性の発現や有機太陽電池への応用などが注目されてきました。

(2)スピントロニクス分野とは
 電子の電荷を利用して情報の伝達や処理を行う従来のエレクトロニクスは、デバイスの微細化による機能向上が限界に近づきつつあります。これに対するブレークスルーとして、従来のエレクトロニクスでは利用されることの無かった電子のスピンの状態を積極的に活用して新しい機能性の素子や更に高集積なデバイスを実現することが注目されており、そのような新しい分野をスピントロニクス分野と呼びます。

(3)トンネル磁気抵抗(TMR)効果とは
 絶縁性の領域(絶縁層)で隔てられた強磁性金属/絶縁層/強磁性金属の構造について、スピン分極した電子のトンネル効果による電気伝導度が、磁場による強磁性金属の磁化方向の変化に応じて変化する現象をトンネル磁気抵抗効果と呼びます。磁気ランダムアクセスメモ(MRAM)やスピントランジスタ等のスピントロニクスデバイスの動作原理として注目されています。

(4)フラーレンのスピントロニクス分野への適用の試み
 最近の理論的な研究で、フラーレンのようなナノ炭素物質に遷移金属が化合した系について、巨大なトンネル磁気抵抗(TMR)効果を生じる完全スピン分極などの著しい電子スピンの分極状態が生じることが提唱されています。しかし、ナノ炭素物質-遷移金属系のTMR材料としての有用性を示す実験結果は殆ど報告されていませんでした。


2.研究の経緯
 スピントロニクスデバイスの主要な動作原理として、トンネル磁気抵抗(TMR)効果が注目されています。TMR効果とは、絶縁層で隔てられた強磁性金属/絶縁層/強磁性金属の構造について、界面間の電子のトンネル効果による電気伝導度が、磁場による強磁性金属の相対的な磁化方向の変化に応じて変化する現象です。TMR材料を磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)やスピントランジスタに応用するための条件として、磁場による電気抵抗の変化率(磁気抵抗)の向上が大きな課題となっています。

 TMR材料として、従来は、アルミ酸化物等を絶縁層とする金属-酸化物系の積層薄膜やナノグラニュラー薄膜について研究が行われてきましたが、代表的なCoナノ粒子/アルミ酸化物ナノグラニュラー薄膜の磁気抵抗は20%以下に留まっていました。最近、産業技術総合研究所の湯浅らは、絶縁層に単結晶の酸化マグネシウムを用いた積層薄膜について200%以上(本成果の定義では約70%)の磁気抵抗の発現を報告し、絶縁層内でのスピン散乱の低減が磁気抵抗の増大に寄与することを示しました。一方、トンネル磁気抵抗の大小は、原理的に界面でのスピン分極率(フェルミレベル近傍のアップ/ダウンスピン状態密度の差)を反映することから、より大きなスピン分極率を有する物質系を探索して、巨大な磁気抵抗効果を実現しようとする理論的・実験的研究が世界的に行われています。

 原子力機構先端基礎研究センターの境誠司研究員らは、これまでに、フラーレン(C60)と遷移金属を超高真空中で同時/交互蒸着して両者を分子・原子レベルで混合することでC60分子と遷移金属原子がポリマー状に結合した錯体化合物が自己組織的に生成すること、さらに、混合時の組成を調整することで、C60-遷移金属化合物中に数nm径の遷移金属ナノ粒子が分散した状態が得られることを発見しました。今回、それらの知見に基づいて作成したC60-Co化合物とCoナノ粒子からなるナノグラニュラー薄膜(以下、C60-Co薄膜)について、東北大金研・磁性材料学研究部門と共同で磁気抵抗効果の評価を行い、特有な電圧依存性を示す巨大TMR効果が生じることを明らかにしました。


3.研究の内容
 銀電極(厚さ70nm,ギャップ幅250μm)を蒸着したMgO(001)基板上に、C60とCoを交互に数分子/原子層ずつ繰り返して蒸着を行い、厚さが90nmのC60-Co混合体の薄膜を作成しました(図2参照)。薄膜表面をSiO保護膜で覆った後、大気中に取り出して各測定に用いました。磁気的特性、電気伝導性とラマンスペクトル等の解析から同薄膜がC60-Co化合物(組成C60Co4)中にCoナノ粒子(平均粒径3nm)が平均3nmの間隔で分散した状態(ナノグラニュラー状態)であることを同定しました。電気伝導性の評価は、予め基板上に蒸着した銀電極による二端子法を用いて行い、磁気抵抗の測定は印加磁場0-10kOeの範囲で行いました。
実験結果 (図1参照)

 C60-Co薄膜は、温度が約10K以下で、印加電圧が低い領域では、電圧に殆ど依存しない10-30%の磁気抵抗(10kOe印加時)を示しました。閾値以上の高電圧領域で、磁気抵抗は電圧の増大と共に大きく増大して最大で50-80%(10kOe印加時)に達しました。(但し、10kOe以下で磁気抵抗曲線(図1挿入図)は飽和しておらず、磁気抵抗の飽和値はさらに大きいことが予想されます。)高電圧領域における磁気抵抗の大きさは、Coナノ粒子内の伝導電子のスピン分極率から期待される値(約15%)や、更には、グラニュラー状態でのTMR効果の理論モデルから導かれる完全スピン分極状態での磁気抵抗(50%)を越えています。これは、ナノグラニュラー薄膜に期待される高次トンネル過程による磁気抵抗の増長効果を考慮しても非常に大きな値であり、絶縁層であるC60-Co化合物とCoナノ粒子の界面領域で著しいスピン分極が生じている可能性が推察されます。


4.成果の意義と波及効果
 今回観測されたC60-Co薄膜の磁気抵抗の大きさは、他材料についてこれまでに報告されたTMR効果の中でも最高レベルのものです。これまで電子的・光学的機能について研究が行われてきたフラーレン基材料が、電子スピンの制御や識別にも有用であることが明らかになったことで、今後は、MRAMやスピントランジスタへの応用や更には光学的機能等を融合した新しいスピントロニクスデバイスの実現に繋がることが期待されます。


5.今後の予定
 現時点で、巨大なTMR効果は低温でのみ観測されますが、今後、本効果のメカニズムを追究して、磁気抵抗効果の更なる巨大化とより高温度での磁気抵抗の増大を図ります。
以 上

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