【背景と経緯】

現代のエレクトロニクスデバイスは電子の電気的性質(電荷)の流れである電流により動作しています。しかし、電流を利用した場合、発熱(ジュール熱注3))による巨大なエネルギー損失を原理的に避けることができず、素子構造の微細化の限界とともに近年極めて重大な問題と認識されています。このため次世代の省エネルギー社会を担う電子デバイスの実現には、全く新しい原理に基づく電子技術の開拓が急務となっています。

電子は電気的性質の他に磁気的性質(スピン)を持っており、この磁気的性質の流れ「スピン流」を作り出すことも可能です。スピン流にはジュール熱によるエネルギー損失機構がないため、電流をスピン流に置き換えることができれば、電流を用いた場合とは桁違いの超省電力電子デバイスを実現することが可能となります。しかし、スピン流を作り出すことは容易ではなく、特に電気抵抗率の高い物質に関しては、インピーダンスミスマッチ注4)と呼ばれる物理的制限によりスピン流を注入することが原理的に不可能でした。この制限を回避する唯一の方法は高品質な絶縁膜をスピン流注入源との界面に成長させることでしたが、このような良質な絶縁膜を作成するためには莫大な労力・時間が必要であり、スピントロニクス材料の開拓、スピントロニクスデバイスの設計のために、あらゆる物質へ応用可能な汎用的且つ高効率なスピン流注入手法が強く求められていました。

今回発見されたスピン流注入手法は上記物理的制限を一切受けない極めて汎用的なものです。さらにこのスピン流注入は電界により制御可能であることが明らかとなりました。この発見によって従来の1000倍以上のスピン流を作り出すことが可能となり、スピントロニクスデバイス設計の自由度が飛躍的に広がりました。

【研究の内容】

今回の研究では、磁性金属(Ni81Fe19)と半導体(GaAs注5))から成る素子を作製し、半導体層における磁気・電気変換現象(逆スピンホール効果注6))を用いることで、磁性金属中の磁気のダイナミクスを利用した半導体へのスピン流注入の検出に初めて成功しました。さらに半導体中へ注入されるスピン流量は磁性金属と半導体の間に電界を与えることで制御可能であることが明らかとなりました。今回見出されたスピン流注入手法を用いれば、物質の電気抵抗率によるスピン流注入の制限を受けないため、半導体だけでなく有機物や高温超伝導体といったあらゆる物質への高効率なスピン流注入が可能となります。

本研究の一部は、内閣府の最先端・次世代研究開発支援プログラム、独立行政法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業「プロセスインテグレーションによる次世代ナノシステムの創製」の一環として実施されました。

【原理の説明】

従来のスピン流注入は、電子のスピンの向きに偏りがある磁性金属を注入したい物質に接合し、この間に電圧をかけ磁性金属中のスピン偏極した電子を移動させることで実現していました。この場合、磁性金属(電気抵抗率:小)と注入したい物質(たとえば半導体)(電気抵抗率:大)の電気抵抗率が大きく異なることに由来するインピーダンスミスマッチという強い物理的制限のため、原理的にほとんどの電子スピンは界面で失われてしまい、高い効率でスピンを注入することは困難でした。今回発見した方法は、電圧の代わりに磁性金属中の磁気のダイナミクスを利用することで、電子のスピンだけを直接駆動する「スピン圧」をスピン流を注入したい物質に直接与えてスピン流を作り出すものであり、上記物理的制限を一切受けないものです。このため従来の方法と比較して桁違いのスピン流を作り出すことが容易に可能となりました。

【今後の展開】

環境負荷の小さなスピントロニクスデバイス開発には、汎用的且つ高効率なスピン流注入手法の確立が最重要課題のひとつです。あらゆる物質へ応用可能なスピン流源が確立されれば、スピントロニクス材料の開拓、スピントロニクスデバイスの設計の自由度が劇的に広がります。

本研究によって初めて開拓されたスピン流注入手法は、スピン流注入の物理的制限を根本的に回避するものであり、これまでごく限られていたスピン流注入材料を半導体・有機物・高温超伝導といったあらゆる物質へと拡張します。本研究成果に基づく超低電力電子技術により、次世代の省エネルギー社会実現への貢献が期待できます。

【参考図】

図1 従来のスピン流注入方法(左図)と本研究により発見されたスピン流注入方法(右図)

図2 スピン流の注入と検出


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