
令和8年11月6日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
宇宙環境には、太陽フレアや銀河宇宙線などに由来する陽子や重イオンが飛び交っています。これらが宇宙機の電子部品に衝突すると、誤作動などを引き起こし、宇宙機の運用に支障を来たします。このため、宇宙機開発では、電子部品に陽子や重イオンを照射して、電子部品がどの程度宇宙線に耐えられるのかを事前に評価し、確認しています。その際、宇宙空間で受ける陽子や重イオンなどを地上で再現し、照射できる放射線試験施設が必要です。しかし現時点では、国内で対応可能な施設は限られています。
近年、国際的な宇宙開発競争が激化する中、宇宙関連産業への参入増加とともに、宇宙機の低コスト化・開発期間短縮への要求が高まり、民生用電子部品(汎用品)を利用する動きが拡大しています。同時に、試験ニーズも急増し、国内の放射線試験施設の不足が課題として認識されるようになりました。今後の宇宙機の製造機数増加などを考慮すると、数年後には陽子で年間約300時間、重イオンでは年間約1,100時間の試験時間が追加で不足するとされています。
そこで、日本原子力研究開発機構(JAEA)及び高エネルギー加速器研究機構(KEK)は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が令和7年度に公募した宇宙戦略基金事業の技術開発テーマ「宇宙機の環境試験の課題解決 −放射線試験の課題解決−」に対し、JAEA、KEKそれぞれが所有する施設を活用し、放射線試験装置・施設を整備する計3件の技術開発課題を独立で提案しました。その結果、3件すべてが令和8年2月に採択されました。各課題は同年10月までに補助金の交付決定を受け、事業を開始しています。
採択に基づき整備する放射線試験装置・施設は、いずれもJAEA原子力科学研究所(茨城県東海村)敷地内にある以下の3施設内に設置します。
実施期間は最長で約5年を予定しています。JAEAとKEKが事業を完遂することで、陽子も重イオンも照射できる宇宙機放射線試験施設群が形成され、宇宙開発に係る多様なユーザーの要望に応えることができる国内唯一の地域となります。また、稼働後の運営面では、利用者の利便性向上に向けた連携も目指していく方針です。これまでJAEAとKEKが培ってきた世界最先端の素粒子原子核物理研究と、加速器や試験装置の開発研究で得た知見を活用し、日本の宇宙利用拡大に貢献し、新たな価値を創造してまいります。
宇宙利用の拡大につれて、複数の人工衛星を配置して一体運用するシステムも登場し、宇宙機製造機数も増えています。宇宙機に搭載する電子機器の低コスト化・高性能化・開発期間短縮化には、宇宙向けではない民生用電子部品(既製品)転用や継続的な技術開発が重要です。
ただ、宇宙環境には、太陽フレアや銀河宇宙線などに由来する陽子や重イオンが飛び交っています。エネルギーも高く、これらが宇宙機の電子部品に衝突すると誤作動などを引き起こし、運用に支障を来たしますが、様々な種類の宇宙放射線すべてを遮断するのは不可能です。そのため、宇宙放射線を模擬した高エネルギーの荷電粒子(陽子や重イオン)を加速器で作り出して照射する「耐性試験」を行い、影響を実験的に確かめる必要があります。
一方で、国内での耐性試験については、技術、設備、専門人材などの問題で試験機会の不足が課題となっています。経済産業省及び内閣府が令和7年3月に公開した「宇宙戦略基金 実施方針(経済産業省計上分) 第2期技術開発テーマ」の中で、「現状、既にプロトン〔陽子〕、重イオンともに年間約100時間分の試験ニーズに応えられていない。現状の課題の解決に加え、今後、宇宙機等の製造機数の増加が見込まれることや設備が故障するリスクを考慮すると、例えば6年後の試験ニーズにこたえるためには、追加でプロトン〔陽子〕は年間約300時間、重イオンは年間約1,100時間分の試験時間が必要となる。」とされています。※〔括弧内〕はJAEA加筆
今回採択された施設の一部は、これまでもJAXAなどの研究者による耐性試験に利用されてきました。しかし、設備などの理由で現状以上の大幅な試験機会の拡大は困難です。
そこで、JAEAとKEKのそれぞれが、JAXAが令和7年度に公募した宇宙戦略基金事業の技術開発テーマ「宇宙機の環境試験の課題解決 −放射線試験の課題解決−」に対し、所有する加速器施設を活用して放射線試験装置・施設を整備する計3件の技術開発課題を提案しました。令和8年2月に3件とも採択され、同年10月までに補助金の交付決定を受けて事業を開始しています。
各施設の特徴や固有の背景、経緯は次のとおりです。また、主な開発内容については、【宇宙戦略基金事業での主な開発内容】の項目をご参照ください。
東海タンデム加速器は水素からビスマスまで約50元素にわたる多種類のイオンを加速し、様々なエネルギー条件の重イオンビームを高精度に照射することができます。これまでに、原子核研究や材料の照射試験、医療用ラジオアイソトープの生成試験など、幅広い分野の研究に活用されてきました。加速電圧(最大18MV)の可変性やイオン種の切り替えに優れており、加速器の運転やイオンビームの調整、計測制御についての高度な技術を持つスタッフが在籍しています。宇宙機向け半導体の照射試験に必要な、非常に弱いイオンビームを安定照射する技術や試料への精密な照射技術について豊富な経験と実績を有しています。
宇宙関連分野では、JAXAの前身である宇宙開発事業団(NASDA)の時代から半導体の照射試験を行っており、多くの研究者に利用されてきました。現在では、シミュレーションによって半導体の放射線影響を評価する研究も進んでおり、重イオンビームによる照射試験結果と比較することで、シミュレーション技術の高度化を図り、放射線に強い半導体デバイスの開発に貢献することを目指しています。
本課題では、これまで培ってきた技術や設備を活用し、宇宙機の試験に特化した2本の専用ビームラインを新たに整備します。併せて、加速器の高電圧安定化時間の短縮するため、高性能加速管を導入します。これらにより、国内での重イオン照射試験の機会不足を解決し、より効率的で信頼性の高い試験環境を提供します。将来的には、宇宙開発だけでなく、様々な産業分野で利用される汎用型電子機器の安全性や信頼性の向上にも貢献することを目指します。
茨城県東海村の大強度陽子加速器施設J-PARCは3つの加速器と、それらで生成した大強度の陽子ビームを利用する3つの実験施設を有し、物質・生命科学や素粒子・原子核物理などの研究を行ってきました。
J-PARCのリニアックは、3つの加速器の初段にあたる加速器で、400 MeVの高エネルギーで運転しています。令和4年から6年にかけて、JAXAとの共同研究として陽子ビームを用いた宇宙放射線検出器の性能試験を行いました。内容は月や火星への探査衛星に搭載する放射線検出器がどのように放射線に反応するか(応答特性)を詳しく測定するものでした。その際に、加速した陽子ビームを薄い金属箔に入射して散乱した陽子を計測に用いたため、陽子のエネルギーにばらつきが生じました。この経験から、単一エネルギーの陽子ビームを利用可能な設備が望まれていました。
本課題では、リニアックから伸びる別の既設トンネルを利用し、新たに照射ビームラインと照射部を設置することで、宇宙機の試験に特化した専用の放射線試験設備を整備します。400 MeVリニアックの活用で、国内で宇宙機の照射試験に対応可能な陽子ビームのエネルギー上限(200 MeV)を2倍に引き上げ、より高いエネルギーの照射ニーズに対応します。また、照射面積についてはJ-PARC物質・生命科学実験施設で実装したビーム平坦化技術を応用し、500 mm×500 mmの大面積照射を実現します。従来施設の100 mm×100 mm程度と比べ約25倍に拡張されることで、より多くの試料を同時に照射できます。これにより、国内での陽子による照射試験の機会不足を解決し、より効率的で信頼性の高い試験環境を提供します。
図3 本事業で整備する放射線試験設備の平面図. J-PARCリニアックの地下トンネルで、青線が新設する宇宙放射線試験用専用ビームライン、赤線が既設の陽子ビームライン
J-PARCのハドロン実験施設は3段目の加速器「メインリングシンクロトロン」からの30 GeV大強度陽子ビームを生成標的に照射し、そこで生じる様々な2次粒子(π(パイ)中間子、K中間子、反陽子など)を利用して、素粒子原子核物理の基礎的な研究を行っています。発生する様々な2次粒子の中から陽子を選び出し、実験に供するためのビームラインも開発してきました。
本課題では、2次粒子の中から照射試験用に陽子を取り出す、新たな2次ビームラインを開発します。陽子ビームのエネルギーは数十 MeVから510 MeV、強度は毎秒107個程度、ビームスポットの大きさは数cm角から10 cm角程度を予定しています。照射するビームのエネルギーやビームの大きさなどは、電磁石などのビームライン要素の設定で変更でき、数分以内で調整が可能です。
2次ビームラインの上流部は非常に高い放射線環境となるので超耐放射線電磁石を用います。様々な2次粒子から陽子を選び出すため、高電圧を印加した電極と電磁石で粒子を分ける静電分離機という装置を開発します。そのほか、約5年間で電磁石、真空システム、制御システム、実験装置の開発を行い、その後、ユーザー向けの利用を開始します。
新設する本ビームラインは、ハドロン実験施設に30 GeV陽子ビームが供給されている限り、利用や停止が可能です。既設2次ビームラインの運転状況に影響を受けない、柔軟な利用環境を整えることで、国内での陽子による照射試験の機会不足の解消に貢献します。
図4 J-PARCハドロン実験施設に新設する2次ビームライン
※年度はいずれも予定、期間含めて今後のステージゲート評価等により変動し得る。
研究代表者:日本原子力研究開発機構
原子力科学研究所 プロモーション・オフィス 松田 誠 オフィス長
①専用ビームラインの開発(令和8年度~令和10年度)
宇宙機向け半導体の放射線試験に特化した2本の専用ビームラインを新たに整備します。効率よく、安定した条件で精度の高い放射線試験を行えるようになり、国内で不足している放射線試験の受入能力を強化します。
②高性能加速管の導入(令和8年度~令和12年度)
加速器の電圧を安定に発生できるように高性能な加速管を導入します。これまで高電圧の発生には約半日の調整時間が必要でしたが、この時間を減らし、宇宙機向け半導体の放射線試験に利用できる時間を増やします。同時に、これまでより高いエネルギーの重イオンビームが利用可能となり、照射試験の対応範囲を拡大します。
③イオン源・制御系改良(令和8年度~令和11年度)
イオンの種類やエネルギーをより迅速に切り替えられるようイオン源や加速器の制御システムを改良します。これにより、1日に複数の照射条件での試験が可能となるだけでなく、照射の効率化も図ることができ、放射線試験の短縮化とコスト削減につながります。
研究代表者:日本原子力研究開発機構
J-PARCセンター 量子ビーム技術ディビジョン 陽子ビーム応用セクション 近藤 恭弘 セクションリーダー
①照射ビームラインの開発(令和8年度~令和11年度)
J-PARCリニアックで加速された高エネルギー(400 MeV)陽子ビームを分岐し、照射部まで輸送するビームラインを整備します。具体的には、電磁石、電源、ビームモニタ、真空機器などを製作し、リニアックの地下トンネルに設置します。
②照射部の開発(令和8年度~令和11年度)
照射ビームラインで輸送された陽子ビームのエネルギーや照射面積を調整し、電子部品の照射試験に必要な装置類を整備します。具体的には、エネルギー調整機構やビームを広げる電磁石とその電源、半導体を支持する架台などを照射ビームライン末端に設置します。
③利用運転(令和11年度~令和12年度)
令和11年度半ばを目途に照射ビームラインと照射部の開発を終え、令和11年度内を目標に利用運転を開始します。整備によって、国内における従来比約2倍の高エネルギー陽子ビーム照射が可能となり、500 mm×500 mmの大面積照射で一度に多くの電子部品を効率的に照射できます。これらの取り組みで、国内で不足している陽子照射試験の機会を大きく増やすことができます。
研究代表者:高エネルギー加速器研究機構
素粒子原子核研究所/J-PARCセンター素粒子原子核ディビジョン 澤田 真也 教授
①照射ビームラインの開発(令和8年度~令和13年度※実際の実施期間はこのうち最長で約5年)
J-PARCハドロン実験施設において、既存の2次粒子生成標的から延びる2次ビームラインを開発します。ここで、多くの種類の2次粒子の中から510 MeVまでの陽子ビームを純度よく選別し、照射に使えるようにします。
②照射実験室の開発(令和8年度~令和13年度※実際の実施期間はこのうち最長で約5年)
J-PARCハドロン実験施設において、本照射ビームラインに特化した照射実験室を開発します。宇宙開発用途の照射試験では大面積での照射が有効なことから、実質的に大面積が得られる試料架台の開発などを行い、国内で不足している陽子照射試験の機会の増大に寄与します。