補足説明

背景

産業技術が高度化・精密化した現代のモノ作りには、固体材料の宿命とも言える熱膨張の抑制・制御が不可欠です。例えば数十ナノ・メートルという高精度が要求される半導体デバイス製造において熱膨張は致命傷です。このため、熱膨張制御材料として通常の物質とは逆に緩やかな体積収縮を示す「負膨張物質」が注目されています。しかし、この物質にはこれまで説明できなかった謎があるため、まずその発現機構の解明が必要とされてきました。

インバー合金の100年にわたる謎:「緩やかな体積変化を伴う熱膨張」

インバー合金は、いわゆるインバー効果により、室温付近で熱膨張が極めて小さいという特徴を持っています。1963年にワイスが提案した「2γモデル」理論では、この発現機構として「体積が大きく磁気モーメント5)の大きな相」と「体積が小さく磁気モーメントの小さな相」が同じ物質中に共存し、その割合によって体積変化が決まっていると考えられています。しかしこの理論では不連続な体積変化になってしまうことから、連続した緩やかな体積変化には、何らかの他の要因が必要になります。このインバー効果の謎について、1999年にバンシルフガードらが磁気構造において磁気モーメントの方向が傾く可能性を指摘したものの、これを裏付ける証拠が見つからず、温度変化で緩やかに体積変化する現象は1897年の発見以来謎のままでした。

マンガン化合物(Mn3Cu1-xGexN)

そこで研究グループは、近年発見された世界最大の負の熱膨張を示すマンガン化合物(Mn3Cu1-xGexN)に着目しました。この化合物は元素(ゲルマニウム)濃度の増加により、同じ構造のまま「不連続な負の熱膨張」を示す状態から「緩やかな負の熱膨張」を示す状態へと変化します。この「緩やかな負の熱膨張」を示す原因がインバー効果の発現機構と同じものと考え、負の熱膨張状態が移り変わる原因の解明に取り組みました。今回研究に用いたマンガン化合物は、室温加熱で従来の負の熱膨張材料の数倍に達する大きな負の熱膨張を示す物質であり、正の熱膨張物質との併用で熱膨張を制御するなど工業的にも付加価値の高い物質です。

研究の内容

磁性の状態変化に伴う負の熱膨張に対して、従来の研究では「不連続に負の熱膨張を示す物質」と「連続的に緩やかな負の熱膨張を示す物質」とでどこが違うのか原因がわかっていませんでした。

この謎に対し研究グループは、マンガン化合物(Mn3Cu1-xGexN)を用いてパルス中性子回折実験と核磁気共鳴実験を行いました。結晶構造は立方晶で違いのないこの2種類の物質を局所的な観点から調べた結果、緩やかな負の熱膨張を示す物質では、窒化マンガン(Mn6N)八面体の回転による比較的大きな格子歪みが存在することを世界で初めて発見しました。すなわち、この事実は、室温付近で実現した巨大な負の熱膨張の原因となる緩やかな負の熱膨張が、実は窒化マンガン八面体の回転が大きくなることによって格子がより歪むことにより生じていたことを証明するものです。

この格子歪みの発見で、100年来の難問解決の鍵が得られました。今後、他のインバー効果を示す材料で、緩やかな負の熱膨張と格子歪みとの系統的な関係を調べ、このメカニズムの詳細が明らかになれば、温度変化に伴う物質の伸縮を自由にコントロールすることができるようになるかもしれません。

図1. パルス中性子回折実験結果の結晶PDF解析法により得られたマンガン化合物内の原子間距離情報

図2. マンガン化合物(Mn3Cu1-xGexN)の構造

共同研究機関の役割について

理研がマンガン化合物(逆ペロブスカイト型マンガン窒化物:特許権は理研が保有、図2参照)の試料を原子力機構に提供し、原子力機構が米国にて中性子回折実験・データ解析を行いました。また核磁気共鳴実験は、原子力機構と東大と共同で行われ、実験結果について三機関で相互に議論を行いました。

成果の波及効果

今回の窒化マンガン(Mn6N)八面体の回転による格子歪みは、米国のパルス中性子源に設置された高性能の散乱装置を用いて発見されました。このような高性能パルス中性子源の活用が、想像も付かなかった結晶構造の歪みの発見を導くことから、今回のように長年未解決であった問題でも、解決の糸口が見つかる可能性があります。

本年12月より日本でも、茨城県東海村のJ-PARC物質・生命科学実験施設に設置される「材料構造解析装置(iMATERIA:茨城県)」で、また来年より「高強度汎用全散乱装置(NOVA:独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構)」で同様の実験が可能となることから、基礎から応用まで幅広い分野の研究が次々と進むとともに、今回の「格子歪み」の発見に続くインバー効果の難問解決に向けた研究が大きく進展し、シャルル・エドワール・ギヨームがノーベル賞を受賞した研究で残した謎により一層迫ることが期待されています。


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