【背景と経緯】

グラフェンは、非常に長い時間や距離に渡り電子スピンの向きを保持したまま電子を輸送できることなど、スピン情報の伝達に優れた性質を数多く有することから、次世代スピントロニクスの基盤材料として有望視されています。グラフェンをスピン素子に用いるためには、スピン偏極した電子を効率よくグラフェン中に移動できるスピン注入源の開発が重要な課題となります。グラフェンへの有力なスピン注入源の一つが、磁性金属をグラフェンの表面に直に接合させた電極構造になります。この構造の場合、グラフェンへのスピン注入は磁性金属とグラフェンの接合面(界面)を介して行われますが、磁性金属からグラフェンに電子を注入する際に界面で電子のスピン偏極が減少し、スピン情報が失われてしまうことが問題となっています。このような観点から、グラフェンにスピン偏極した電子を効率良く注入できる注入源の実現が強く望まれています。

【研究の内容と成果】

当研究チームは、グラフェンと磁性金属の接合体について、界面における電子スピン状態を調べることでスピン注入の効率化に対する糸口を探ろうと考えました。本研究では、グラフェンと磁性金属の電子スピン状態を原子層スケールの分解能で検出できる手法として、雨宮教授らが開発した深さ分解X線磁気円二色性分光法に着目しました。磁性金属(ニッケル)薄膜の表面を単原子層のグラフェンで被覆した接合体(参考: http://www.jaea.go.jp/02/press2011/p12033001/index.html)を作製し、同分光法によりグラフェンからニッケル薄膜に至る領域の電子スピン状態を解析しました。

図1に、観測されたニッケルのX線磁気円二色性スペクトルを示します。X線の入射角度が浅い条件(左図)で観測されたスペクトルの大きさは面内方向に並んだ電子スピンの割合を、入射角度が深い条件(右図)で観測されたスペクトルの大きさは面直方向に並んだ電子スピンの割合を強く反映します。また、青線は主に界面に近い場所からの、赤線は界面から離れた場所も含むニッケル全体からのスペクトルにそれぞれ対応します。X線の入射角度が浅い場合、青線に比べて赤線のスペクトルの大きさが強く現れていることが分かります。一方、X線の入射角度が深い場合には、その強弱関係が逆転していることが見て取れます。このことは、界面から離れた場所にあるニッケル原子層では面内方向に電子スピンが配列しやすく、逆に、界面近くのニッケル原子層では面直方向に電子スピンが配列しやすいことを表しています。

界面の情報を含む割合を少しずつ変えてX線磁気円二色性スペクトルの大きさを測定し、その大きさの変化を詳細に解析したところ、図2に示すようにグラフェンとニッケル薄膜の界面からニッケル側の約1ナノメートル(数原子層)の領域で、電子スピンの向きが面内方向から面直方向に回転し、薄膜内部とは異なる配列状態が生じていることが明らかとなりました。さらに、同様の測定を接合体のグラフェンについても行った結果、グラフェンにも面直方向に電子のスピン偏極が生じていることが分かりました。このような現象はニッケル薄膜単独では観測されないため、グラフェンとニッケルの結合によって界面に生じる強い相互作用により引き起こされる、界面特有の現象であると考えられます。

【今後の展開】

磁性金属薄膜は一般に電子のスピンの向きが面内方向に配列する性質があることから、グラフェンに用いるスピン注入源についても、この性質により面内方向にスピンの偏極した電子を注入する方法が考えられていました。しかし、本研究の結果、磁性金属薄膜とグラフェンの界面近傍では電子のスピンが面直方向に配列しやすいことが分かりました。このことから、磁性金属薄膜のスピン注入源から面内方向にスピン偏極した電子を注入しようとしても、電子スピンの配列が面直方向に向きやすい界面近傍の影響により、グラフェンに実際に注入される電子のスピンの向きが乱されてしまうことが予想されます。本結果は、スピン注入源を設計する上で界面に特有な電子スピンの配列状態を考慮することの重要性を示しています。今後、本研究の成果を踏まえてグラフェンスピン素子の研究・開発を行うことで、スピン注入の効率化など素子特性の著しい向上に繋がることが期待できます。

図1 グラフェンとニッケル薄膜の接合体の深さ分解X線磁気円二色性スペクトル

図2 ニッケル薄膜と単原子層グラフェンの接合体の界面近傍におけるスピン再配列の模式図


戻る