【背景と経緯】

積層セラミックコンデンサは、現代のエレクトロニクス産業に欠かすことのできない基本電子部品の一つであり、パソコンやスマートフォンなどの身近な電子機器に数多く使用されています。現在、積層セラミックコンデンサの年間生産量は世界全体で1兆個を超えており、特に日系企業が大きなシェアを誇っています。しかし、近年では他のアジア圏諸国による追い上げが激しく、今後もこの分野における日本の優位性を保ち続けるためには、産学官共同によるたゆまざる技術革新が必要とされています。

チタン酸バリウム(BaTiO3)は、この積層セラミックコンデンサの主原料となる誘電材料です。チタン酸バリウムの電気的性質は、微量の不純物や格子欠陥2)によって大きく変化することが知られており、そのメカニズムを理解し、コントロールすることは、積層セラミックコンデンサの機能・信頼性に直結する非常に重要な課題となっています。現在主流となっている積層セラミックコンデンサは、内部電極にニッケルを使用しています。このニッケル電極は非常に酸化しやすいため、内部電極と誘電材料を一体化させるための焼成過程は、低濃度の水素を含んだガスの中で行われます。これはニッケル電極の酸化を抑制する上で確かに有効ですが、一方で、チタン酸バリウム結晶中に微量の水素不純物を取り込んだり、酸素欠損を生じたりするリスクをはらんでいます。実際に、この処理によって絶縁劣化等の負の影響が生じることが知られており、原因となる格子欠陥の同定と悪影響を及ぼすメカニズムの解明が急がれています。

【研究の内容と成果】

本研究では、積層セラミックコンデンサの焼成過程で生じ得る格子欠陥の中でも、特に結晶格子の間に入り込んだ不純物水素原子に着目し、その影響を選択的に調べるために素粒子の正ミュオンを用いました。正ミュオンはプラス1価の電荷をもつことから、軽い陽子とみなすことができます。正ミュオンが電子を1つ束縛した状態はミュオニウムと呼ばれ、水素原子と非常によく似た電子構造を持つことが知られています(参考図(a))。ゆえに、微量の正ミュオンをチタン酸バリウムの結晶に打ち込むことにより、微量の水素不純物が混入した状態を模擬することができます。正ミュオンを用いる利点はその検出感度の高さにあり、ごく微量の正ミュオンに対してであっても容易にその状態を調べることができます。

当研究グループは、J-PARC3)のミュオンビームをチタン酸バリウムの純良単結晶に打ち込み、ミュオンスピン回転・緩和法4)により正ミュオン周辺の局所的な電子状態を調べました。室温付近では熱によって物質本来の姿が隠されています。これを明らかにするために、チタン酸バリウム単結晶をマイナス270℃の極低温まで冷却して測定を行いました。実験の結果、マイナス190℃以下において正ミュオンのまわりに電子が束縛されていることを示す信号が観測され、束縛された電子の軌道は参考図(b)のように大きく広がっていることが分かりました。この電子軌道の広がりは、孤立したミュオニウムに比べて数十倍も大きく、チタン酸バリウム結晶中における電子の束縛が非常に弱いことを示唆しています。参考図(c)は電子を束縛した正ミュオンの割合と電子を放出した正ミュオンの割合の温度変化を示しています。温度上昇に伴い、弱く束縛されていた電子が熱エネルギーを得ることで結晶中を動きまわれる状態になり、その結果、電子を束縛した正ミュオンの割合が減少し、電子を手放した正ミュオンの割合が増加しています。この温度依存性から、チタン酸バリウム中の正ミュオンは、孤立したミュオニウムの1/1000程度の非常に小さなエネルギーで電子を束縛していることが分かりました。この束縛エネルギーは室温における熱エネルギーよりも小さいので、電子デバイスを動作させる温度範囲ではほとんどの正ミュオンが電子を放出した状態にあります。この電子は結晶中を動きまわることができるため、電気伝導に関与し、チタン酸バリウムの絶縁性を低下させます。実際の水素不純物も、これと同様のメカニズムにより電子を放出し、コンデンサ用途には望ましくない絶縁性の低下を招くと考えられます。

【今後の展開】

本研究により得られた知見に基づいて、チタン酸バリウム系セラミックコンデンサの製造過程から水素混入の可能性を排除することにより、コンデンサの性能向上が期待されます。

【参考図】

(a)孤立したミュオニウムと水素原子(概念図)/(b)チタン酸バリウム結晶中において正ミュオンに弱く束縛された電子の軌道(概念図)/(c)電子を束縛した正ミュオンの割合(黒四角)と電子を放出した正ミュオンの割合(赤丸)の温度変化(実線は理論曲線)


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