【研究開発の背景と目的】

希土類元素、とりわけランタノイド注2は、その特異な電子配置のため特有の物理的性質を示すことが知られており、磁石、蛍光体、二次電池、光学ガラスといった高機能工業製品の材料として利用されています。又、近年では、次世代クリーンエネルギー候補の一つである水素エネルギーの開発に必要不可欠な水素貯蔵材料の構成元素としても広く利用されています。

本研究で対象としたセリウム(Ce)は希土類元素の一つであり、希土類元素の中で唯一、溶液中において三価(Ce(III))と四価(Ce(IV))の二つの酸化状態を安定的に取る元素として知られています。水溶液中におけるCe(IV)→Ce(III)還元反応に関する還元電位は約1.6 - 1.7 Vと非常に大きく、このため、Ce(IV)の水溶液は強力な酸化試薬として、有機合成を始めとした様々な分野において必要不可欠なものとなっています。又、近年では、水分子から水素・酸素ガスを生成する触媒反応の研究において、金属触媒を活性化させるための強力な酸化剤としてもCe(IV)水溶液は多用されています。このように、化学試薬として非常に有益なCe(IV)水溶液ですが、Ce(IV)がどのような化学状態で水溶液中に存在しているかについての知見はこれまで殆ど無く、従って、Ce(IV)水溶液が関係する酸化・還元反応における反応機構については多くが未解明のままでした。

これまでに研究グループは、大型放射光施設SPring-8を始めとした放射光施設を用いたX線分光法を駆使して、希土類元素を始めとした金属イオンが各種溶液中で形成する溶存錯体の構造を解明してきました。これらの経験を基に、本研究では、大型放射光施設SPring-8での放射光X線分光実験と密度汎関数法に基づく計算とを組み合わせることにより、これまで未知であったCe(IV)の水溶液中での溶存錯体の化学構造を調べ、その化学試薬としての特異な活性の起源を検討しました。

【研究の手法】

本研究では、白金電極を用いてCe(IV)の過塩素酸(HClO4)水溶液を電気化学的に調製しました。過塩素酸イオン(ClO4-)は金属イオンに対する配位能力が非常に弱いことが知られており、従って、過塩素酸水溶液中に溶存している金属イオンは、純粋な水和錯体と考えられます。

調製された過塩素酸水溶液中のCe(IV)の溶存錯体構造を調べる方法として、本研究では、放射光X線を利用したX線吸収分光法を適用しました。当該分光法において、可能な限り良質なデータを取得するためには、高輝度且つ高エネルギーのX線を利用する必要があります。そこで本研究では、大型放射光施設SPring-8に原子力機構が所有している高輝度・高エネルギービームラインBL11XUにおいて測定を実施しました。

また、X線吸収分光法から得られる化学構造に関する情報をより信頼性の高いものとするため、本研究では密度汎関数(DFT)法を用いた量子化学計算を導入し、Ce(IV)が水溶液中で形成し得る溶存錯体の三次元構造をシミュレーションし、X線吸収分光法から得られた情報と比較検討しました。

【得られた成果】

過塩素酸水溶液中のCe(IV)について得られたX線吸収分光データを詳細に解析し、そこから得られた動径構造関数注8を図1に示します。

図1:Ce K殻における放射光X線吸収分光により得られたCe(IV)の過塩素酸溶液(2 mol/L-HClO4)中における動径構造関数(黒線データ)及び密度汎関数(DFT)法により最適化されたCe(IV)の二核・三核錯体の動径構造関数のシミュレーション結果

最上部の黒色データが過塩素酸水溶液中のCe(IV)のものです。横軸 = 1.8Å 付近に水和水の酸素等に由来する大きなピークが確認出来ます(ピークA及びB)。これらのピークに加え、さらに横軸 = 3.8Å 付近に明確なピークが確認出来ます(ピークC)。このピークは、複数のセリウム原子が近接して配置されていることを意味しており、従って、過塩素酸水溶液中においてCe(IV)は単核では無く、複核錯体を形成していることを示唆しています。Ce(IV)が形成している複核錯体の構造をより詳細に解明するため、Ce(IV)が水溶液中で形成し得る複核錯体の構造を、DFT法を用いて計算しました。DFT法から得られた二核・三核錯体の化学構造を図2に示します。

図2:密度汎関数(DFT)法により水溶液中で最適化されたCe(IV)の二核・三核錯体の化学構造

計算の結果、二核錯体の構造としては、オキソ基又は水酸基による架橋構造を持つものが複数考えられ、一方、三核錯体としては、複数のオキソ基による架橋構造を持つ構造が一つ得られました。このようにDFT法によって得られた二核・三核錯体の動径構造関数をシミュレーションし、その結果を過塩素酸水溶液中のCe(IV)の動径構造関数と比較しました(図1)。その結果、オキソ基一つによる架橋構造を有する二核錯体構造(図1、2中の“Dimer3”)が、過塩素酸水溶液中のCe(IV)の動径構造関数を最も良く再現する事がわかりました。又、水酸基二つによる架橋構造を有する二核錯体(図1、2中の“Dimer2”)も、Ce(IV)の実験データを部分的に再現し得ることもわかりました。

以上の結果から、Ce(IV)は過塩素酸水溶液中において、主にオキソ基により架橋された二核錯体として溶存しており、又、存在割合は少ないですが、一部は水酸基二つによる架橋構造を有する二核錯体としても存在し得ることが示されました。架橋構造部位であるオキソ基/水酸基は化学的に活性であることが知られており、従って、当該架橋構造部位がCe(IV)水溶液の化学活性を生み出し得る要因の一つとして考えられます。

これまで、Ce(IV)の溶存錯体は単核と考えられていましたが、本研究によってCe(IV)の水溶液中における主溶存錯体は二核錯体であることが世界で初めて示されました。

【今後の予定】

本研究によってCe(IV)は水溶液中において二核錯体として安定的に溶存することが示され、又、オキソ基/水酸基による架橋構造部位は化学的に活性であることも示唆されました。この事は、前述の金属触媒による水分子の分解反応を始めとした、Ce(IV)水溶液が関係する様々な化学反応の反応機構を理解する上での根源的な知見となります。今後は、時間分解測定注9を始めとした、より高度なX線分光法を用いてCe(IV)溶存錯体が関係する化学反応の素過程を詳細に解明する事により、Ce(IV)水溶液の化学試薬としての機能を理解し、さらにはCe(IV)試薬のより効率的な利用や新たな利用法を開発していくことが期待されます。


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