【研究開発の背景と目的】

次世代クリーンエネルギーとして、水素エネルギーは有力な候補の一つとして期待されています。水素ガスの大量かつ安全な貯蔵・輸送には水素貯蔵合金など水素貯蔵材料の高性能化が必要であり、その開発に向けた取り組みがなされています。水素の吸蔵・放出には材料構成元素と水素との相互作用(結合状態)が大きく関わっており、吸蔵・放出過程にかかわる水素と材料の結合状態の形成・切断過程に関する知見は重要な要素であり、その相互作用の解明が期待されています。

本研究で対象とした希土類金属(レアアースメタル)は、水素との親和性が極めて高いことが知られており、容易に水素との化合物である水素化物を形成します。水素を多量に吸収できるという性質を持つことから水素吸蔵合金の構成元素として広く利用されています。金属格子の隙間には金属原子が四面体に配置したサイトと八面体に配置したサイトの2種類が存在し、この隙間に水素原子が入ることで水素が吸蔵されます。希土類金属では吸収された水素原子は初めに四面体サイトを一つずつ占有して金属原子1個に対して水素原子が2個存在する2水素化物となり、さらに八面体サイトを占有してすべての隙間が埋められ、金属原子1個に対して水素原子が3個存在する3水素化物となります。八面体サイトだけが占有され、金属原子と水素原子が1対1となる1水素化物はバナジウムなどの遷移金属やリチウムなどのアルカリ金属(注6)の水素化物では良く知られていますが、希土類金属では報告がなく、存在しないと考えられてきました。

これまでに研究グループでは大型放射光施設SPring-8において、代表的な希土類金属であるランタンの2水素化物(LaH2)が10万気圧を超える高圧力下で金属格子の大きさが異なる2つの状態に分かれることを見出していました。通常、金属格子は水素を吸収することによって大きく膨張することが知られています。ランタンでは2水素化物を形成する際におよそ20%も金属格子の単位体積が増加します。高圧力下で形成された小さい金属格子の状態は2水素化物の状態よりも単位体積が約17%も小さいため、水素濃度が低い状態であると考えていましたが、圧力を下げると元の2水素化物単一の状態に戻ってしまうために回収試料の分析が不可能で実際の構造は未解明でした。金属格子内で水素原子がどのサイトをどのくらい占有しているのかを決定し、高圧下でどのような状態が形成されたのか原子レベルで明らかにするため、大強度陽子加速器施設J-PARCで従来日本では困難であった10万気圧を超える高圧力下での中性子回折実験を実施し、2つの状態に分かれた後の水素占有状態を調べました。

【研究の手法】

本研究では、広島大学先進機能物質研究センターの水素化反応装置を使用して作製したランタン(La)と重水素(D)の化合物であるランタン2水素化物(LaD2)に高い圧力をかけて圧縮し、その状態の構造をX線回折と中性子回折によって調べました。本研究では、中性子回折による水素の構造決定を容易にするため、水素(H)を重水素(D)に置き換えた重水素化物(注7)を用いました。

高圧力下のLaD2のLa金属格子の構造決定のため、放射光を利用した高圧力下X線回折測定は大型放射光施設SPring-8に原子力機構が所有しているビームラインBL22XUに設置されているダイヤモンドアンビルセル(注8)用回折計で実施しました。

また、高圧力下で水素の状態を決定するため、大強度陽子加速器施設J-PARCの物質・生命科学実験施設のBL21にKEKが建設した大強度全散乱装置NOVAに高圧発生装置であるパリ・エディンバラ・プレス(注9)を導入し、中性子回折を実施しました。NOVAは中性子の強度が強く、少量の試料でも十分な強度が得られます。試料によって全方向に散乱された中性子を検出するために多数の検出器が配置されていますが、今回の実験ではパリ・エディンバラ・プレスの構造から、入射中性子線に対して90度方向に散乱する中性子を検出する検出器を使用しました。

X線回折強度は物質中の原子の原子番号が大きい(電子数が多い)ほど、相互作用が大きくなるので、原子番号57のランタンに対して原子番号が1の重水素の寄与は無視でき、ランタン金属格子構造(原子配列)を反映したものとなります。一方で中性子回折強度は物質中の原子核の中性子散乱長によって決まりますが、この中性子散乱長の大きさは原子番号とは無関係です。ランタンと重水素の中性子散乱長はそれぞれbLa=8.24 nmとbD= 6.671 nmと同程度の大きさですので、回折強度は重水素とランタンの両方の原子配列を反映したものとなります。X線回折、中性子回折ともに結晶構造を反映したある特定の原子面からの回折が観測されます。

【得られた成果】

LaD2に11万気圧の高圧力を加えると、金属格子の大きさが異なる2つの状態が現れることがX線回折実験により観測されました。これはランタン2水素化物(LaH2)への加圧時と同様の結果です。2つの状態に分かれる際の金属格子の体積変化もLaD2とLaH2はほぼ等しく、同位体(HとD)による違いはなく、高圧力下ではLaD2でも低重水素濃度と高重水素濃度の2つの状態をとることが確認できました。また、中性子回折実験の結果でも10万気圧を超える高圧力下で低重水素濃度の状態の形成を示す回折線の出現を観測しました。(図1)。低重水素濃度の状態からの回折に注目すると、X線回折では金属格子が面心立方構造の回折パターンが観測されますが、中性子回折では面心立方構造の回折パターンの内、奇数で表される指数の回折強度が観測されていないことがわかります。これは中性子回折強度の計算からランタンと重水素が岩塩(NaCl)構造をとることで説明ができます(図2)。岩塩構造はランタン原子と重水素原子が3次元的に交互に並んだ結晶構造で、面心立方構造で配列しているランタン原子が作る八面体サイト全ての中心に重水素原子が存在している構造とも見ることができます。実際に岩塩構造で中性子回折パターンのシミュレーションを行ったところ、実験結果を良く再現しますが、重水素の占有率が低くなると実験結果を再現できなくなることがわかりました。

したがって高圧力下で現れる低濃度の状態は、岩塩構造を持つランタン1水素化物(LaD)であると結論付けました。また、高重水素濃度の状態からの回折についても、回折強度の変化から元のLaDからよりLaD3に近い状態が形成されていることがわかりました。熱力学的な安定性を第一原理計算によって評価したところ、高圧力下では1水素化物が安定に存在できることが示されました。また高圧下で2つの状態をとることも実験と計算で良い一致を示しました。

希土類金属水素化物では2水素化物、3水素化物が存在することは良く知られていましたが、1水素化物はこれまでその存在が観測されていませんでしたが、本研究によって1水素化物の形成が世界で初めて示されました。

【今後の予定】

本研究によって希土類金属は全ての金属の中で唯一、1水素化物、2水素化物および3水素化物を形成し、さらに金属格子構造が全て面心立方構造をとることが示されました。そのために水素の占有しているサイトの違いによる水素と金属の間の相互作用の違いを明らかにできる可能性があります。希土類金属はその高い水素親和性のためにLaNi5など水素吸蔵合金の構成元素として広く利用されていますが、その水素吸蔵・放出特性に対しての水素と金属の相互作用の影響は水素吸蔵合金の高性能化に向けた重要な知見となります。今後、1水素化物中の水素と金属の結合状態を調べ、2水素化物と3水素化物中の結合状態と比較することにより、水素と金属の相互作用の解明がされ、さらには高濃度の水素を吸収する希土類合金の開発指針が得られるものと期待されます。

図1: 高圧力下13万気圧における放射光X線回折パターンと中性子回折パターン

図2: 金属格子が面心立方構造で水素濃度が異なる3つの水素化物の構造


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