補足説明

(1)開発着手までの経緯

近年、大気汚染をはじめとする地球環境の悪化を回避するために、石油製品中の硫黄含有量の低減化、規制強化が図られてきており、それに対応するために世界各国の製油所等では硫黄含有量の測定装置類の高性能化を求める声が高まってきています。

エネルギー分散型蛍光X線分析装置は比較的簡単な機器構成(図1)で、操作性や装置価格などが優れていることから製油所等の現場における石油製品の品質管理に広く利用されています。しかし、硫黄含有量の低減化に伴う信号強度の低下のため、ノイズレベルを大幅に低下させない限り、低濃度の硫黄分測定に対応することが困難になってきました。

図1 エネルギー分散型蛍光X線分析装置の主な構成

田中科学機器製作株式会社(以下「田中科学」)は、エネルギー分散型蛍光X線分析装置の高精度化という課題を自社技術で解決することを目指してきました。

今回、独立行政法人日本原子力研究開発機構(以下「原子力機構」)による中性子を利用したラジオグラフィ技術の情報を日本科学機器団体連合会・科学機器産学連携研究会から紹介されたことをきっかけに、原子力機構・原子力基礎工学研究部門が保有する高度な放射線計測技術の利活用を検討してこの課題解決に取り組むことにしました。

(2)課題解決に対する取り組みと開発の意義

田中科学がこれまで製造・販売してきたエネルギー分散型蛍光X線硫黄分分析装置は、製油現場などで利用されることを前提として、操作性を重視した設計で作られてきましたが、ノイズ低減を考慮した設計については必ずしも十分とは言えませんでした。

原子力機構・原子力基礎工学研究部門は、装置全体の設計評価という観点から予備検討を行った結果、原子力機構が保有する高度な放射線輸送シミュレーション技術を活用するだけでなく、エレクトロニクス関連機器の開発に必要な高度な技術力を有し、実績のある工務技術部との機構内連携も不可欠であると考え、シミュレーション研究開発とエレクトロニクス関連機器開発の情報を両部門で共有し、共同で田中科学からの要請に対応することにしました。

この高精度化開発においては、最初に、コストを抑えるために従来製品と同様にシンプルな機器構成とし、試料照射用のX線発生部から蛍光X線検出部までのX線伝送損失を極力低減する最適化構造設計を行いました。この設計では、部品配置において注目する構造因子を設定し、X線伝送経路の形状、寸法、角度等をさまざまに変化させるといった、信号強度の増大とノイズ低減化に着目したシミュレーション研究を進め(図2)、更にX線源の構造部材などに由来するノイズを幅広いエネルギー領域で低減させて(図3)、信号/ノイズ強度比を増大できることを実証しました。

図2 シミュレーションのモデル計算における主な構造因子:X線が輸送される部品の形状、寸法、角度(赤い矢印で示した)を変化させた。

図3 構造因子を変化させたときのX線のエネルギー分布強度の計算例:蛍光X線信号の射出角度の調整などによってノイズの抑制が十分可能なことを示している。

このシミュレーション研究と連携協力して、シミュレーション評価が極めて困難な雑音対策の設計開発も進めました。この設計開発では、試料照射用のX線発生に起因するさまざまな電気的雑音を防ぎながら、試料中の微量硫黄から発生する微弱な蛍光X線信号を増幅して正確かつ高速でカウントする新たなエレクトロニクスのシステム開発に成功しました。

これらの高精度化開発によって測定限界を拡張させ、検出限界を田中科学の従来製品比で1/3にまで改善した製品(写真)の開発に成功しました。

写真 開発した装置の外観

今回の開発では、@企業側における高精度化開発に必要な研究開発の見極め、A研究機関側における高精度化開発に対する俯瞰的分析、組織横断的な協力体制の構築および技術課題への深堀的な基礎・応用面での開発、B企業側の製品化開発過程において浮上した研究課題の速やかな情報共有と研究機関側による課題解決への機動的支援、などが適切に機能し製品化の実現へと導いたものと考えられます。この開発の経緯は、イノベーションのシステム統合モデルとして示した製品開発の成功プロセスに類似しているといえます。

(3)今後の取り組み

今回開発したエネルギー分散型蛍光X線硫黄分分析装置は、本年9月1日から3日まで千葉県幕張メッセ国際展示場において、社団法人日本分析機器工業会と日本科学機器団体連合会が合同で開催する分析展2010・科学機器展2010に出展される予定です。

なお、田中科学は本年内には国内をはじめ全世界向けに製品の販売を開始する予定です。

(4)用語解説

[石油製品中の硫黄含有量の低減化]
ガソリンや軽油に含まれる硫黄分は、自動車等の排出ガス規制の強化に伴って、各国の製品規格で低減化が図られてきた。現在日本とEUでは、自動車用のガソリンと軽油の両方とも0.001質量%(10質量ppm)以下と定められているが、米国では0.0015質量%(15質量ppm)以下、新興国では国によって0.005〜0.03質量%(50〜300質量ppm)となっている。
一方、船舶燃料は国際海事機関(IMO)によって世界的に規制されており、排出規制地域(SOxECA)と全地域(Global)の2つの地域に区分されて別々に規制値が定められている。今後、両地域での規制値は大幅に強化される予定(下図)である。

図 船舶燃料中の硫黄分に対する規制値の強化見通し

[エネルギー分散型蛍光X線分析装置]
ある原子に一定値以上の強いエネルギーのX線を照射すると、原子を構成する一部の電子がエネルギーを得て励起される一方で、他の電子がX線を放射してエネルギーを失う。このとき放射されるX線が蛍光X線と呼ばれるもので、原子の種類ごとに放射される蛍光X線のエネルギーは固有である。言い換えれば、蛍光X線のエネルギー分布を測定することによって原子の種類と含有量が判定できる。エネルギー分散型蛍光X線分析法では、放射されるX線の検出にエネルギー分析機能を持つ比例計数管(ガスを封入した電子管の一種)やシリコンなどの半導体を利用する。装置の構造が単純であること、迅速性が高いこと、複数の元素について同時に分析できることなどの特長がある。石油製品中の硫黄分の測定を目的とした分析装置のように、単一の元素を対象とした専用機も広く用いられている。
[中性子を利用したラジオグラフィ技術]
原子炉や加速器で発生した中性子を利用して、X線を利用したレントゲン撮影では不可能な金属内部の様子を撮影する技術。原子力機構では、中性子の時間的・空間的検出性能を高めた計測技術を開発し、実際に使われている自動車エンジンを稼働させた時のエンジン内部での潤滑油の流動状態の観測に初めて成功するなどの成果を挙げている。
[シミュレーション]
原子力分野では、複雑な事象が相互に関連しているものごとを扱うことが多いが、事象の解明を実験で行うことが困難あるいは不可能なことが多い。このため、事象の一部をモデル化しあるいはコンピューターで再現しようとするシミュレーションという手法が確立されている。原子炉内の核燃料の燃焼や冷却水の挙動、核融合プラズマの挙動など多くの研究においてシミュレーション研究が行なわれており、さまざまなコンピューター・プログラムが現象解明や装置設計のために利用されている。
[X線伝送損失]
X線は電磁波の一種であるため、直進したときに金属やガスなどに衝突すると反射や吸収が発生し、次第にエネルギーを失っていく。蛍光X線分析では、X線管で発生したX線や試料から放出された蛍光X線が伝送路にある構造物やガス分子と衝突することにより、強度が低下したりエネルギーが小さくなったりして、伝送損失が発生する。
[検出限界]
任意の濃度分析方法において検出可能な最小濃度のことであり、Limit of Detectionの頭文字からLODともいう。LODの定義には、測定中心値+3σ(σは測定分布における標準偏差)とする方法(米国AOACI:化学分析法などによる食品検査方法の標準化などを推進する団体)、測定中心値+kσ(kは必要とする信頼性の程度に応じて決められる定数、σは測定分布における標準偏差)とする方法(国際純正・応用化学連合IUPAC)など多数ある。
なお、石油試験分野ではブランク信号を測定中心値とし、+3σをLODとしている。
[イノベーションのシステム統合モデル]
イノベーションを目指した工業生産組織のビジネス行動原理について、マサチューセッツ大学のM. H. Bestがシリコンバレーの企業行動を基に2005年に発表したモデルである。1920〜1980年頃のアメリカで巨大企業の中央研究所が研究開発戦略に活用したリニアモデル(Science push on型)や戦後〜1990年代前半までの日本の高度成長を支えた日本モデル(pull on型)とは異なり、ネットワーク時代を背景として、分野横断的な技術チームが形成されると同時にビジネス組織も一体的に機能するという概念を有する。

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