【背景】

電子は電荷とスピンという二つの属性を持ちます。前者は電気素子として、後者は磁気の起源となるため磁気素子として研究・利用されてきました。近年の微細加工技術の発展に伴って、これら 2つの性質を積極的に組み合わせることにより、ハードディスクドライブの磁気ヘッドや磁気ランダムアクセスメモリなど、従来のエレクトロニクス素子を凌駕するデバイスの実現が可能になってきました。このようなスピンをデバイスに応用しようとする研究分野は、スピントロニクスと呼ばれています。スピントロニクス素子の実現において、重要な物理量が磁気(スピン)の流れであるスピン流です。電流は電荷の流れであり、これまでの電気素子では電荷が情報を運んでいましたが、スピントロニクスではスピンの流れが情報を運びます。将来は、スピンだけで動作するデバイスも可能になるかもしれません。しかし、現在はスピントロニクス素子と従来のエレクトロニクス素子とを組み合わせて利用する段階にあると言えます。そのため、スピン流を電流に、あるいは電流をスピン流に変換する「スピンホール効果」と呼ばれる物理現象がとても重要になります。

【研究手法と成果】

本研究では、極僅かにイリジウムを添加した銅のスピンホール効果で生じる電圧の符号に着目して理論研究を行いました。実際にこの物質の測定が行われているのですが、密度汎関数法を用いた従来の理論研究は、実験とは異なった符号になっていました。そこで、今回、当研究グループは、電子同士の互いの反発しあう力(電子間相互作用)を計算に取り込むことで、この実験と理論との食い違いを解決できるのではないかと考えました。まず、密度汎関数法を用いてイリジウムを添加した銅の電子状態を求め、イリジウムとその周りを取り囲む銅との結びつきを見積もりました。さらに、量子モンテカルロ法を用いて、イリジウム上の電子間相互作用を取り込んだ計算を行いました。この方法の長所は、それまでの密度汎関数法では取り扱えない、イリジウム原子のスピンや軌道に関する状態の複雑な組合せを取り扱える点にあります。その結果、電子間相互作用によってイリジウム上の電子配置が変化するため、スピンホール効果によって生じた電圧の符号が正から負に反転し、実験と一致した結果が得られることが分かりました(参考図)。

図1

【参考図】磁気の流れが電気の流れに変換される様子(左図)。電子同士の反発しあう力によって電圧の符号が反転する様子(右図)。
図中の矢印の付いた丸が電子であり、丸が電荷、矢印が磁気(スピン)を表す。矢印の頭と尾をN極やS極として考えることもできる。

この結果は、光などの外からの刺激によりイリジウムの電子配置が変化すると、スピンホール効果によって生じた電圧の符号の符号が変化し得ることを意味しており、その流れを切り替えられることから磁石を用いた高感度光センサーの原理になると期待されます。

【今後の期待】

スピンホール効果は、スピントロニクスのあらゆる場面で登場する重要な物理現象です。特に、近年注目を集める「スピン熱電現象」においては不可欠です。スピン熱電現象は、ありふれた磁性体に金属を積み重ね、そこに温度勾配を加えると電流が取り出せるというものです。いわば、磁石による熱電発電です。このようなデバイスを実際に使う際には熱を如何に効率よく電気に変換できるかが問題です。スピンホール効果の信号を大きくすることが出来れば、スピン熱電発電の効率が上げられることが分かっており、今後はスピンホール効果を増強する仕組みを探る必要があります。本研究成果で得られた結果と確立した計算手法を駆使すれば、スピンホール効果を増強できる可能性があり、さらに研究が進展すれば、「スピン熱電発電」を原子力分野へ応用し、原子炉や放射性廃棄物からの排熱を電気に変換させて利用できることから、今後の原子力の経済性向上や安全利用の検討につながることが期待されます。


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