「ふげん」開発の経緯

開発の経緯表

開発の方針と経緯

わが国が高速増殖炉(FBR)と並行して開発を進めることになった新型転換炉(ATR)の開発意義について、昭和41年、原子力委員会は、「核燃料の多様化が図れる。すなわち、プルトニウム利用が可能であり、特に天然ウランの供給で稼動できる。また核燃料の利用効率がよく、天然ウラン所要量およびウラン濃縮量が節減でき、FBRが実用化された場合には、FBRにプルトニウムを効率的に供給できる」と評価しました。その後、より多くのプルトニウムを混ぜたプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料で燃焼度を上げるほど燃料費が低減されるという状況変化に対応するため、プルトニウムの富化度を次第に増やしたMOX燃料を採用しました。

ATR原型炉「ふげん」は重水減速沸騰軽水冷却圧力管型炉と決定され、その発電方式は沸騰水型原子炉(BWR)とほぼ同じであり、その技術経験が生かせると考えられました。このため、実験炉を建設せず、ただちに原型炉の開発から始めることにより、早期に実用化しうることが想定されました。そこで「自主開発」という基本方針のもと、ATR特有の炉心性能や重要機器の健全性を確認する重水臨界実験装置、大型熱ループ、部品機器試験ループ、安全性実験装置など、大規模な試験装置を動燃(サイクル機構の前身)大洗工学センターに建設整備しました。これらの各試験装置で、原型炉「ふげん」とATR実証炉のためのデータ収集と解析がすすめられました。

しかしながら、平成7年夏、ATR実証炉計画が中止されたことから、原子力委員会は、平成10年2月6日、適切な過渡期間を設けて、「ふげん」の運転を停止することとし、その期間に開発成果の集大成を行うこと、ならびに廃止措置の技術開発およびそれに必要な研究開発を実施するという方針を決定しました。

プルトニウム利用政策への貢献

動燃(サイクル機構の前身)は、わが国の原子力政策の基本であるプルトニウム利用の推進のため、当初よりプルトニウム燃料の開発と、その供給源となる使用済燃料の再処理に取り組みました。

昭和52年3月に動燃東海事業所の再処理工場で実燃料を使ったホット試験に入る基盤が整った時、核不拡散のため再処理の商業化の延期を求める米国との間で、延べ40日を超える厳しい交渉が行われました。その結果、とにかく運転開始について合意に達し、同年9月22日、ホット試験が開始されました。これにより、わが国のプルトニウム利用の核燃料サイクル政策が実現可能となりました。

そして、昭和52年10月から約2年半にわたる国際核燃料サイクル評価(INFCE)会議で、プルトニウムの商業利用の是非が主要な議題として討議され、プルトニウムの民生利用を是認するという結論が出されました。プルトニウム利用に好適な「ふげん」の運転開始はこの結論を導く要因となりました。

世界最多のMOX燃料体装荷とATR燃料サイクルの実現

原型炉「ふげん」は昭和54年3月から本格運転に入りましたが、その初期炉心にはMOX燃料が全体の43%にあたる96体装荷され、平成2年にはMOX燃料が全炉心の72%を占めました。平成15年1月までに装荷されたMOX燃料体数は772体であり、実に、世界の熱中性子炉(プルサ-マル)に装荷された全MOX燃料体数の約1/5に当たるなど、「ふげん」は熱中性子炉の1基の発電炉として世界最高の装荷実績を上げました。

「ふげん」の使用済MOX燃料は昭和60年に初めて動燃(サイクル機構の前身)東海事業所の再処理工場で再処理され、プルトニウムが回収されました。このプルトニウムは再び動燃プルトニウム燃料第二開発室でMOX燃料に加工され、昭和63年に「ふげん」に再装荷されました。こうして、プルトニウムを利用した「核燃料サイクルの輪」が実現しました。

これより先の昭和57年には、動燃人形峠事業所のウラン転換施設およびウラン濃縮パイロット・プラントで生産された濃縮ウランを用いた燃料が「ふげん」に装荷されました。また、昭和59年には、軽水炉の使用済燃料を再処理して回収されたウランを母材として用いたMOX燃料が「ふげん」に装荷されました。こうして、濃縮ウランおよび回収ウランを利用した核燃料サイクルの輪が小規模ながら完結しました。

このように、動力炉と核燃料を包括する開発組織で、種々の燃料が燃やせるという独創的なATRの燃料サイクルが実現したことは、世界に類を見ないことであり、わが国のプルトニウム利用技術体系の確立に大きく寄与することになりました。「ふげん」の運転が開始されて15周年を迎えた平成6年、「新型転換炉ふげん発電所におけるプルトニウム利用技術の実証」に対し、日本原子力学会賞(技術開発賞)が授与されました。