補足説明

背景

水は私たちにとって最も身近な液体であり、地球上で最も普遍的な物質の一つです。しかしながら、私たちの身近にある液体の水は約4度で密度が最大となる、同じような分子量の分子からなる他の液体に比べ高い融点を持つなどの様々な異常な性質を示すことが古くから知られており、数多くの理論的・実験的研究が行われてきました。しかし、現在でも水の性質を完全に理解することは容易ではなく、水がどのような構造を持つかということについても論争が続いています。通常の水、すなわち常温常圧に近い条件での水が示す特異な性質の起源として水分子間に形成される弱い水素結合が考えられています。水素結合には異方性があり、水の場合、隣接分子間に最大4本の水素結合を作ることができます。このため液体であっても氷に類似した秩序構造がある程度残ることが期待されますが、さまざまな分光実験や分子動力学計算の結果から、この氷に類似した秩序構造モデルが現在では広く支持されています。

一方、温度を374度以上、圧力を218気圧以上にすると、気体と液体の区別がなくなり密度を連続的に変化させることが可能となります。これを超臨界水4)と呼びます。水は地球上に普遍的に存在するため、例えば、深海の海底火山周辺や地球内部の水は超臨界水になっていると考えられます。通常の水よりも低密度の超臨界水では会合体5)を形成するため、低密度極限においても水素結合が残ることがわかっています。

原子力機構量子ビーム応用研究部門 放射光高密度物質科学研究グループでは、高圧下の高密度状態の水の構造を、SPring-8の放射光と図1のような装置を用いて研究してきました(原子力機構ビームラインBL14B1および共用ビームラインBL04B1)。水はX線をあまり散乱しないため、高温高圧下のごく微量の水を測定することには困難が伴いましたが、SPring-8の強力なX線と、ダイヤモンド単結晶で作った試料容器を使うことなどによってこの困難を克服し、密度が通常の水の約1.8倍となる約17万気圧、約580℃まで、氷が融ける温度付近での測定に成功しています。X線回折実験からは、分子の間の距離や、ある一つの分子を取り囲む他の分子の数(配位数)を調べることができます。単純な液体、すなわち単原子分子からなる希ガス液体や液体金属の配位数は10から12程度ですが、通常の水では水素結合の存在のため、配位数は4から5程度と非常に少ない値をとります。高圧下での実験から、約4万気圧、約200℃で約1.4倍まで密度を上げると、配位数が10程度に増加することで単純な液体と同じような構造に近づくこと、それ以上の圧力では、配位数はあまり増加せず、水分子の間の距離が縮まっていくことが明らかになりました。つまり、氷に類似した秩序は高密度状態の水では失われていきます。しかし、通常の水より低密度の臨界水と融点直上の高密度状態の水の間には、研究されていない温度圧力領域が残されていました。

図1 キュービック型マルチアンビルプレスを用いた高温高圧下X線回折実験の原理

研究内容

高密度状態の水のX線回折実験と平行して、放射光量子シミュレーショングループでは、原子力機構原子力科学研究所に設置された大型計算機を用いて最先端の第一原理分子動力学計算を様々な温度、圧力で行い、水の構造や性質を求めました。その結果、密度を一定に保ったまま、温度を上げるだけでも、構造に大きな変化が起きることが明らかになりました。この結果を受け、計算と同じような条件で原子力機構ビームラインBL14B1を使った放射光X線回折実験が行われました。計算と実験から得られた密度1.0 g/cm3での動径分布関数6)の比較を図2に示します。計算からは酸素と酸素の関係gOO(r)、酸素と水素の関係gOH(r)、水素と水素の関係gHH(r)のすべてがわかりますが、X線回折には軽い元素である水素はほとんど寄与しないのでgOO(r)だけしかわかりません。計算と実験で得られた結果はどちらも、室温27℃で約4.5ÅにあるgOO(r)のピークが温度の上昇とともに2.8Åにあるピークに徐々に近づいていくことを示しています。第一原理分子動力学計算で得られた水の構造を詳細に解析したところ、100℃から300℃の間で常温常圧の水に特徴的な氷類似の構造が徐々に壊れていき、427℃では完全に壊れることがわかりました。また、水分子のダイナミクスを解析したところ、水分子の回転運動は高温下では常温よりも約2桁速くなり密度に依存しなくなるのに対して、水分子の拡散運動は高温下でも密度に依存し、高密度にすると拡散運動が容易に抑制されることがわかりました。これらの結果から得られた水の温度-圧力相図の概略図を図3に示します。通常の水は水素結合によって氷に類似した構造を持ちますが、温度を100℃から300℃に上げる間に徐々に無くなっていくとともに分子の回転運動が非常に速くなるために、高温高圧下では通常の水とも低密度の超臨界水とも異なり、水分子があたかも球状分子のように振る舞い、等方的な単純液体に移り変わることが明らかになりました。

図 2 第一原理分子動力学計算と放射光X線回折実験から得られた動径分布関数gOO(r)、gOH(r)、gHH(r)。計算と実験から得られた動径分布関数をそれぞれ実線と破線で示した。

図 3 本研究で得られた水の温度-圧力相図の概略図。

意義・波及効果

本研究によって、これまで不明であった通常の水と同程度の密度からより高密度までの領域の超臨界水での水の振る舞いが明らかとなり、水の性質の理解がまた一歩前進したと言えます。また、高圧下でも水分子の回転運動として高い運動性が保持されることがわかりました。近年、地球深部にも水が含水鉱物の形で存在し、マグマの生成などのさまざまな現象にも水が深く関与していることが明らかになってきました。本研究であきらかになった高温高圧下での水分子の振る舞いは、高温高圧の地球深部で重要な働きをしていると考えられている水の役割の解明に役立つと期待されます。また、今回、実験的に確かめることができなかった、水素の位置の解明すなわちgOH(r)やgHH(r)の測定には中性子の利用が必要です。科学研究費補助金 新学術領域研究「高温高圧中性子実験で拓く地球の物質科学」で進められているJ-PARCでの高温高圧中性子実験の実現によって、研究がさらに進むことが期待されます。


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